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私がいるから大丈夫だよ

スーツパツパツな腕太夫、パシャリ!!!


夫は、飲み会の帰り、私の仕事帰りに合わせて
同じ電車に乗ってくれることが多々ある。


「どの車両?」「予定通り乗れた?」とか連絡し合っていたこともあるけれど、当たり前に合流して、当たり前に手を繋いで、当たり前に一緒に帰った。全てを当たり前にしたくはない。
でも、私たちの中で通じ合うことが増えているのは良いことだと思う。

電車の中で遠くから夫を見つけた時、
「ああ、やっぱりかっこいいな」と思った。家や車とか、同じ空間に居るときには生まれない感情。
スーパーや電車だとか公共の場で、まるで赤の他人のように遠くから夫を見るたびにそう思っている。
この感覚、賛同くださる方いらっしゃいますか。

夫は今春見事、栄典になった。もう家族だけれど、一人の人間として、他人として、社会人として、心から尊敬している。凄い、おめでとう!!!!!

でもね、普段絶対に仕事は家に持ち込まない、弱音を吐かないポリシーの夫が「ああー、不安やなあ」とボソッと口にしたのを私は聞き逃していませんよ。

不安だよね
でも
私には分かりっこないよね
でも
実は分かろうともしてませんよ
なぜなら
絶対分からないから
あなたは共感を求める生き物ではないから


その代わりに、自然と出てくる言葉がある。

「私がいるから大丈夫だよ」

という言葉。
夫は私より長く生きているし、言うまでもなく私より丁寧に物事をこなしてくれているし、私より多くのことを知っている。どちらが優れているとか、どちらに力があるとか、そういう話ではない。だからこそ、「私がいるから大丈夫」と伝えている。


未来のことなんか誰にも分からないから、
本当は大丈夫じゃないかもしれない。
でも
大丈夫にしなきゃだし
大丈夫って言ってあげたいし、
大丈夫になると思っている。


今思い返せば、私の母は「何があってもお母さんはあなたの味方だよ」と、私にずーーーっと言ってくれていた。


そう言い続けられていた私は、
怖いものはほとんど無かったように思う。

小学生の時、次のいじめるターゲットが私になる可能性も大いにありながら、いじめっ子に向かって「そういうのやめたら?」と言い放ち、友達の手を握って一緒にその場から逃げ去りもできたし、

中学生の時、自分だけ第6希望の楽器担当(周りはせめて第三希望ほど)になっても向き合い続け、結果的に楽器の掛け持ちまでして部長までも務め上げることができたし、

高校生の時、死ぬほど勉強しても周りとの差は広がる一方、それならば別の方法を!とクラスでごくごく少数派の積極的な大大大方向転換。(先生までも積極的ww)面接と小論文で国公立大の合格を秋には掴み取った。家的に私立は厳しかったのでgood !

19歳、初海外で一人で飛行機に乗り、無事インドの方に教えてもらいながら乗り継ぎ成功させ(初なら直行便買いなさいよ)、オーストラリアまで飛び立ち、1ヶ月そこで生活していた。あの時、母からは「あなたことはもう誰も止められないわ」と言われたのを覚えているけれど、こんな図太い私を育てたのはあなたです☺️ありがと。

22歳、就活中にコロナで採用を終了したとメール連絡があった時、話が違う事実があったので、社長に自分の想いと会社への想いを直談判した。特別枠で採用してもらったのが今の会社だ。

((今思い返せば自分精神強すぎん?))



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つまり

大切な人から無条件に信じてもらう力って偉大だ。

何の根拠もなくても良い。


これからも、進みながら、
大丈夫にしていくんだよね。


家族への愛、自分への愛のお話。


2024.03.15

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