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■【より道-6】孤独死

時間はすでに13時を過ぎていた。朝から活動しておなかが減ったので、大井町駅近くの商店街にあるステーキ屋に入り、3人でランチを兼ねて献杯をすることにした。せっかくなんで、でかいリブステーキと生ビールを頼んで故人を偲ぶ。ちょっと脂っこいステーキ屋のテーブルの上で「死亡届」を記入しステーキをたいらげた後、品川区役所へ行き無事手続きは終了した。

あとは、葬式の段取りだ。

親族や知人が集まるわけではないので、ひっそりと火葬で終えることを希望しているが、これは、小野崎が紹介してくれた大田区の臨海斎場を予約することで解決した。

埋葬については、父が故人の徹さんと1年前に会ったとき、鎌倉の円覚寺に永代供養してほしいと依頼されていたらしい。円覚寺には、徹さんのご両親、弘(ひろむ)さんと博子(ひろこ)さんのお墓があるそうだ。

京都からこちらに来ると言っている博子さんの妹、佐藤信子(旧姓岡村)さんの息子さんには、実家の浦安近くにあるホテルにでも泊まってもらって、お葬式の時に今後の対応について相談しよう。できたら、信子さんの息子さんに諸々の対応を全部依頼したいが、遺書がないので話し合いが必要だ。

父と信子さんの息子さんは、互いに相続権のない従兄弟同士だから、ひとり15万ほどで火葬の費用は足りる。あとは、生活面の対応が心配だ。父が保証人になっているというウワサワのマンションは、通帳を調べると、いくらか貯蓄があったが家賃が月額17万円と高額だ。銀行から現金を引き出すことはできないが、口座引き落としなので数ヶ月は持つだろう。

ただ、死後1ヶ月となると、匂いも充満しているはずだからクリーニングをしなければいけないし、賃貸契約も解約手続きなどをしなければいけない。光熱費や携帯、その他資産も整理をするには、いったいいくらかかるのか。。お金のことばかり心配ばかりしてしまう。

そんな、バタバタした対応を終えなんとか週末をむかえることになった。明日は、大田区で火葬をするのでひと時の休息をとるが、心配事は絶ない。なんとも言えない疲労を感じながらマイホームで心と身体を癒やしていると妹からLINEが届いた。

LINE:「おとうさんがさ、お金全然もってないから、100万円近くのお金だと払えないと不安がっていて、税理士さんに確認をしたら、遺言書がない限り、相続の対象にならないから、貯金や信託はすべて国の資産になる。だから我々は相続しないから、色々とお金を支払う義務もないんだと。どこまで、やるか明日話をするともうけど、知り合いの弁護士にも確認してくれるみたい」

急にどうしたんだ。昨日、段取りをつけて方向性が定まったじゃないか。火葬の値段も30万程度でおさまると小野崎が言っていたし。京都からくる佐藤信子さんの息子さんと折半したら15万円で済むはず。。

いったい何があったんだ。

LINE:「なんかお布施に100万円かかるとか言い出してて、マンションのクリーニングとか、色々止めたりとかもやらなくてはと紙に書き出してたからさ」

LINE:「お寺のお坊さんが火葬場までお経唱えに来るとか言い出してるらしいわ」

LINE:「京都の人がそこらへんのことを、お坊さんと話してるらしいのよ、、」

ちょっ、ちょっと、待て待て、話がずいぶんとおかしなことになってきた。なんで急に今まで連絡を一切取っていなかった京都の従兄弟が、シャシャリ出てきたのだろう。

疎遠になっていると聞いていたし、永代供養のお金は徹さんが毎月支払っていたから、埋葬にお金がかかるとは思っていない。しかし、お坊さんが来て、戒名をつけるとなるとかなりの金額になる。しかも、鎌倉の円覚寺は海の見える由緒正しいお寺さまだ。

騒いでもしょうがないので、お葬式の日に京都の従兄弟さんが来られたら話し合いをしよう。もしかしたら、何かの認識違いでこちら側が「出過ぎた真似を出て申し訳ない」と謝罪しないといけないかもしれない。


葬式の日、父を迎えに車で実家に向かった。レインボーブリッジを渡り千葉の浦安までは、約1時間程で到着する。父を車に乗せてから豊洲で小野崎をひろい、大田区にある臨海斎場に向かった。

「佐藤信子さんは、俺が幼少の頃に亡くなった母の兄にあたる、弘(ひろむ)さんの奥さん、博子さんの妹なんだ。博子さんと信子さんは豊島家の人間で、雲州益田藩の家老。わが家の親戚で一番格の高い家柄の出身だ」

「元広島市長の佐藤信安さんとは、どういう関係なの?」

「それは、まったく別の佐藤だ。たまたま、弘(ひろむ)さんと博子さんが夫婦養子になった先が豊島家出身の佐藤信安さんだった。豊島信子さんが嫁いだ先も、たまたま佐藤家だったということだ。」

いつも通りたくさんの名前がでてきて相関図がわからない。チンプンカンプン。ただ、佐藤信子さんの息子さんが来ることだけは理解してる。

豊洲から高速道路にのると臨海斎場までは、25分ほどで到着した。だだっ広い駐車場に車を止めると2階のロビーへ案内された。

「佐藤さんを探してくるよ」

自分は、それらしき人を探しに臨海斎場をキョロキョロと見渡しながら探しだした。父は佐藤信子さんと連絡をとっていたが息子さんの携帯番号は聞いていなかった。

現地で落合う方法などの細かいことは決めてないようなので、一度、信子さんのご実家へ連絡をしてみると何とも礼儀正しい奥さまが電話に出られた。事情を説明し旦那さんの携帯番号を聞きだし携帯電話に連絡すると、無事に佐藤信子さんの息子さん、佐藤浩一さんに出会いご挨拶することができた。

どんな人が登場するかドキドキしていたが、浩一さんは、思っていた以上にめちゃくちゃ誠実な方だった。すでに、徹さんの件は、信子さん(お母様)の弁護士に相談しており、全て後処理をしていただけるとのことだ。相談や話し合いも必要なさそうだ。

やがて、円覚寺のお坊さんが到着する。お坊さんは、一言も口を開かない。いかにも格の高いお坊さまだ。火葬の順番がまわってくると、父と徹さん、自分と小野崎、そしてお坊さんの5名で徹さんをみおくり、徹さんの遺骨を拾い鎌倉の円覚寺に向かう。翌日、無事に徹さんをお父さんの弘(ひろむ)さんお母さんの博子さんと同じ墓に埋葬することができた。


「親族に連絡しないで欲しい」という徹さんの希望を叶えることはできなかったが十分対応できたと思う。しかし、身寄りのない孤独死は大変だな。誰かが対応をしなければいけない。死後の対応に希望があるのであれば、遺書を書いておいてほしかったが、徹さんも許してくれるだろう。


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