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歩みも考えも深化させる大切さ―ヤマザキマリ『歩きながら考える』―

確か2020年の冬だったと思うが、初めてヤマザキマリの書籍『たちどまって考える』を買って読んだ。

コロナ禍で日本に長期間いることになった(従来は日本とイタリア、その他の国を行き来する生活だったらしい)ヤマザキがパンデミック下の中で、自らが考えたこと、そして取り組んでみたことなどをまとめた本である。その「続編」ともいうべき本『歩きながら考える』を最近買って読んだ。

国内外への移動制限がかなり改善されてきた中で、自宅と近場のみの外出から、国内の行き来、そして国外への行き来と、段々と元の生活スタイルに戻していく過程における著者の気づきや経験談、思考といったものがまとめられている。

ヤマザキ自身はイタリアなど国外での長い生活経験から、様々な物事に対して疑いの目を向ける習慣がついているという。むしろ、信じる行為は怠惰の象徴でもあるとまで言う。ちょっと言い過ぎな気もするが…

ただし、疑いの視線を持つ姿勢は大学生の時に論文を書いたことがある人であれば、「批判的思考」について学んでいるだろう。そういう姿勢と考えれば合点がいく。

とはいえ、様々な物事に対して、適度に警戒の眼差しを向け続けるのは難しい。特定のイデオロギーに浸っている方が楽だろう。特定の流行に身をまかせている方が楽だろう。そして、何事も自分で決めて行動し続けるのは、なかなかにしんどいことだ。

とは言っても、批判的思考を実際の行動に移すのはなかなかに難しい。しかし、難しいからと言って、思考停止してしまっては進歩がない。堂々巡りになっても思考を繰り返しながら、他者の見解をうまく取り入れながら、友人らと話し合いながら、少しずつ進んでいくしかない。

五木寛之は『元気』の中で人は「死」のキャリアであるという。生まれたが最後、死へと着実に向かわざるを得ない宿命を持っている。立ち止まっていても、死へと向かう時は歩みを止めない。であれば、その歩みとともに、自らの考えも止めることなく、深化させていけばいいではないか。

富や名声、地位も死には抗えない。それよりも、死ぬ間際の自分が「これで良かったんだ」と思えるよう、自らの考えをアップグレードさせ、そして、それを行動に移す。それがある種の「後悔しない」生き方の1つになるのだろう。それが「歩きながら考える」こと、そのものなのかもしれない。


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