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仕事という8時間のゲーム

【人生を賭けた仕事】
僕は起業家として今のビジネスには片道切符で乗車していて、引き返すつもりなんてもちろんない。
万難を排してこの事業をやり切るそんな思いを持っている。
もちろん仕事は24時間365日やり切る覚悟で臨んでいる、休むのも仕事のためである。

しかし、それはかなり特殊だと思っている。
仕事=人生

という人ももちろん多いし僕はそんな人たちも大好きなのだけれど、それだけではないことも理解しなくてはいけないと思う。
うちは母子家庭なのだけれど父親に会うたびにこれでもかというくらい言われた言葉がある。
「24時間という時間だけは皆平等である」
小学生の時から社会人になるまでずっと何十回も何百回も繰り返し言われた言葉だ。
やりたいことをやりたいだけやっていた父親にぴったりの言葉だ。
この平等に与えられた時間というものをどう使うのかは人それぞれだろう。
よく言われるのは8時間の仕事、8時間のプライベート、8時間の休息である。
一般的に仕事は人生の1/3であるし、土日を考えると仕事は半分以下であるのでそれよりも重要なことが存在するのだろう。

難しく考える必要はない、仕事は8時間のゲームなのだ。


仕事はゲームのその心

仕事はゲームだという理由はいくつかある

・ルールが決められている
・別人格で参加することができる
・好きなゲームを選択することができる

もちろん就労の義務があるわけなので全員参加しなければいけないゲームであるものの、それでも仕事はゲームっぽいなぁと感じている。

SNSで有名な画像かもしれないがこの画像を数年前に見た時に結構衝撃を受けた、
頭にあった言葉をこんなにも言語化してくれている画像はなかった。

Twitterからの拾い画像です

僕は人生=働き=仕事だと思っていたがそうじゃない人がいたのだ!
この画像が広く拡散されているところを見るとかなりたくさんの人が仕事を自分の人生の中の1つだと捉えているのだろうと気づいたのだ。

この画像に出会ってから僕の会社経営の中でしっかりと線を引けるようになってきた。

ルールが決められている

8時間の仕事というゲームにはルールが決まっている。
サッカーで手を使ってはいけないと同じように。

ルールだけではなくポジションや役割もきちんと決められている。
監督がいて、コーチがいて、プレーヤーがいる。
キャプテンやエースもいたりする。
ただ誰が欠けても試合にならないので全員が必要なのだ。

ただ仕事をしているとたまにルールを忘れてしまう人がいる。
(僕も含めて)

サッカーだから足しか使ったらダメなので手でボールを持って走り出してしまう人がいる。
ゴールキーパーなのにゴールを狙って走り出してしまう人がいる。

これはやってはいけないことだ。

と言いつつ僕が1番やってしまっていた、監督という立場であるにも関わらず試合に出てゴールを狙いに行ってしまったり。

しかし仕事をゲームだと捉えるようにしてから少しだけ考えが変わってきた、
どこまで行っても僕は監督という立場でピッチにいるのはメンバーのみんなだ。
直接指導はするものの専門分野にはコーチがいて、そのコーチがメンバーと直接コミュニケーションをとっていく。

結果的にその試合に勝てるかどうかが重要であるが、そのシーズン通して勝ち続けられるかも非常に重要である。
監督がプレーヤーより優秀で(だと錯覚して)ピッチに出て自分がゴールを決める、しかしそれを毎試合することはできないからいつかメンバーに渡さなくてはいけないのだ。

メンバーも同じように重要で、決められたルールとポジションと作戦で動かないといけない。

このゲームでは決められたルールの中でチームで勝つことが目的であり、
そしてこのゲームには全員に給与が発生している、プロなのである。

僕がプロだと感じるのはこの決められたルールなどの中で最高のパフォーマンスを出し続けているかである。

こんな話をすると「仕事ができる人が偉いんですか!」「仕事できる人が重要なんですね」などと言われる場合もあるのだけれど、
それは次のトピックで書きたいと思う。

別人格で参加することができる


まさに先にアップした画像の通りなのだけれど、仕事はゲームなので自分自身で参加しなくていい。
いわばアバターで参加しているようなもんだ。
普段は控えめな人でもゲームではかなり攻めるのが好きだったり、
日常生活では血気盛んな人でもゲームでは慎重派な人たちも多いだろう。

