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親の運のおかげで、生きてこれた

いや、まだ現在形で生きてるとも言える。

ついこの前、なんだかついてない、というか、パッとしないことが続いたもので(それ自体は大したことなかったのでもう忘れたw)、ついつい思わずこんなタイトルの欽ちゃんの本を読んだんです。

「ダメなときほど運はたまる」

全体のポイントとして、運が悪いってことは、その分、これからのラッキーがたまってるってことなんだから、しめしめなんだよ、ということ。

ゆえに、むやみやたらに運の無駄遣いはしないで、ほどほどのところでやめて置くのも大事、といったところかな。そして、その運を自分のためだけじゃなく大事な人のためにも使ったらいいよ、という。

欽ちゃんに比べて人生経験の厚みがまだまだ足りない私なんぞが書いたらとっても陳腐な話になりそうで、ここでは具体的なエピソードは書きませんが、この本を読んで自分自身に照らし合わせて思ったこと。それは、

私のラッキー人生は、親が貯めてくれていた運の恩恵でしかなかったんだな

ということ。

うちの両親は古風な感じで、父が働き、母は専業主婦。家は分譲だが団地、家族四人で住むには、事困らないがちょっと狭かった。

うちの親は、贅沢を好まない。今でも堅実に生活をしている。二人とも、金銭的には豊かな家には生まれ育っていなかったことが影響しているのかな、と思う。その彼らがコツコツと蓄えてくれた運のおかげで、私や兄は、特に不自由なく、ラッキーな人生を送らせてもらっていたのだな、と思った。

貧しい家に生まれていたら、反動でお金を使いたくなってもおかしくないと思うのだけど、父も母も、食うには困らず、能力を認めてくれる人が必ずそばにいたようだ。例えば、父は頭が良かったので、高校だけは奨学金で行けるようにしてくれた恩人がいたようだし、母に関しては農家なので基本的な食べ物と家に困ることはなかったよう。恵まれなかったこともあったのかもしれないが、惨めな想いは、したかもしれないが、それでも、光もずっと失わずに済んでいたのかも、と思われる。

あ、ちょっと訂正。欲しいものが買えなかった少年時代のせいもあってか、父は興味を持った新しいものには投資を惜しまない。テレビやレコードプレーヤー、コンポやパソコン、ビデオカメラやビデオデッキ、FAX、プリンター、デジカメなどなど、電化製品に関してはそれなりにいつも揃っていた。いただきものも含めてだけれど。また、漫画がいつも家にはたくさんあった。本が重要だと考える父は漫画も積極的に読んでいたので、父と兄と私はいつも月曜日に一緒に少年ジャンプを読んでいたものだ。

子供への教育にもお金を惜しまなかったように思える。自分がやりたいと思った習い事はさせてもらえた。さすがにわたしが、大学にいくために怪しい予備校に行きたいといったときには、進研ゼミも続かないおまえが出来るわけがない、と、許してもらえなかったけれどw。ぶっちゃけ、進路も対して考えなかったのに塾に行きたいとほざいたわけなので、そういう浅はかさを見破られていたのだと思われる。事実、反対されても、悔しさとかはまるで無く、しゃーねーな、って感じだったし。

その代わり、ひょんな縁で見つけた、地方にあるアメリカに留学するための学校に行きたい、と言った時は、ひとつも反対されなかった。塾なんかより、長期的にお金はよほどかかるのにね。

一方母も、あまり欲がない。昔の母の写真を見ると、なかなかオシャレ。小柄なのもあって、オーダーメイドが多かったらしい。なので、今でも服とかをお金をかけても良さそうなもんなのに。

どうやら母方の実家は、じいちゃん、どうもお金で苦労していたようだ。じいちゃんは真面目に働いてても、他の誰かが何かしらお金でやらかして、その肩をじいちゃんが持つ。その繰り返し。じいちゃん自身はとても優秀な頭の良い人だったのに、自分は働き、弟の学費を稼いであげていたらしい。そんなのを見てきたから、きっと、お金があるような生活をして、トラブルに巻き込まれるのも嫌、というのが染み付いてるのかな。

その二人が、質素な生活を続けて、運をためつづけてくれたからこそ、こどもはその親の恩恵を受けて、今までラッキーまみれで生きてこれた。

今まで食べ物に困ったことはないし、バイトを常にしないといけないような生活ではなかった。洋服も、いつもなんでも、とはもちろんいかないけど、それでも、買ってもらえなくて悔しかった記憶は、ほとんどない。まあ、あんまり過去のことは全般覚えていないっていうのもあるけど。

自分に自信が無くて、人に対してひがんだりうらやんだりとかそういうのは非常に強かったが、用意された環境や運周りで、ものすごくひどい目にあったことは無いし、その瞬間はきつくて逃げだしたくて、理不尽だと思った出来事があっても、なんだか何とかなるし、何とかするし!と思えて、最終的には結果オーライ。

自分の努力もあった!ともちろん自分を称えてあげているが、でも、やはりうちの両親が自分たちの欲のためだけに身にならない散財をすることもなく、かといって、心が荒むようなとげとげしてしまうようなケチっぷりを発揮していたでもなく、そんな最高のバランス感覚で、自分たちの運を使いすぎず、気づいたらたくさんたまっていたその運を、子どものために使っていてくれていたのだ、と、腑に落ちた。

このコロナになって、そんな悠長なこと言ってるより明日の生活をどうにかせんといかん!とどうしても思ってしまいがちだけれど、命ある限り、これからそれでも人生は続くわけで。今のこのタイミングでこの本を読むことは、先行きが見えない世の中であっても、家族や友達や恋人や見ず知らずの人や、とにかく誰かと一緒に幸せになるために、とっても必要なことのような気がした。

まだ続編は読んでいないので、こちらもちゃんと読んでみよう。





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