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いっしゅうき 2020.12②


2020.12.16 WED
8日目です。出先で作業しようとノートパソコンを持って出かけたはいいけど、肝腎のデータが入ったUSBを忘れること、ありますよね。今日がその日でした。

渋谷区立松濤美術館へ行ってきました。初めて行きましたが、松濤、お洒落な街ですね。名前からしてすごいですもんね。松濤ですよ、しょうとう。漢字も読みもなんていうか「わかってる」もんな。なに言ってんだろうなわたしは。
美術館自体も立派で綺麗でしたが、隣にある食べ物屋さんまでホテルかなにかのようで驚きました。閑静で品のあるシャレオツな街並みで、けれどほんの数分歩けば渋谷の喧噪が溢れだす、とても不思議で魅力的な場所でした。なお、通りの写真の一枚でも載せられたらそれっぽいのですが、完全に忘れていたのでありません。USB忘れるやつが写真撮ることおぼえてられるわけがなかったな。解散。

美術館では、『舟越桂 私の中にある泉』展を観覧しました。

木彫の人物像で知られる、彫刻家さんの展覧会です。学校の教科書や書籍の装丁等で、作品を見たことのある方も多いのではないでしょうか。筆者も美術の教科書で知りました。言い方を変えれば、教科書で見たことあるひとだな、という程度の知識と興味で、せっかくだからと訪れました。
作品数はそこまで多くなく、疲れを感じず集中して鑑賞することができました。わ~これ見たことある~! という作品も、初めて見る作品も、どれも静謐ながら圧倒的な、たしかな存在感をもってそこにありました。線の細い人物像から、だんだんと異形の、見たことのない姿かたちをもつものの彫刻へ作品が移り変わってゆき、作家さんの作風の幅に驚かされました。

ずいぶん近くまで寄って鑑賞できるので、作品ごとの彫り跡や干割れ(なのかな? それとも意図して入れられた罅なのでしょうか)、背面や横顔までじっくり見ることができました。とある作品の背中、背骨のあたりに、傷痕のように何本も、細い線が彫り込まれていたのがなんだか印象に残っています。ほとんどの作品に玉眼がされていたのですが、すこし斜視の入ったようなものが多く、それがまた独特の雰囲気を生み出しているのかなと感じました。正面を見ているようで、みんなどこか遠くを見ている感じがするんですよね。目が合わないな、と。だから安心してじっと眺めていられるのかもしれません。

彫刻作品はもちろん、作品をつくるにあたってのドローイングや、創作に繋がるようなメモなんかも展示されていました。自らの内へ内へ潜っていくような作家さんの創作態度が窺えるものもあり、ああ、こういう自分に入り込んでいく作業、最近全然やってないなあ、と思わされました。自分について深く考えるのはとても疲れることだと思いますが、こうした作業を真摯に行うからこそ、魅力ある作品をつくりつづけられるのでしょう。

白っぽい楠から掘り出された人物たちに囲まれて、とても穏やかな気持ちで没頭できる、心地よい展覧会でした。入場料も一般500円と非常にリーズナブルですのでおすすめです。あとこれはどうでもいいことなんですけど、芸術に携わる人が我が子に付ける名前って、めちゃくちゃお洒落でかっこいいですよね。作家さんの年表に出てくる人名を見てつくづくそう思いました。わたしの本名を見せてやりたいな(自分の名前が気に入らないわけではないです)。

余談ですが、先程先週の「一週記」を投稿しました。いやあ、緊張しますね。読んでもらえていたらいいな。まあでも、淡々といきましょう。書いてるだけで楽しいからな。

2020.12.17 THU
9日目です。いやあ今日も一日引きこもったな!

相変わらず引きこもりを極めていて目新しいことはないのですが、ひとつだけ! ひとつだけ書けそうなことがあります!
少しまえに申し込んだとある舞台のチケットが当選しました。ご用意できましたメールがきました。びっくりしました。申し込んだことも忘れてたよ。野太い悲鳴を上げてしまったのでうるさかったらすみませんご近所さん。