実は僕は仕事というゲーム上ではかなりイケイケどんどん(死語)なタイプだ。
60%の成功確率を100%にするのが仕事だと思っているし、交渉することで前に進むことは自ら進んで交渉する。

かなり積極性が強い人である。

しかしプライベートの人格は本当に真逆で根暗で、できれば複数人が参加する寄り合いは参加したくない。
喧嘩は嫌いで過去に習っていた格闘技以外で人を殴ったことはないし、滅多なことでは熱くならない。
趣味はピアノ、絵を描くこと、英会話など文系が多く数字のことは全く気にしない。

正直プライベートの自分と仕事の自分は真逆のパーソナリティーだと思う。

僕にとってはとてもとてもありがたい、自分自身で自信がないことを仕事というキャラクターをかぶって8時間のゲームに臨むことができる。
普段は控えめで言えないことも仕事の自分であればきちんと伝えることができる。


逆も然りである。
仕事というゲームにおいては仕事の役割を演じる必要がある。
自分がどれだけゴールを打ちたくてもディフェンダーとして役割を得たらディフェンダーとしての責務を果たさなくてはいけないし、普段どれだけ控えめであったとしてもフォワードになったら積極的にゴールを狙わなくてはいけない。
また試合の目的は「勝つこと」であるからこの試合に意味を求めることは許されない。
もちろん怪我人を出して長期的に戦えないなどの場合を除いて勝つために必要な判断をその場でやらなくてはいけない。

ポジションを間違えていたり動きが遅い人がいたら指示を出してゲームをスムーズに進行しなくてはいけない。

いい面は本当に自分を隠して自分だけの居場所を作ることができること、
逆は本当の自分がどうかは置いておいて必要なパーソナリティーで参加する必要があること。

重ねてになるが、これはプロとしてゲーム勝つための人格で臨む必要があるとの言い換えでもある。

同時にこの8時間のゲームが終了した瞬間からは切り離せばいい。
プライベートで会う人は全く別の人格であるし、周りに何を言われるでもない。

相手のことも仕事だけで判断してはいけないし、自分も判断されることを恐れてはいけないのだ。
だってプロゲーマーだから。


好きなゲームを選択することができる

就労の義務があるから誰しもがゲームには参加する必要があるが、ゲームを選択することができる。
サッカーが苦手なら野球でもいいし、サバゲーでもいいだろう、
恋愛趣味レーションゲームでもいいかもしれないし、パズルゲームでもいいかもしれない。

そして同時にチームを選択することができる。
もちろん合否はあるだろうが自分がプレイしたいゲームと場所は自分で選択していくのだ。

自分の能力が活かせる場所かもしれないし、
自分が居心地のいい場所かもしれないし、ゲーム外の時間を充実させるために契約がいい場所かもしれない。

ここで間違えてはいけないのは「どの場所であれば自分がプロでいられるか」を考えなければいけない。
パフォーマンスに対して給与を与えられている限りはそれに見合ったパフォーマンスを出す必要がある、そしてそのパフォーマンスは結果として「チームの勝利」につながらなくてはいけない。
どれだけトレーニングを真面目にやったり、試合中の移動距離が多かったり、
ボールを奪った数やシュート数が多かったとしても結果として「勝つ」といことを前提にパフォーマンスしなくてはいけない。

それはなんのゲームをしたって変わらない。
だからどこなら自分がプロとして仕事ができるのかを考えなくてはいけないのだ。


仕事はゲーム

仕事はゲームと言い出すと「真面目にやっていることをゲームと呼ぶな」とか言われちゃうかもしれない。
しかし僕はプロのゲーマーとして仕事に参加してほしい。
同時にそのプロ以外の時間は法律をおかさなければ自堕落であっても、プライベートで酷いことをしていても、甘々なパパであろうとなんでもいいと思う。
だって僕たちはプロゲーマーとして8時間を生きているから。

どれだけ辛いことがあってもそれが仕事の出来事なら「まぁゲーム内での話」でいいと思うしどれだけ嫌いな人がいても「まぁゲーム内での話」でいいのだ。

とはいえなかなか割り切ることは難しいのだけれど、プロ意識ってのを24時間持ち続けるのはとても難しい。
だから仕事の時間だけはゲーム開始のの笛が鳴って、終了の笛が鳴り終わるまでプロでい続けられればいいんじゃないだろうか。


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