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ゆうこさんのお店

男なら誰しも行きつけの店で「いつもの」とやりたくなるものだ。社会人になったころ、俺にもそんな風にできる店があった。

先輩の家は会社からすぐの所で、週末は駅前で一緒に飲んで終電をなくし、よく泊まらせてもらったものだ。だが駅前までは歩いて20分と微妙に遠い。帰りはへべれけだからそんなもの苦ではないのだが、しらふでその距離はなかなかだ。そこで、先輩の家の近くで飲める場所はないかとなったときにその店を紹介された。

そこは先輩の部屋からのぞけるくらい近かった。1階がテナントになっているアパートが2件並び、片方はスナック、もう片方がその店だった。最近オープンしたようで、まだ新しいのれんがかかっている。

「こないだメシ作んのめんどくさくてなんとなくいったらさー、うまいしめっちゃ落ち着ける感じなんだよね」

駅前から外れた住宅街にポツンとある飲み屋。さらに隣はスナック。おそらく地元民御用達の店だ。1人だったら絶対に入ることはなかっただろう。

のれんをくぐるとまだ新しい畳のにおいがした。小上がりだが仕切りがなく、座敷のように10人以上座れるようになっている。そして小上がりと地続きに足を下ろせるカウンター席があるという不思議なつくりだ。先輩はもうなじんでいるようで「どうもー」と言いながらどっかとカウンターに腰を下ろした。

カウンター越しに「あらー」と声をかけてきたのがこの店の主だった。名はゆうこさん。

「こないだめっちゃうまかったから今日は後輩もつれてきました」

俺はぺこりと会釈した。とりあえずビールで、とおしぼりで顔を拭きながら先輩が注文すると「じゃとりあえずこれ」とカウンター越しに小鉢が渡された。

「今日はうちで漬けた漬物。メニューにもあるからお口に合えば注文してねー」

なるほど。まだオープンしたてだからメニューの料理を試食がてらお通しで出すとは。いい塩梅に浸かったキュウリやナスは序盤の油ものでしんどくなった腹にちょうど良く、思惑通り締めに注文することとなった。カラシをたっぷりつけながら氷の溶け切ったぬるいレモンサワーで流し込んだ。

何よりうまかったのは鶏皮煮だ。名前の通り鶏皮を甘辛く煮たものなのだが、味付けがバツグン。どちらかというと甘めに煮てあり、砂糖のおかげで鶏皮が魅惑的に黒く光っている。そして、カリカリに油の抜けきった皮もあればまだプルプルと弾力のある皮もあり、食感も楽しめる。最後には仕上げにひとつまみかけられたゴマの香ばしさと唐辛子の辛さが抜けていく。もちろんその甘辛い油に満たされた口はビールで洗い流すためのもの。クーっとやれば最高だ。

そんな鶏皮煮を筆頭にどれも飯がうまい。それに地元の人がメインだからみんな夕飯感覚で、9時にもなると大体の人が帰り、貸し切り状態になる。その日は途中からカウンター越しにゆうこさんと談笑する形になった。もはやスナックである。さっきまで内輪向けっぽくて気が引けていたのに、すでにその内輪にとりこまれている自分がいた。

そうして、その店へ毎週のように通うようになった。先輩とだけでなく、上司と軽く飲んだり、同期と愚痴を言い合ったりもした。その味の確かさがばれてしまったのだろう。半年もすると大繁盛で、俺たちが店に行く頃には大体先客がひとしきり盛り上がっているようになった。

そうなると問題なのが人出不足だ。実は、この店はゆうこさんが1人で切り盛りしていて3グループくらいくるとパンクしだす。料理にかかりきりになり、運べなくなるのだ。当時、俺は新入社員で一番下のぺーぺーだったから空になった皿や先輩のグラスを返しにいったりしていた。そうすると当然戻る足でできあがった料理も運ぶことになる。臨時の飲食店勤務だ。最初は運んでいるだけだったのだが、徐々にお酒作りも任されるようになった。

ハイボールは氷を入れジョッキにあるマークのちょい下まで注ぎソーダを入れる。ビールはグラスを斜めにして注ぎ、こちらは文字の真ん中くらいまで注いでから泡を足す。飲食バイトをしたことがなかったから最初は泡だらけ。手前に引けば液体が出るはずなのに2:8で泡になったビールは自分のおかわり分として確保し、うまくいったのを先輩たちに回していた。

