仏教の『足るを知る』を突き詰めて行ったら『働け!』に辿り着きました。
仏教には古来から『足る』とか『足るを知る』という考え方がある。
足りない足りないと考えるのではなく、
もうすでに足りていると考えられないか?的な考え方です。
もっとお金が欲しい。
でもよう考えてみたら実はもう足りてるんじゃないの?そんなお金って必要なん?そんな必死に働かなあかんの?ってかんじです。
大きすぎる欲望にストッパーを設けましょうよということでもあります。
僕には『働きたくない!』という大きな大きな欲望があります。現にいま無職であります。
しかし、
大きすぎる欲望に対して『足るを知る』というならば、
僕自身のこの『働きたくない!』という欲に対しても足ることを知れという事になってしまわないでしょうか?
『働きたくない!』という大きな欲望に対しての『足るを知る』とは、適度に働くということにななないか?論理的に考えればそうなってしまう……。そら文章も噛みますよ言う話です。
全く働かないとは『働きたくない!』という強すぎる欲望の暴走であって、
その状態は『めちゃくちゃお金が欲しい!』と渇望していることと本質的には同じである。
要するにどちらも欲望に振り回されている(=欲望の暴走、渇望)からしんどい。
欲望が大きすぎるから苦しい。
欲望が『足りてない』から苦しい。
僕の中の『働きたくない!』という大きな大きな欲望に対し『足るを知る』ことを実践するならば、
働き過ぎもいけないし、働かない過ぎもいけないこととなる。そうなってしまう…。
仏教的に『働きたくない!』を考えるなら、
「『働きたくない!』という欲望が強すぎてつらい・苦しいならその欲望を少し緩めて足り得ましょう。
少しだけ働くことを許してその働きたくない!欲を減らしましょう。そうすることで大きすぎる欲望は小さくなり苦しみが減ってあなたは救われるのです」、と。
あら不思議、
働きたくないのに逆に少し働くということを許すことで苦しみが抑えられるという結果にになりました。
要するに、
働け!
でも適度にな!!
である。
仏教の『足るを知る』をもってしても、
全く働かなくてもいいということにはならないのである。ニートさん無職さんには不都合な真実ですね。
そして無職な僕が言えることは一つ。
仏教がなんぼのもんじゃい
である。
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