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#1 一彦(栃木県日光市)

2015年5月22日

これからしばらくの間、
居座ることになった栃木県の田舎町。
ちょうど日光と鬼怒川温泉の玄関口にあたる
今市(いまいち)という駅が最寄り駅である。

とっぷりと日が暮れた頃、
アパートから一人でぶらりと外に出た。
夜は空気がひんやりとしているが、
一日中太陽のひかりを浴びた体には丁度いい。
灯の少ない夜道はともすれば薄気味悪いぐらいだが、月明かりに照らされた田んぼの水がきらきらとして、あちらこちらでカエルがゲコゲコと鳴いていた。
赤信号の交差点も電車の踏み切りも、
ひっそりとして、たまに通り過ぎる車のライトがやたらと眩しい。
夜は暗い。
当たり前のことに気づかされる。
駅前の通りに出ると少しだけ明るくなったが、やはり人通りは少なく閑散としている。
居酒屋の看板をいくつか通り過ぎてから
薄暗い路地の奥に灯りが見えた。
何となくいい予感がした。

ひび割れた入り口の扉の奥にせいぜい7~8人のカウンター、男性の店員が二人、暇そうに話をしている。
『まだやってますか?』
と声を掛けると
『あぁ、8時半ぐらい……までかな(笑)』
カウンターに座りひとまず瓶ビール。
ごくりと飲み干してから
ヒレカツ定食を注文した。
それからはまぁ、ご想像の通り、
すいっと会話が始まった。
店を切り盛りするお二人はご兄弟で、
この店は先代から数えて48年目だという。
オレたちは田舎者だから…と笑うけれど
地元への愛情とよそから来た人間への優しさが言葉の端々に滲んでいた。
ヒレカツの皿が出てきたときに
『ゴハンは欲しいときに言ってね』
と言われて
この店は当たりだと確信した。
大ぶりなヒレカツを口に運び一言
『美味い』
おじさんたちは嬉しそうに笑った。
『味噌汁、赤だしじゃないんですね』
『そうだなぁ、ここら辺は白い味噌だなぁ』
『美味いっすね……』
『おかわり欲しかったら言ってね』
結局、ゴハンもおかわりした。
『しばらく居るなら、何かあればおいで。別にうちで食べなくてもいいから。他に美味しい店もあるから紹介するよ。』
せっかくこの町に来たのだから。
この町の人と話がしたい。
何も無い町だなぁって退屈そうな顔をすると
自分が退屈な人間になってしまうから。