翌年、後輩ができたというのにその役回りは俺のままだった。後輩にそんなことやらせるのは忍びないし、またゆうこさんもまだあまり知らないやつをキッチンに通す気にはならないだろう。食器を下げたりビールを注いで持って行ったりしてるのに俺がおごるという理不尽。それを不憫に思ってくれたのかゆうこさんはいつも端数を丸めてくれていた。

こんなこともあった。先輩にクラブを買わされ、いやいや始めたゴルフ。会社でコンペをやると俺は当然ドベだったのだが、先輩が上位に食い込み景品でどっかのいい豚肉2キロが当たった。ゴルフ終わりにまたゆうこさんの店へとしけこんだのだが、先輩が言い出した。

「あ、そうだ。ゆうこさん、豚肉2キロあるんで料理してもらえません?」

それを当然のように快諾し豚のフルコースが目の前に登場した。まずはトンテキ。パン粉をまぶしてカツレツ。脂肪の多い部分は煮込んで角煮に。腕が鳴るぜとばかりに豚肉を料理し、ゆうこさんもつまみながらみんなで2キロを平らげた。そして当然メニューにないものなのにうまい。だが、お会計の紙を見るとどう考えてもおかしい。豚肉の料理分が入っていないのだ。付け合わせの野菜もあったというのに。

「いやいや、ゆうこさん、これ豚肉の分入ってないっしょ。あんな料理出してもらってタダってわけにはいかないすよ」

「私もいい豚肉食べれたからいいよー。いつも使ってもらってるからサービスサービス」

そうして押し切られてしまった。それからも釣った魚をさばいてくれたり、リクエストしたメニューをパッと作ってくれたり、居酒屋というより小料理屋と呼べそうなほど。他愛ない恋愛相談や上司の愚痴にも耳を傾けてくれ、もはやみんなのお母さんであった。居酒屋であり小料理屋でありスナックでもある、それがゆうこさんの店だった。

そんなゆうこさんの店に最後に行ったのももう5年前のことになる。異動で、飛行機を使わなければ行けない距離に引っ越す羽目になったからだ。最後にゆうこさんの店に行った時のことはよく覚えている。同僚と行くと落ち着いて飲めないし、せっかくのうまいご飯を堪能できない。今日は俺の好きなものフルコースだ、と鶏皮煮や自家製の漬物をはじめ、タコのから揚げや長芋のフライなど1人で思い残しのないように食べた。

9時を過ぎるといつものように地元客が帰り始め、ゆうこさんの仕事も落ち着いてくる。その頃を見計らってゆうこさんを呼び寄せた。

「俺、今日でここ来れるの多分最後なんすよ。だから乾杯したくて」

ボトルキープしていた酒の最後の一杯を俺とゆうこさんのグラスに注いだ。

「いつも美味しい料理ありがとうございました。またこっち来たら遊びに来ますね。じゃあ乾杯!」

カウンター越し、店主と客の間で行われる乾杯。なかなかないそんな乾杯がゆうこさんとの最初で最後の乾杯になった。いつものようにお会計の紙をもらうと「向こうでも頑張って!」と書いてある。伏せられていた価格には「0」だかハートだかわからない文字が。

「今日はお代いらないからね。3年間ありがと!向こう嫌になってこっち戻ってくるようなことあればバイトで雇ってあげるね(笑)」

それから5年。あれだけ通っていた店なのにずっと行けていない。帰省した時に行けばいいのだが、実家から2時間ほどかかるのでなかなか足が向かない。我ながら薄情さに驚く。行こうと思いさえすればいつでも行けるから、帰省中も友達と会ったり他の予定が優先されてしまう。

だが、コロナ禍で状況は変わった。いつでもゆうこさんが待っててくれると思っていたが、この状況下ではそうもいかないだろう。調べたところ今は大丈夫みたいだが、いつどうなるかわからない。昔ながらのお菓子が終売するとき「えー好きだったのにー」なんて急に買うようなアホなことはしたくない。まだ大丈夫なうちに行かなくては。

5年ぶりのゆうこさんになんて声をかけよう。まだ「いつもの」で鶏皮煮出してくれるかな。ビールの腕前は元に戻ってしまったかもしれない。また通い詰めてバイトで雇ってもらえるくらいにならなくては。

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