240410 東京春祭 歌曲シリーズ vol.38 ルネ・パーペ(バス)&カミッロ・ラディケ(ピアノ)@東京文化会館小ホール
プログラム:
モーツァルト:無限なる宇宙の創造者を崇敬する汝らが K.619
ドヴォルザーク:《聖書の歌》op.99
休憩(20分)
クィルター:《3つのシェイクスピアの歌》
ムソルグスキー:《死の歌と踊り》
[ アンコール曲 ]
シュトラウス:献呈
シベリウス:安かれわが心よ
シューマン:若者のための歌のアルバム 作品79より
第21曲子供の見守り
トリのムソルグスキー以外は未聴。予習しようか迷いつつ、もうぶっつけ本番でもいいか〜〜それなりに楽しめるだろうと踏んで、ほぼ予習なしで挑みました。
キャパシティ645席の東京文化会館小ホールを、ほぼ満席で埋め尽くしていたことに、まず敬意を表します。
バスのリサイタルは、とにかく集客に苦労するものですもの。
まあ、パーぺ氏は日本でとりわけ人気のあるバス歌手であるが故の集客となった気がしますけど、ネ。
声の力、艶、歌い回し、そして表現という点においては、文句なしだったと思います。
ハプニングもありましたけど、調子が悪かった、とは、少なくとも私は感じませんでした。
♪モーツァルト:無限なる宇宙の創造者を崇敬する汝らが K.619
これだけは、前々日にYouTubeでディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ氏の歌うクリップを一度だけ聞いておきました。
これを聴いた時には感じませんでしたが、パーペ氏の歌うのを聴いて「なんか、魔笛っぽくない?!」ということに気がつきました。
後から解説を読んだら、フリーメイソン云々とも関わりがあるようですから、さもありなんです。
https://www.tokyo-harusai.com/wp/wp-content/uploads/2024/01/RenePape_note.pdf
♪ドヴォルザーク:《聖書の歌》op.99
ところどころロシア語ちっくな単語が聞こえてくるなあ〜〜と思っていたら、チェコ語でしたね。
(そのぐらい把握しとけよ!なんだけど。。。ごめん)
これは全く予習なしでした。
でも心から引き込まれました。
長年のキャリアの晩年期に差し掛かった歌い手だけが会得できる、ワンランク上の高みに達したかのような、角の取れた丸みのある表現・・・
生きていく上で起こる、諸々の軋轢、葛藤。
いろいろな垢のようなものがこびりついての、自己の肯定・・・
人生におけるさまざまな機微を暖かく朗々と、かつ哀愁をもって歌い上げた感じがして。。。
曲の内容も全く予備知識なしでの状態だったにも関わらず、
13年前のトッパンホールでのリサイタルのことを頭の片隅に起きつつ、
聴きてとしても、さまざまなことが走馬灯のように脳内を駆け巡りました。
後半。
♪クィルター:《3つのシェイクスピアの歌》
ごめんなさい。クィルターという作曲家すら存じ上げず。。。
この曲に関しては
「うーーーん、兎にも角にも、英語ってこーいう、クラシックの音型には合わん言語だよなあ・・・」
としか、言えない^^;
この時⏬にも、同じことを感じたのでした。
そして、トリの
♪ムソルグスキー:《死の歌と踊り》
これは13年前のトッパンホールでのリサイタルの時にもメインのプログラムとして、歌って下さいました。
理解の深さ云々はさておき、私はこの作品を、私なりにずーっと(15年位?!)愛し続けていて、そしてその愛は多分ライフワーク的に続くと思うんだ。。。ってくらい、取り憑かれています。
なので、色んな歌手さんが、各々の表現、解釈で歌って下さるのを聴き比べたりするのも好きなんですが、
そんな、私が愛してやまない作品を、ですね。
同じ歌手が2度も、東京で歌ってくださること自体が奇跡的、且つ、なんと幸せなことだろう・・・と、とにかく感謝の気持ちでいっぱい。
13年前は
「彼の【この作品は100%押せ押せ男性的な解釈だけでは表現しきれない】のよねえ・・・」的な感想を抱いてたんですが、
ニュルンベルクにあるハンス・ザックスの銅像まんま、なような丸みと白髪に落ち着いた見た目にも少々引きづられたかもしれませんが、
上述したように角のとれた歌いくちでありながら、声色を使い分けつつ、性を超越した語り部のような劇的な表現は、少なくとも私にとっては13年前には感じられなかった落とし所であり、グッと来ました。
「死の歌と踊り」は
・子守唄
・セレナーデ(セレナード)
・トレパーク
・司令官
の4曲構成となっている作品です。
とりわけ、最後の「司令官」は細かなパッセージが続く音型です。
この曲の後半で
「ん?ブレスが浅く音色も薄く感じる・・・」
と感じた箇所は、確かに存在します。
しかし「ああいう表現なのかな」とも取れました。
X(旧ツイッター)でも、色々と憶測を呼ぶポストが散見されますが、
もしかしたら、2時間余りにわたるリサイタルのペース配分上、少々息切れしたのかな。。。と、私は推測します。
そこんところは、おそらくご本人が一番実感なさっているところであろう。。。と察します。
(つまり。あんまりギャンギャン憶測で言うのは「ヤ・ボ」じゃね?!ってことよ)
長年の盟友でもいらっしゃる(であろう)ピアノのカミッロ・ラディケ氏と言葉を交わしたあと、彼が「大丈夫だよ」というような感じで、パーぺ氏をポンポンなさっていて。。。
心に刺さったシーンでもありました。
けどアンコールは、たっぷり3曲!
