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亡き祖母と危篤の父、共通の願い(「※」マーク付き)

先日、祖母が亡くなった
しまってあった祖母からの手紙を読み返した。最後の手紙は日付が平成26年(2014年)。もう7年以上、連絡が途絶えていた。

そこにはこう書いてある。

あなたにばかり迷惑をかけてごめん。なんでこんなことになってしまったのか。
あんただけでも幸せになってほしいと思います。

「迷惑」とは、わずかな額ではあるが10年ほど生活費を送っていたこと。
「こんなこと」とは一家離散となってしまったこと。


今日、田舎の病院から電話があった。
「お父様の容体が急変し、危険な状態です。もって数日だと思います。」とのこと。

数日前に父本人からも電話があった。
「再入院した。もうアウトだ。後のことは頼む。」、と。
父は昨年に癌を患っていた。

癌になったこと、積極的な治療は拒否したこと、入退院を繰り返していることなど、どれも事後報告だった。

電話の会話の中で父はこんなことを言った。

実家のことはほっとけ。あの家にお前に必要なものはない。
過去を振り返るな。自分がつくった今の生活を、未来だけを見ていけ。


祖母に生活費を送るようになったのは、祖母と父の仲が悪くなったから。
先日の記事に書いたように、生後間も無く両親が離婚し、父に引き取られた私はすぐに祖父母に預けられ育てられた。

父は1人都会に残り、生活費を稼ぎ田舎に仕送りしていた。
それは私が父のいる都会に出てからも続いていた。

ある日、祖母から電話があり、「お父さんにお金入れてくれるように伝えてくれる。」と言われた。父に伝えると「金を送っても隠しよんねん。」と言った。

これが一家離散の発端だった。

詳細は聞けなかったが、生活費のことで揉め、祖母は仕送りがなくなり生活に困った。なんとかしなければと行政の支援(生活保護かは不明)を受けようと考えたようだ。支援を受けるためには家族間の支援が受けられない状態を証明する必要があった。このために、同居していた叔父とも離れて暮らすようになった。

結果、祖母(実家を離れる)、父(都会)、叔父(実家)と私(都会)はバラバラ、一家離散状態になってしまった。

祖母は行政の支援を受けることができたようで、仕送りの催促はなくなり最後の手紙とともに連絡が途絶えた。それと入れ替わりで父への仕送りが始まった。

父は早期退職者に応募し、それなりに退職金を得たのだが、どこでスったのか、すっからかんになり、年金も受給資格は得ていたものの満額納付しておらず、月数万円の収入しかない状態になってしまった。
そして仕送りが始まった。


亡くなった祖母、危篤の父。
共通の願いは「お前は幸せに。」だ。


なんか違う感。


願ってくれてることはありがたい。だが、


違うやん、そうじゃないやんw


最早手遅れだが、正直な気持ちは↓こうである。


仲良うしてくれや。家族やん。


仲良うしてくれたら幸せやねんけどw
両親が離婚し、祖父母に育てられ、挙句の一家離散。「家族」や「親子」を人並みに感じることなく、その機会ももう永遠になくなったんですけど。


私は幸せです!※


私が「幸せです」というと「※」マークが着いちゃう。


※物心つく前に両親が離婚し、祖父母に育てられ、一家離散となりながらも、それを乗り越え幸せを掴み取りました。

↑みたいな。


祖母、父に言いたい。

心配せんといて、と。


良い反名教師(あんたらやぞw)に恵まれたから大丈夫!、と。


ははは。性根の悪い孫、息子でゴメンね。
2人の願い叶えたいので、2人を参考にさせてもらいます(逆の意味で) w

「※」つかん人生の方がよかったなぁ。。。

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