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『モモ』をどう読み解くか?
先日の読書会における課題本『モモ』。その時のやり取りの中、そしてその後に考えたことをまとめようとはしている。しかし、どうにもまとまらない。
資本主義批判と捉えることももちろんできる。しかし、「灰色の男たち」が暗躍する世界は、資本主義社会下でのみ成立するようには、どうも思えないのだ。
確かに作中に登場する高度に都会化された街の姿は資本主義の大都市を思わせる。とはいえ、資本主義が人々を半ば強制的に生業としての仕事に駆り立てる、常に時間に追われる状況を作り上げる、とは言い切れないように思うのだ。
むしろ、灰色の男たちと主人公モモが初めてやり取りする際に出てくる人形「ビビガール」にこそ、そのヒントがあるように思われるのだ。
ビビガールは、多様に着せ替えができる人形である、というより、着せ替えることしかできない人形である。とにかく新しいものを欲しがる、ねだる。下手に新しいものをねだってくるので、人形の持ち主は自らの想像を用いて遊ぶことができない。
この人形を「売る」側の視点で考えてみると、着せ替えパーツをたくさん用意し、それを人々に購入してもらうのが狙いだ。現代ではこの手のビジネスモデルは数多い。
なんとなくではあるが、この部分にこそ、ヒントがあるように思われるのだ。だが、感覚的にしっくりくるものはまだない。
作中、モモ自身が時間の国へ行き、貴重な経験をする。その時の体験を自らのものにするには1年以上の時間を要する。
そこまでかけるつもりはないが、感覚的にしっくりくるものが出てくるまでにはまだ時間がかかるのかもしれない。仕事に生活、趣味などをやっているうちに、どこかのタイミングでしっくりくる感覚と出会えることを期待して、ゆっくりと待つことにしよう。
モモは常にそうしていたのだから。
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