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吉野敏明さんの新著「医療という嘘」/3章ロックフェラー医学と失われていく大和魂⑥

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■前回のお話

続きものなので全体を通して読むと面白いですよ(^。^)

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①国民皆保険制度とロックフェラー財団の関係性


ロックフェラー医学(西洋医学)の治療を受けるために、長期的に巨額な医療費を支払う能力が必要になる。だが治らない治療法なのでずっと医療費を支払うことは困難になる。安定的に医療費を徴収するには、国家が保険料として取り上げるシステムに移行させるのが必須というわけだ。


以下は国民皆保険制度が成立するまでの経緯

①1920年以前の医療保険と生命保険の加入は任意だった。給付金や掛け金も一人一人異なっていた。

②1922年に健康保険法が成立した。10人以上の従業員を持つ企業は、健康保健組合を通して、従業員の健康保険を提供することが義務づけられた。

③1934年に職域保険の対象を、「5人以上の従業員のいる会社」へ拡大した。

④1938年に内務省から分かれて厚生省が誕生し、国民健康保険法が制定した。

⑤1956年の時点では、日本の国民の人口の約3分の1が医療保険に未加入だった。

⑥1958年に国民健康保険法は改正され、すべての市町村における地域保険制度の成立が義務化された。

⑦1961年に国民皆保険制度が実現した。

政府は健康保険によって労働者たちが社会主義に傾倒するのを防ぐ目的があった。


②日本初の健康保険は労働者たちの社会主義を抑止するのが目的


健康保険法制定は国内で発生していた労働問題が関係していた。戦時中、炭鉱労働者や工場労働者などは、へいきん17〜18時間で休憩なしで、5、6歳の子どもも働かされていた。

肉体労働者以外は全員軍人。軽工場で働いていたのが女性や子どもたち。

結核患者が出ると村中の人が感染してしまい、社会全体が悪循環に陥るため、健康保険作って国民の健康管理を実現しようとした。

当時はプロレタリア文学(虐げられた労働者たちの苦痛と苦悩を題材にした文学)の流行により、社会主義による革命思想が労働者たちの間で支持されていた。雇われている人々が雇っている人への不満からの「階級闘争」が起こるのを危惧し、解消の手段として公的保険制度を利用したのだ。


工場労働者だけでなく、自営業者や農家までもが被保険者になり、それまで完全自由診療だった日本に公的医療制度として国民健康保険は生まれた。

1948年に厚生省ができた頃には医療施設のあり方の基本を定める国民医療法も制定された。20人以上の患者を入院させるための施設(20床以上)だけが病院とされるようになった。


「病院は、傷病者が、科学的でかつ適正な診療を受けることができる便宜を与えることを主たる目的として組織され、運営しなければならない」と規定された。

これにより、医者たちは医業の自由が制限されることになり、彼らはこの流れに反対した。

(続く)

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