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巨人の肩の上で踊る

おはようございます。今週水曜日に仕事を休み、朝の開店と同時に近くのスーパー銭湯に行ったのですが、開店時にもかかわらず人が多いこと多いこと、サウナには列を作り、脱衣所のドライヤーも順番待ち。それでも湯に浸かると気分爽快だからやめられない。今度「銭湯」の魅力についてじっくり考えてみようと思う。

さて、今日は「巨人の肩の上に立つ」というテーマで書いていきます。過去の積み重ねの上に生きている我々は、過去をどう捉えるべきなのか、まったり考えていきます。

巨人の肩の上に立つ

GoogleScholarを開くとトップページに表示される言葉があります。

「巨人の肩の上に立つ」

これは万有引力で有名なアイザック・ニュートンが科学の進歩について語った際の言葉だと言われています。「巨人の肩の上に乗る小人」または「巨人の肩の上に乗る矮人(わいじん)」という言い回しもされており、西洋のメタファーで、巨人は「先人の積み重ねた発見(成果・知識)」であり、矮人は「その上で発見された新たな事実」と置き換えて考えられています。

現代の解釈では「先人の積み重ねた発見(成果)に基づいて、新しい発見を行う事」とされていて、つまり、新たな成果は、過去の成果や知識の上で生まれるという考え方です。

私はこの考え方は大事だと思っていて、新しいことをしていく中では、過去を振り返りその成果や知識はふんだんに活用するべきだと思います。これは会社組織でも同じで、だからこそ大手大企業が様々先進的な取り組みを出来ているのはそのためだと思います。

従うのではない

ただ、大事なのは”巨人に従う”わけではないということです。

あくまで肩の上で、共存しなければいけないのです。共存というよりもっとフレンドリーなイメージかなと。

過去を全否定することは間違いで、それが成功した過去でも、失敗した過去でも成果や知識は蓄積されているので、それらを十二分に活用すべきである一方で、過去の成功体験や失敗体験にすがっていると何も変えられない。

だから”巨人”とはフレンドリーな共存関係を気づくべきだと考えます。

そのためには、”巨人”についてよく知らないといけない。

なにか新しいことをしていく際に”巨人”を理由に二の足を踏む人が多くいるように思います。例えば、「そんなことはこれまでの歴史の中ではなかった」だの、「その取り組みはうちらしくない」という発言がそれに当たるかなと。確かになにかと”巨人”を理由にすると確からしさがあって、便利なんですよね。

しかし、“巨人”を理由に拒む人は99%の確立でその”巨人”について理解していません。認識しているのは自分が立っている肩の部分だけで、本当は爪先から脳天まであるのにも関わらず、自分がいる場所だけで全てを理解したつもりになり、”巨人”を知らずに”巨人”を語ってしまう。故に無意識のうちに”巨人”に支配され従ってしまっている。

知的好奇心を止めるな!

なんでもかんでも知りたいと思う知的好奇心はあらゆる物事において本当に重要だと思います。今の業務、市場、商品、関わる人、会社の現在、過去、それらを知る機会や仕組みはわりと多くあるのであとはそこに対する個人的な関心が必要だと思います。

肩の上に立っているだけでは全てを知れる訳がないので、もっとコミュニケーションを取る、そのために知的好奇心を止めない。この世の中には常に自分の知らないことがそこかしこで起こっていて、常に変化していることを忘れない。

そんな意識を持つだけでも”巨人”と仲良く過ごせのではないでしょうか。

巨人の肩の上に立つだけじゃなくて、肩の上で楽しく踊る!そんな感じです。

でも巨人にまで踊られると、肩の上にいられないので、リズムに乗って小刻みに上下してもらうくらいですかね。流行のアイドルソングなんかを流した日には共存なんかしてられませんからね。

でも巨人はアイドルソングで踊るのかな。また新しい疑問が生まれました。