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【前編】生きるとは、自分の物語をつくることを読んでみて

僕がこの本を手に取ったきっかけ

僕がこの本をとったのは、ある記事を読んだことがきっかけだ。

この本を手に取った当時のことを思い出すと、僕は言葉というものがとても便利だけれども、とても厄介なものだと思い悩んでいた。

僕が友人と話に耳を傾けている時、「自由」「自己肯定感」「孤独」など様々なことに悩んでいるのだけど、なんだかその言葉の実体がいまいち掴めずにいた。言葉自体に縛られているのではないか、と。彼ら、彼女らは言葉の定義や意味とその言葉に付帯する自分の現状とを比較して苦しんでいるように見えた。

そんなことを思いながら、僕自身もそれらについての明確な解を持っていない。だから変に誤魔化して言葉を並べてもお互いがなんだか苦しくなる。そんなことが多かれ少なかれあった。

そんなときにたまたま小川洋子さんのインタビュー記事をみつけた。

小川洋子さんは「博士の愛した数式」や「妊娠カレンダー」などの数々の賞を受賞するベストセラー作家だ。そして同じ早稲田大学を卒業しているとのことだ(私は中退してしまっただが、、、)。だが、作品は知っていたものの、恥ずかしながら作者である小川洋子さんの存在をしっかり認識していなかった。けれど、その記事に書かれている言葉に僕は目を留めていた。

「正しい/間違っている」「美しい/醜い」「勝ち/負け」といった価値基準は、時代や場所、付き合う人によっても変わってくる。
小説の世界は、そういった世の中のさまざまな価値基準をいったん無意味にしてくれます。 だから長年、このややこしい現実世界を生き抜いていくために、小説という物語が必要とされてきたのではないかと思います。

「言葉は不自由な道具」小川洋子の遅くてはっきりしない言語能力

おそらく 多くの人は自分なりに正しく、美しく生きたいと願っていますよね。それなのに思った通りに生きられる人は少ない。それは生きる上で何らかの事情を抱えている から。

「言葉は不自由な道具」小川洋子の遅くてはっきりしない言語能力

仮に小説を読んでいて、現実世界なら切り捨ててしまうような嫌な人物が出てきたとしても、物語の中ではなぜか「彼にもそういう事情があるのか」と認めることができる。
そうすると、現実の世界に戻った時にも他者のことが理解できたり、他者の事情に想像力を働かせられるようになる と思うんです。

「言葉は不自由な道具」小川洋子の遅くてはっきりしない言語能力

言葉の不自由さについてフラッと調べた筈が、いつの間にか僕の関心事は
「物語」であったり、「小川洋子」さんという人に変わっていた。

そこで、僕は今回の本を手に取ったわけだ。

そして関心は小川洋子さんだけではない。河合隼雄さんという人物だ。

河合隼雄さんを知るきっかけを話す前に、僕の夢が関わってくる。今はそれを明かさないのだけれども、その夢の中のキーワードに「処方箋」というのがあった。

処方箋を思い浮かべてみると、医師が患者の病気の治療に必要なお薬の種類や量、服用法が記載された書類などだ。だが、「処方箋」というのはクスリだけのものではないのではないかと思うのだ。お医者さんは患者さんの病気などからくる「痛み」を和らげたり、治すお手伝いをする仕事だと思っている。その手段で、「クスリ」を「処方」するわけだ。

だとしたら、「クスリ」じゃない「なにか」でもいいのではないのだろうか。そんなふうに考えていた。そこで何かを「処方」する前に、患者さんはどんな「人」で、どんな「痛み」や「悩み」を抱えているのかを知ったり、「理解」できたりしなければいけないし、そんな人の悩みや痛みに寄り添う人たちのことを僕は知りたいと思ったのだ。僕は「」の部分をまず学ばなければいけないと思った。

そこで登場するのが、「河合隼雄」さんだ。
河合さんは臨床心理士として数多くの人々の悩みに寄り添ってきたお方だ。日本の日本臨床心理士資格認定協会を設立し、臨床心理士の資格整備にも貢献していることを考えると、日本の悩みに寄り添い、多くの悩みを最前線で耳を傾けてきたプロフェッショナルだ。そして私が尊敬している方々の多くが河合さんを尊敬している。

