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住所不定のノマド生活 in サラエボ/ボスニア・ヘルツェゴビナ

現在、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに滞在しています。

ボスニア・ヘルツェゴビナといえば、日本人にとっては元サッカー日本代表監督の故イビチャ・オシムさんが一番馴染みがあるかと思いますが、その他にも第一次世界大戦勃発の引き金となったサラエボ事件、旧ユーゴスラビアの解体の過程で起こった民族紛争(サラエボ包囲)の現場としても知られています。

滞在中は、ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史や民族間の複雑な関係などを本で読んだり、現地の人からお話を聞いて自分なりに学んできたので、そちらについては改めて別の記事でまとめたいと思いますが、この地域(旧ユーゴスラビア)の複雑さを端的に表す言葉が下記です。

「七つの国境、六つの共和国(スロヴェニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア)、五つの民族(スロヴェニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人)、四つの言語(スロヴェニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語)、三つの宗教(ギリシア正教、カトリック教、イスラム教)、二つの文字(ラテン文字、キリル文字)、一つの国家(ユーゴスラビア)」

このうち、ボスニア・ヘルツェゴビナでは、クロアチア系・セルビア系・イスラム系(=ボシュニャク人。15世紀から19世紀にかけてオスマン帝国支配下で、イスラム教に改宗した南スラブ人の末裔)が地域を区分けして住んでいましたが、この3民族の対立により、1990年代の民族紛争が起こります。

現在でも、ボシュニャク人が多く住むボスニアエリア、クロアチア系が多く住むヘルツェゴビナエリア、セルビア系が多く住むスルプスカ共和国という形で区分けして、平衡を保っています

と、硬い話はここまでにしておいて、今回はそんなボスニア・ヘルツェゴビナの首都であるサラエボ(ボスニアエリア)で1ヶ月を過ごした様子(平日のルーティーン)をお伝えしたいと思います。

8:00 起床・洗顔・日光浴・瞑想

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今回、Airbnbを利用してアパートの一角を貸切しました。

1リビングルーム、1ベットルームの広々とした空間、街の中心部に位置する好立地、夏のヨーロッパのバケーションシーズンでありながら、1ヶ月で8万円程度の良心的なお値段。

サラエボは標高約500mに位置する盆地にあり、夏は乾燥し暑いと聞いていましたが、その前に滞在していたバルセロナと比べると、暑さはそこまででもなく、エアコンも扇風機も使用せずに生活ができました。

イスラム教徒が多く暮らすサラエボでは、1日に5回、アザーン(イスラムにおける礼拝の時刻を告げる肉声による呼びかけ)が、スピーカーで流されます。

流されるタイミングはそれぞれ、夜明け、午前中、お昼、日没、就寝前。

滞在初期は、毎朝5時半ごろに突然流れるアザーンの音に目が覚めていましたが、じきに慣れました笑

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いつも通り、8時ごろ起床するとまずは、髭剃り、洗顔、保湿で若づくり。

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このアパートのもう一つ好きな点は、バルコニーがあるところで、朝イチで日光を浴びながら軽くストレッチ。

そして、日課の瞑想を15分程度行います。

8:20 コーヒー

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コーヒーミルを導入したことにより、すっかり滞在先でコーヒー豆を購入し、自分で挽いた豆でおいしいコーヒーを楽しむことにハマってしまいました。経済的だしね。

8:30 英会話レッスン

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コーヒーを飲みながら、30分ほど英会話のレッスンを行います。

サラエボは、短期(一ヶ月)の滞在のため、中々地元の人と知り合う機会もなく、日によっては誰とも話さない日もあるので、さりげなく英会話レッスンは社会とつながる一助にもなっています泣

9:00~12:00 仕事

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デザイナーである筆者は、リモートで日本のクライアントさんとお仕事をしています。

普段はカフェで仕事をすることが多いのですが、このアパートは、サラエボという街の歴史をたどるように、オスマン帝国(イスラム)とオーストリア=ハンガリー帝国(ヨーロッパ)の文化が混ざり合ったような素敵なインテリアで居心地がいいので、家で仕事をしていました。

12:00~13:00 運動

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仕事がひと段落したら、外に出て、日光を浴びながら運動をします。

インフルエンザウイルスや新型コロナウイルスなどの感染症を予防するために有効だと言われているビタミンDの生成に、屋外での日光浴は大切なルーティーン。

13:00~13:30 昼食

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運動を終えたら、バルコニーで昼食。

普段食べているほうれん草とブロッコリーがサラエボでは入手できなかったので、サラエボ滞在中は、トマト・アボガド・卵・ヨーグルト・オートミールを食べていました。

13:30~14:00 シエスタ(昼寝)

