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愛の無い言い訳

『他人と比べるな昨日の自分と比べろ』みたいことが言われがちではあるけど、
過去の自分と比べることも本質的には他者と比べることと同等であり、劣等感\優越感を抱くことに繫るのではないか?

この言葉は本当は他者と比べているにも関わらずその事を綺麗事で片付けているだけではないだろうか?

この思考法でいくと、
仮に毎日運動している人がいて今日は運動しなかったとなると、
昨日までの運動していた自分と比べて『おれはなんてダメな奴なんだ』と落ち込み劣等感を刺激されて自己肯定感を下げることにならないだろうか。

過去の自分であったとしても、比べるという行為にはどうしても優劣ができてしまう。

比べるのではなく、いまの自分を認めてあげる。何かをできた\何かをできなかったで判断するのではなく無条件にいまの自分を認めてあげる。

頑張ってるおれだから偉い\頑張ってないおれだから最悪とかではなくいまの自分をそのまま、

『いまのままのお前でええねんせやろ?』

と無条件に自分を認めて上げることができれな最強だと思う。何か頑張った自分の先で得られる愛は無償の愛ではなく条件付きの愛でしかない。無条件にというのが愛というものなんだと思う。

何かをできているとか何かを持っているとかでないと自分と他人を好きになれないのはそれは愛情ではなく損得勘定でしかない。何かを頑張った自分じゃないと好きになれないのもそれは損得勘定でしかない。多分。

お金を持っている彼氏が好き。優しい=自分に都合の良い彼女が好きetc‥‥。

まぁこれもまた自己啓発本を読み過ぎたおっさんの綺麗事なのかもしれないけど。いや単に働かないことへと長い長い言い訳なのかもしれません。

『無職のままのお前でええねんせやろ?』

ってことが本当の愛ですか?

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