そんな河合隼雄さんは今はご存命でないから、僕は河合隼雄さんが残した数多くの本からその姿勢や考え方、態度を学びたいと思ったのだ。

こうしてひそやかに小説という手段で物語を紡いで現代人に処方箋を出してきた(著書はそんなふうに思ったいいないと思うが)小川洋子さんと対人で数多くの悩める現代人の痛みに耳を傾けてきた河合隼雄さんの夢のような対談集を僕はたまたま見つけてしまったのだ。

生きるとは、自分の物語をつくること

この本は「魂のあるところ」と「生きるとは、自分の物語をつくること」の二部構成で書かれている。

前段の「魂のあるところ」では、河合隼雄さんが小川洋子さんの「博士の愛した数式」を読んだというところから様々な話が展開されていく。

僕が前段で印象に残っているのは、「永遠につながる時間」の章で書かれている「魂と魂を触れ合わせるような人間関係」についての話をしているところだ。

やさしさの根本は、死ぬ覚悟

そもそも魂とは何なのだろうか?
本書の対談では以下のように河合さんが後述している。

お医者さんに、魂とはなんですか、と言われて、僕はよくこれを言います。分けられないものを明確に分けた途端に消えるものを魂というと。

善と悪とかでもそうです。だから、魂の観点からものを見るというのは、そういう区別を全部、一遍、後はさんにしてみることになんです。障がいのある人とない人、男と女、そういう区別を全部消してみる。

生きるとは自分の物語をつくること p29~p30

この言葉に対して、小川さんはこう返答している。

魂というのは、文学で説明しようとしても壮大な取り組みになりますけれど、数学を使えば美しく説明できるのが面白いですね。

生きるとは自分の物語をつくること p30

どういうことかというと、前述で書かれているのだけど

河合さん:
「無限の直線は線分と1対1で対応するんですね。部分は全体と等しくなる、これが無限の定義です。
だからこの線分の話が、僕は好きで、この話から、人間の心と体のことを言うんです。線を引いて、ここからここまでが人間とする。心は1から2で、体は2から3とすると、その間が無限にあるし分けることはできない。」

小川さん:
「ああ、2.00000000・・・・・・・・・」

河合さん:
「そうそう。分けられないものを分けてしまうと、何か大事なものを飛ばしてしまうことになる。その一番大事なものが魂だ、というのが僕の魂の定義なんです。」

生きるとは自分の物語をつくること p29

こんなふうに書かれておられた。

僕たちは線を引いて分けることを意識的にも無意識的にもやっていると思うのだけど、どれくらい本来分けられないものを分けてきたのだろう。
そんなことを思いながら読み進めていくと、今度は魂と魂の人間関係の話になっていく。

小川さん:
それで、その魂と魂を触れ合わせるような人間関係を作ろうとというときに、大事なのは、お互い限りある人生なんだ必ず死ぬもの同士なんだという一点を共有しあっていることだと先生もお書きになっていますよね。

河合さん:
やさしさの根本は、死ぬ自覚だと書いています。やっぱりお互い死んでゆくという分かっていたら、大分違います。まあ大体忘れているんですよ。みんなね。

生きるとは自分の物語をつくること p32


やさしさの根本は、死ぬ覚悟。

僕はこの言葉を見たときに、なんだか今まで眠っていたかと思ってしまうかのように目が覚めた感覚になった。そうだ、僕やあなたは死ぬのだ、いつか。

常日頃から、死を意識しながら過ごすということについて未だ実感はない。
けれども、僕らは遅かれ少なかれ死が訪れるということについて今一度考える必要性があるのではないかと思った。それが、結果的にやさしさにつながっていく。

「自分の生に限りがあるんだ」と自覚すると、きっと選択する行動が変わっていくのだと思う。死について、僕は対談を読んで真剣に考えうようとそう強く感じた。

後編へ続く

《今回の図書》

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