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九州男児父の野蛮で過激でピュアな思想に、思春期だった私が、地獄の底から救われたけん


なにしろ、九州男児が悪名高い。どこで何回検索しても、良い話がひとつもでてこない。
私は主婦なので、とくに主婦目線で見た時の夫としての九州男児なんて、どの点をとっても残念で、悪口こそ出てくるが褒め言葉なんて出てこないのは、確かによくわかる。

九州男児がどれほどなにもしないか、下の記事ご覧ください。(できれば心が穏やかな時に。)

なのに、介護の話を書いていくにつれて、私のファザコン度が露呈していく。我がことながら、なんでそんなに父が好きなのか、思い返してみたくなった。

父はまごうことなき九州男児だ。
純正で、自分を「おいどん」と呼ぶときもある、武士道を大事にしてて、西郷隆盛に心の底から憧れている。

私にとって
父=九州男児=男尊女卑
すべて真っ直ぐきれいにつながっている。

小さい頃に父に、父が男尊女卑なのかを確認したことがある。
「男尊女卑の、なにがわるかじぇわからん(何が悪いのかわからない、よいじゃないかの意)」と言われた。言葉を失って父の顔をみると父は憮然と前を見つめていた。
「文句があるなら言ってみろ」
と言いたい時のポーズだ。

ただここに来て、性加害やセクハラのニュースなどを見るにつけ、九州男児が男尊女卑という方程式に私は疑問を持っている。

なぜなら思い返すと父は、女性を尊敬している発言をたくさんしていた。そして、男性の言うことに従えなどとは言ったことがない。どちらかというと、「くだらない男の言うことに従わなくて済む人生にしろ」と言っていた気がする。

以下、父の語録を並べてみる。

「時代は誰にも想像できないスピードで変わる。サッチャー首相や緒方貞子さんなど、素晴らしい女性はたくさんいる。女性も優秀だったら果てしなく高い地位や権力をもてる世の中にどんどんなっていくかもしれん。頑張れぞ。」

「本気で主婦の仕事をしようとしたら、知性がいる。家事をぴしゃっとやってみせるのは素晴らしく立派で賢い事だ。」(そして親戚のおばさん達の生き方をかっこいいものとして教えてくれた)

「なんでんよか、好きな仕事をしろ。一生懸命やればちゃんと食べていける。自分で選ぶとぞ!!」

「くだらん男の言うことは聞かんでよか!気に食わなかったら、おもいっきり、けったくってこい。(蹴っ飛ばしてこい)おいがゆるすけん。(俺が許すから。)」→これは今の時代ではアウトでしょう。

「くだらん男がよってきたら、おっか声でおらぶとぞ!(大きい声で叫べ)」
※実際私は小さい頃から父の指導のもと、大きい声を出す練習ばかりしていたので、大きい声をだすことがめっぽう得意となり、小学生の時には、その小学校で女の子初の、応援団長もやりました♡

※ここでいうくだらん男の定義ですが、ざっくりいうと性暴力を働くような男性のことです

「自分の意見を持つことが大事だから、好きな勉強をして、望む経験をしなさい。良書や偉人から学んでも良い。そしたら、くだらない意見に迎合する必要はなくなる。」

とくに、性犯罪の事件などには、父はとても怒っていた。

「男が腕力で勝てる女性や子どもを、力で押さえつけて言うことを聞かせるのは人間以下だから、江戸時代の拷問にかければ良い」
というのが父の持論だった。

「関所のある地面に犯人を首までうめて、関所を通るたびに人がかわるがわるパカーンち、棒で殴るとぞ。そのぐらい残酷な目に遭っていい。理性がなく非道なやつには、それくらいしなきゃわからない。」
とよく言っていた。野蛮極まりないが、思春期の頃の私は、大人の男がその価値観をもっていることに実は心底救われていた。

中高生になると、電車が混んでいるからか、私も痴漢などの目に遭った。友達もあっていた。
数年前まで小学生だった自分を、知らない男性が己の性欲を満たすために利用するということがひどくショックだった。言いようのない屈辱と果てしない恐怖と強い怒りを感じた。そちらに焦点をあてると、世の中が良い場所には思えなかった。落ち込んでも人には話せなかった。

もし、父親が、性被害に対して
「お前にも非があるんじゃないか」とか
「そのぐらい仕方ない我慢しろ」とか思う人間だったり、ましてや女遊びをする人間だったら、
心の弱い私は、トラウマを抱えたままだったかもしれない。あの頃のわたしはとても心が弱く、傷つきやすくて、そう言うふうに真っ向から性犯罪を否定する意見がないと心を立て直せなかったかもしれない。

だからわたしは父が過激派の九州男児であったことを感謝している。心の底から勇気をもらえた。

私は東京生まれ東京育ちで、3次元での九州男児は、父とその友人と親戚しか知らない。その中からみえる九州男児は、男としての役割を精一杯カッコつけて背負っていた。そして、紳士として女性を守ろうとしていた。父の場合は、女性が背負っているものからも、目を逸らさなかった。だから不器用なくらい真正直に武器を与えてくれた。

「男は女より強かけん、男は紳士じゃなからんといかん。(紳士じゃないといけないよ。)女はレディイにならなくちゃ。」
と言って私の目を見ては、いつもニコニコしていた。

私はいまだに父の言う「レディイ」にはなれてないが、自分の思い通りにしようとする男には、ケンカをうれる女にはなった。いざという時には大声で罵倒もできる女になった。

父には心から感謝をしている。




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