面白がりという人生最強のスキル

チロルチョコのインタビューが載ると、さすが文春、知人にもバレ、連絡が来る。

「トレンド入ってるじゃん」「変わらず、突き抜けてますね!笑」「これはすごいw」「まだ集めてたんだ笑」

「まだ」集めてたんだ。

そう。「チロルチョコの包装紙を集めている」なんて話をすると、面白がる人と怪訝な顔をする人がいる。「エコのため?」「ベルマークみたいのがついてるの?」「え、ゴミ集めて何が楽しいの?」

多分、チロルチョコの包装紙「なんか」集めるのは子供のやることで大の大人がやることではない。そういう常識を以って「まだ集めてたんだ」ということなんだと思う。コレクターなんて大なり小なり幼児性を持ったまま大人になっちゃったやつの成れの果てだ。だから、そう言われても仕方がない。とはいえたまに会う、本気で「なんでゴミ集めてんの?」と聞いてくる人には感情を動かされる。ただ、それは怒りということではなく、諦観に似た残念さのようなものだ。

日経新聞とはよくわからない新聞で、政治経済はあれだけ硬く書かれているのに最終面にはたまにわけわからないもののコレクターが登場し、その過程を語っていたりする。3/12の朝刊にもワニワニパニックをはじめとしたアーケードゲームのコレクターが登場していた。盆栽や陶芸などハイカルチャーを除けば、切手収集くらいしか認められていなかったコレクター道も随分一般的になったと思う。「マツコの知らない世界」だったり「激レアさんを連れてきた」だったり「開運!なんでも鑑定団」だったりコレクターをフューチャーする番組が増えたのもあるだろうか。

そんな中で、自分がゴミだと思っていたものを大切に保管しコレクションしている変なやつと出会っても、それをゴミだと思い続けてしまう人。そんな人に会う度もったいないなと感じている。その価値観に迎合するこたないが、そんな価値観もあるんだ、面白いなと思えば世の中の広さもわかるってものじゃないか。受け入れられないと拒絶して自分の常識の中に生きていくのはもったいない。世界ってめっちゃ広いんだし。

信号機を落札し、それを点灯させるためにプログラミングまで学習したという少年。自分ちのリビングに信号機を置きたいなんて全然思わないが、そこまでさせる原動力に眩しさを覚える。俺はこの記事を読んで、自分にはない価値観を知ることに面白味を感じた。だが、これにも「そんな信号機集めても邪魔じゃんゴミでしょ」という人もいる。自分の常識の中で生きるのに精一杯で大海を見る余裕がないんだろうと思う。

俺もそうだった。いや、今だってある部分はそうだ。男だから力仕事は率先してやるとか学歴は高い方がいいだとか。固定観念、常識に囚われてそれが絶対正義だと思ってしまう。でも常識だってどんどん変わるものだ。数年前まで始業5分前に来ていたら「遅い」と怒られていたのに、今は始業5分前にPC開けるとサービス残業になるから止めろと怒られる。給食を食べきれないと怒られていたのが、無理に食べないように食育される。そんなコペルニクス的転回が間々ある時代だ。

自分の常識外のものを包摂すると自分の常識が揺らいでしまう。だから自分の常識が揺らがされる不安に面食らった時、人はそれを貶すことで自分の常識、世界を守ろうとする。そんなゴミなんで集めているんだ、とか女が子育てしないと子供が愛情不足になる、とか。そうやって今ある常識を守った方が面倒くさくないし、楽だ。

でも一つの常識に縋って生きていればいい時代は終わってしまった。グローバリズムのせいだ。日本の常識が世界の常識とは限らない。世界の物理的な行き来がほぼなくなった現在ですら、世界は繋がっていっている。いやむしろ物理的に動けないからこそ繋がっていっている。世界中のどこにいても様々な国、民族、宗教による価値観に触れることができる。そしてそれはこれからも留まることはないだろう。これからますます様々な価値観に触れることになり、常識が変節していくはずだ。だから、俺は自分の常識と違うことに出会った時、まずそれを受け入れてそこからそれを包摂するのかそれとも距離を置くのか決めるようにしている。簡単に言えば、なんでも「面白がる」ことにしている。

台湾に行った時、臭豆腐を食べた。豆腐を発酵液に漬けて揚げるという料理で、名前の通りめちゃくちゃ臭い。以前、それを日本の電車に持ち込んだやつのせいで電車が止まったという話があるくらいだ。友達はひとかけも食べなかったが、俺は完食した。食後も口を開くたび臭くなる後遺症には悩まされたが、味は美味いのだ。また台湾に行くことがあれば食べたいと思う。

学生時代、体育はずっと1だったのにフルマラソンを走ったことがある。一日に42キロ歩くこともないのに走ったらどうなっちまうんだろうと思ったからだ。案の定、半分は走ることも出来なかった上、帰りの車のアクセルもおぼつかない始末になった。だが記録がカンニング竹山よりも遅いことを知り、それはいかんのではないか?とあと数年は走らなくていいがいつかまた走ってみたいと思えた。

BMI23くらいのちょいポチャだが、断食道場に行ったことがある。断食したらどれくらい痩せるんだろうと思ったからだ。三日間水しか飲まずに生活した。一日目の夜からしんどくなり、二日目は何も食べていないのに気持ち悪くて吐きそうになった。だが三日目になるとスーッと気持ち悪さがなくなり、むしろ気持ち良いくらいになった。しかもめちゃくちゃ匂いに敏感になり、遠くの屋台の匂いを屋内から感じたりするようになった。断食明け、お祝いに鰻丼を食べたら全然入らず残すのももったいないから無理に食べたらめちゃくちゃ腹を下して二度とやらんと思った。

ここまで書いてみて、なんか罰ゲームを自ら受けに行ったM気質のやつみたいになってしまった。まぁそんな風に絶対嫌だと思うことでもやってみたら案外楽しいと感じられるのではないかという話だ。自分の常識だけが全てではないし、自分の思いもしない価値観が、自分の常識の枠を広げてくれるものになるかもしれない。ひょっとしたら自分の本当に好きなことが自分の非常識の中に隠れているかもしれない。俺はそういうものを手に入れたくて、なんでも挑戦してみる。面白がる。人にゴミだと言われても集めるし、罰ゲームじゃんと言われてもやってみるし、絶対マズイと言われても食べる。しかも、それは自分がやろうとさえ思えばできることだ。面白がって常識から自由になること、こんな簡単に人生を変えられるスキルはない。

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