最初はR.シュトラウスの「献呈」
これは13年前のトッパンホールでもご披露なさってたけど、嘗て彼の熱烈な追っかけをしていた、今回も同行した友人曰く
「10数年前のフランクフルトでのリサイタルでも歌ってたヨ」
ってことなので、これはもう、彼の「お約束」でもあるのよね(^^♪
先ほど(慰めてもらった?!笑)ラディケ氏のピアノの側で、彼に寄り添うように暗譜で歌ってらっしゃいました。
そして2曲めはご自身ではにかむように
「シベリウス」
とおっしゃって。
流石にこれでもう終わりだよねえ?!カテコは撮影OKと事前に伺っていたので、カメラを構えていたら
え?え?もう一曲歌って下さる?しかもシューマンかよ?!?!(嬉しいびっくり!!!)
思わず、シャッター切ってしまいました。
最後は譜面を自ら仕舞って「これで、おしまいですヨ」的ジェスチャーされていたのが、微笑しかったです。
ピアノのラディケ氏は、13年前同様に素晴らしかったです。パーペ氏とは阿吽の呼吸で、決して出過ぎない。でもパーペ氏が彼を絶対的に信頼している。。。ということは、色んなところから伝わってきました。
漏れ聞こえてきた隣の席の(年配の)ご夫婦曰く
「(13年前の)トッパンホールでのプログラムの方が万人うけするわよねえ」
ってことですが、案外そういう感想をお持ちの方々もいるんでしょうね。
全く個人的な話になりますが、私がパーぺ氏を初めて実演で聴いたのは
今から20年前の2004年、ベルリンでの「ドン・カルロ」のフィリッポでした。
その時の鑑賞メモがきっかけとなり、自分のHP(のちにブログ)にアップしたことから、いろいろと交流関係が広がり・・・
今回同行した旧友とも、それらのポストがきっかけで交流が始まり、そこからさらに、色んな方々とのお付き合いが広がったのでした。
「この人(=パーペ氏)に出会っていなかったら、今の私のクラシック(オペラ)交流関係の輪は芽生えていなかったんだなあ・・・」
と。
実際、私が今、追いかけている歌手も、パーペ氏が絡んでいるっちゃ、いるわけで。
パーぺ氏は数年前に、自身の(いわゆる心の闇と言っても過言ではない)発言がきっかけで、長年良好関係を築き上げてきたMETとも袂を分かち、
もしかしたら長期の休養が必要、さらにはそのままキャリアを終えてしまうのでは?!とも危惧していました。
個人的には今回の来日そのものが危ぶまれてもおかしくない状況だったと推察します。
でも来てくださった。長年彼に付き合っている、盟友ピアニストのカミロ・ラディケ氏と共に。
もう、とにかく
「来てくださってありがとう」
それしか、言えないでしょ。。。
んで、また何年かしたら。
日本でリサイタルして欲しいです。
日本の観客は、貴方のことを、ずっとずっと長く熱烈に応援しているから。。。ってこと(男女問わず)
本当に、本当に。。
来てくださってありがとう。久しぶりの貴方の生の歌声に、心を持って行かれた聞き手は、大勢いらっしゃいますよ。。。