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松山の街を大きく発展させた河野氏の痕跡―湯築城跡―

松山と言えば、何を思い浮かべるだろうか。道後温泉、松山城に『坊っちゃん』、『坂の上の雲』など、多くの歴史的な遺構や出来事、作品が松山の観光を支えている。

その中でも新たな発見が多かったのが中世の山城、湯築城跡だ。

この城ができたのは室町時代になった頃であり、戦国時代に廃城となるまでの間利用されていたという。濠や土塁が残っているだけでなく、公園としても整備されており、昼間にはキッチンカーも出ており、地元の人たちの憩いの場にもなっていた。

公園内にある資料館(入館料無料)では湯築城の城主河野氏の系譜や、彼らが松山の地を治めるようになった経緯、そして、遺構から発掘された品々等多彩なものが展示されている。あまり広くないとはいえ、なかなかに見所が多く、無料というのが驚きなくらいである。

河野氏と言えば、河野水軍が有名だ。松山付近にある瀬戸内の航行を監視するには、当然水軍の力が不可欠である。そして、その力は交易にも活かされていたようだ。発掘された物の中には大陸各地で作られた磁器が多く展示されていた。それも明や李朝と言った近場だけではないのがまた面白い。

また、資料館を見学していると、ボランティアの方が丁寧に説明してくださった。河野氏勃興の経緯や彼らが有していた文化等、展示されている資料の内容をはるかに上回る量の説明をしてくださった。

ゆっくり見学して15~30分程度と見込んでいた私の予定を完全に狂わせるくらい(結局1時間以上も資料館にいた)充実したものであった。しかし、その狂いは決して「悪い」ものでは決してない。むしろ旅をしている時、こういう狂いは「歓迎」ものであった。

河野氏の栄枯盛衰は松山の街の基礎を形作る重要な歴史だ。松山に行くまでは名前だけ知っている程度の武将であったが、実際に訪れ、資料を見、話を伺うと、印象は大きく異なる。

当然、これは松山に限らないだろう。どんな街にもその土地固有の歴史がある。その地の発展に寄与した人々がいる。旅をする中で、今まで知らなかった人々の歴史を味わう醍醐味を感じさせてくれれる城跡であった。

道後公園の高台から見た松山の街並み

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