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愛ある仕事を


「死」というテーマは心のブレーキに

死について真剣に考えたのは小学校5年生の頃だ。
何がきっかけだったかは覚えていないが、ある日突然「死」について考えるようになった。死んだらどうなるんだろう。死の先には何があるんだろうと脳に問いかけた。


死んだ先にあるのは「無」であり何も残らない。それが当時の私が出した結論だった。自分の脳が機能停止して何も考えられなくなるのに、世界は動いていて、世界は何事もなかったかのように前へと進んでいく。それはとても恐ろしいことのように思えた。


死について考えれば考えるほど、死が恐ろしくなり眠れない日々が続いた。夜に1人で「死にたくない」とベットの中で泣いた記憶がある。怖くなって学校の友達に相談してみたが、頭がおかしいやつだと笑われた。


先生ならわかってくれるかもしれないと思って自由学習の時に「死」をテーマにして作文を書いた。人間の脳が停止した先にあるのは完全なる無であること。死とは「時間」という人間がつくりだした概念が存在しない真っ暗闇の中で、思考することない無限。死とは無の無限ループであり、数字を0で割るような矛盾と似たような性質をもった世界なのかもしれない。世の中には「魂」の存在を信じている人もいるが、それは死に対する恐怖心が生み出した人間の都合がいい妄想だ。歴史に残る偉業を成し遂げれば生きた証をこの世界に残すことはできるが、無の無限ループの中ではそれすら意味がないことのようにも思える。

うる覚えではあるが、こんな感じの文章だった。


先生からは日記に「疲れているのですか? 少し休みをとることも大切ですよ」と返信があった。それを読んで「死」というテーマはこの世界でタブーなんだと気づいた。日記の返信を読んだ後に何故だかすごく恥ずかしい気持ちになって、書いた日記をビリビリに破いた。他人に自分が本気で思ったことを表現することはやめよう。他人が求めている答えを探せばいいのだと考えるようになった。


「小学生のころの思い出はなに?」と誰かに問われれば、この経験が1番記憶の中で鮮明に残っている。




死への恐怖が僕をアップル信者にした

それから社会人になっても「死」に対する恐怖心が消えることはなかった。ずっと自分の中で死とは何か?を考え続けた。

そんな中で休日に家でなんとなくYOUTUBEをみてたら、おすすめ動画に「スティーブ・ジョブス伝説のスピーチ」というタイトルで動画がアップされていた。もともとアップル製品が好きだったこともあり、アップルのトップがどんな考えを持っているのか気になって視聴してみた。


スピーチの一節で、心が大きく揺さぶられた。
「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしたことを本当にやりたいだろうか」

この言葉を聞いた瞬間に涙が止まらなくなった。スティーブ・ジョブズのような天才と自分を比較すること自体おこがましいが、同じ世界で彼は戦っている人なのだと親近感が生まれた。小学生の時に自分が「死」について感じた恐怖を共有できる存在がこの世界にいるのかもしれないと感動した。同時に彼は死という恐怖と戦っているのに、自分は死にびびっているだけの臆病者なのだと自覚した。

そして僕はアップル信者になった。アップル製品が最高にクールだからという理由もあるが、それ以上にアップル製品を見る度に「死という恐怖と戦え」と鼓舞されたような気持ちになるからだ。




人は生きることと向き合い死んでいく

この頃から「人材」という仕事と本気で向き合うようになった。それまでは正直なところKPIをゴリゴリまわして高い目標を達成することが本気なのだと信じていた。だけど本当の社会貢献は「目的」と「目標」が融合した先にある。この現実から私は逃げていただけだった。

結果が全て。
結果出したやつが偉い。
結果出さないやつに発言権はない。


自分がクズだとわかっているのに、クズだと認められなくて目的から逃げることを結果で正当化しているような人間でした。そこから目的について真剣に考えるようになり、人材業界の目的と技術について勉強する時間が増えた。


仕事での自己肯定感は上がったが、誰とも価値観を共有することができなくなって孤独になった。理念を語る人や、追求する人はたくさんいたが、知識・技術を追求する人はまわりにいなかった。技術を追求する人のほとんどは「点」で事象を捉えているケースが多くて価値観が合わなかった。1番多かったのはコーチングを学んでる人でしたが、それは自分が考える人材業界のあり方と本質がズレているように感じた。なぜ人材に関わる仕事をする上で経営学、経済学を取り入れないのか理解ができなかった。

現実を理解し、受け入れ、現実とともに働くことは実践的だし、たとえそれがどんなに厳しい現実であったとしてもそこには美しさがある。現実を知るには経営学・経済学の基礎知識、社会のトレンドにキャッチアップしていくための情報収集が必要不可欠だ。これらの努力をしないで観念的な理想主義を貫く人はオカルト集団のようにしか見えない。

私の世界観だと近年の人材紹介業は怪しい宗教集団に成り下がっていて(むしろ正常だった時期があるか不明だが)、安っぽい哲学をドヤ顔で語っているだけ。人の悩みがキャリアアドバイザーのオナニー道具になってはいけないし、商売のための道具になってもいけない。


短期的に違いを出すのは「仕組み」だが、
長期で違いを生み出すのは「目的」と「サービスへの投資(自己投資)」だ。


だからこそ「アドバイス」を仕事にしているのに目的を考えない人間や自己投資をしない人間の思考回路が理解できない。安っぽい哲学しか語れない人間は、脳に使われている金・知識・経験・出会いの総量が絶対的に少ない。


フロムによれば「愛」とは、 愛する者を能動的に尊重し、その生命と成長を気にかけることである。この積極的な配慮のないところに愛はない。また、愛とは、特定の人間に対する関係ではなく、世界全体に対して人がどう関わるかを決定する態度や方向性のことである。

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この「世界全体に」という言葉は自分の中でしっくりくる。

相手のことを思って仕事をする。
これは愛じゃない。


愛のある仕事とは、相手を思うだけでは不十分。愛はクライアントに会う前から問われている。

頂いたサポートで良質な糖分補給をさせて頂きます。ありがとう!!