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最近、昼食後に15分程度のシエスタ(昼寝)をしています。

ゴージャスなソファ、アパートオーナーの描いた素敵な絵画に囲まれてしばし休息。

14:00~17:00 仕事

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午後も引き続きアパートでお仕事。

17:00~18:00 お茶

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その日のタスクが完了したら、街に出かけます。

疲れた脳を労わるために、カフェでお茶。

イスラム教徒が多く暮らしているサラエボでは、敬虔な信者はお酒を飲まないため、その代わりとして、カフェでのお茶の時間が仲間や家族との大切な憩いの時間

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現地の人が好む「ボスニアンコーヒー」は、粉状のコーヒーを水から沸騰させて煮出して、粉が沈んだところで、上澄みを飲むというスタイル

15世紀後半頃から支配下にあったオスマン帝国の影響で、トルココーヒーと同じような飲み方です。

そして、お茶請けとしてよく食べられるのもオスマン帝国発の「バクラヴァ」

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これは、トゥファヒヤというりんごを煮詰めたオリエンタルなお菓子。めちゃ甘い。

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なにげにスイーツ大国ボスニア、甘党の筆者には最高です。

18:00~19:30 散歩

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趣味が散歩である筆者。

オスマン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国といった西洋と東洋の文化的混合が見られる美しい街並み

そして、サラエボ事件、サラエボ包囲(民族紛争)といった悲しい歴史の爪痕が街のいたることろで見られるサラエボでの街歩きは、非常に有意義な時間でした。

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サラエボ包囲網の時代、あまりにも多くの死者が出たため、お墓のスペースが足りなくなり、公園や空き地に穴を掘って即席のお墓にしていたという(しかも日中は銃撃があるので、夜中、暗闇で銃撃がやむ時間帯に行っていた)。

お墓を見ると、死者の生まれた年は当然のことながら様々であるが、亡くなった年はどれも、1992年から1995年のどれかの数字が刻まれている。

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サラエボ包囲網の際の銃撃や砲弾の跡が今も残る建物。

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第二次世界大戦時、枢軸国の侵略に対抗して人民解放軍(パルチザン)を指導し、撃退。その後、ユーゴの終身大統領として国を引っ張ったチトー

そのカリスマ性で、複雑な民族問題を内包するユーゴスラビアをまとめていたチトーであるが、死後、民族対立が表面化して紛争に至る。

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サラエボ事件が起こったラテン橋

1914年に、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナントと妻のゾフィー・ホテクが行幸中に、オーストリア=ハンガリー帝国からのボスニア・ヘルツェゴビナの解放と南スラブ人の統一をめざす組織に属するセルビア人青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された。

これが発端となり、オーストリアがセルビア(親ロシア=三国協商サイド)に宣戦布告。

そして、三国同盟(ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国)と三国協商(イギリス、フランス、ロシア)の争いである第一次世界大戦が勃発。

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19:30~21:00 料理・夕食または外食

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夕食は、週の2/3は自炊、他は外食というような感じ。

この日は、オニオンスープ、トマトとチキンの煮込み、そして滞在中よく飲んでいたボスニアの赤ワインの組み合わせ。

ちなみにボスニア・ヘルツェゴビナはお酒が安く、このワインは1Lで350円。ビールは0.5L缶で100円ほどです。

続いて、外食の様子。

バルカン半島の肉を中心とした食文化と、オスマン帝国時代の食文化が混合したボスニアは、隠れた美食の国。

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サラエボのソウルフードであるチェヴァプチチは、香辛料を利かせた皮なしソーセージを玉ねぎとヨーグルトチーズで添えて、ピタで包んで食べる料理。

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各種煮物料理もおいしい。

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筆者が、サラエボで一番はまった料理は、ブレク。ボスニア・ヘルツェゴビナの国民食であるブレクは、薄いパイ皮の中にひき肉やほうれん草、チーズなどの具をたっぷり入れた料理。

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ボスニア風水餃子であるクレペ。牛ひき肉が入った小さな水餃子をヨーグルトで煮込んだ独特の料理。

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ボリュームたっぷりのグリル料理。

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23:30 読書、就寝

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シャワーを浴びて、読書をしつつ、眠くなったら寝るようにしています。

毎日8時間の睡眠を取るように心掛けています。

おやすみなさい。


そんな筆者の日常はこちら(YouTubeチャンネル)になりますので、よかったら御覧ください。

Vagabundo film



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