なかなか倍率の厳しい作品のチケットなのですが、まさか当選するとは思ってもみませんでした。先週落とし物を届けたのが「徳を積んだ」換算されたのでしょうか。たしかにそのあと会った友人に「いや~なんかいいことあるかもしれねえな、ソシャゲのガチャとか」なんて軽口を叩いたりしましたが、こんなに大きな嬉しいことになって返ってくるとは思いもしませんでした。そもそも落とし物届けたのが「徳」なのかもわかんないんですけど。

この情勢ですから、無事幕が開くかも、上演が続けられるかも、わたしが劇場へ行けるのかもまだわかりませんが、まずはこの幸運を噛みしめたいと思います。いやあ、こんなこともあるんだな。

2020.12.18 FRI
16時上映の映画を観にいく予定だったんですけど起きたら15時だったんですよね。おまえはいつもそうだ。今日が最後の上映だったので悲しかったです。いつか観られるといいなと思います。

そういうことが朝(夕方?)にあったのでいつもどおり引きこもって拗ねていたんですが、は~もう知らんなんもせん、なんか楽しい映画みよ、と思い、マティアス・ハーネー監督の『ロンドンゾンビ紀行』(2012年)を観ました。


とある方のつぶやきで知って以来気になっていたのですが、いやあ、楽しかったです。メインメンバーにも退場者が出るのでしんみりした気分にもなりつつ、次の瞬間にはその悲しさを吹き飛ばすかのように盛大に銃器をぶっ放したりして、コンパクトながらエンタメ性たっぷりの非常に面白い作品でした。でもちゃんとグロテスクなので苦手な方はお気を付けくださいね。安納芋プリン食ってたら画面のなかでおじさんの下顎が食いちぎられたのでびっくりしました。
老人ホームに立てこもるおじいちゃんおばあちゃんたちの健闘も非常に果敢かつコミカルで、本人たちは必死なんですが観ているこちらとしては笑うしかない……というシーンに声を上げて笑ってしまいました。けれどそんな気持ちのまま突入したクライマックス、おじいちゃんおばあちゃんたちの勇姿に呆気に取られてしまいました。肝の据わりようがすごい。年の功はすごいな……と思いながら画面を見つめることしかできませんでした。イギリスの階級制度や貧富がうっすら透けてみえるのも味わい深かったです。

余談ですが、この1年は個人的に、ゾンビ映画をたくさん観たなと思います。といっても3本程度なのですが、これまでの人生でゾンビものを観た経験が皆無だったので、なぜいまこんなにゾンビものと縁があるのかさっぱりわかりません。
今日の『ロンドン~』もそうですし、先月?だったかな?にキネカ大森の名画座で観た『デッド・ドント・ダイ』もそうです。このふたつだけでも全然アプローチが違うのですが、恐らくどちらも変わりだねのゾンビものなのでは、と思います。『デッド・ドント・ダイ』なんかは特に。筆者はものすごく好きな作品だったのですが、めちゃくちゃ唖然としちゃったもんな。『ロンドン~』が軽快な笑いだとすれば、『デッド~』はもう笑うしかない、という笑いでした。でもめちゃくちゃおもしろかったです。どちらも好きです。


よかった先月で合ってた。もう時間の感覚がわかんないんですよ引きこもりだから。

もうひとつは今年の1月末、帰省した際に地元の映画館で母と観たとある邦画なのですが、途中から突然ゾンビものになったのでとんでもなくびっくりしました。いやたしかにネタバレ禁止!みたいに謳ってたけどまさかこのこと!? タイトルを出すと今後観る方にとってネタバレになってしまうので、ここでは布教したいのを必死に耐えようと思います。
ごくごく一般的な楽しい邦画が突如ゾンビパニックに陥ったので「だ、大丈夫かこの映画」と非常に失礼なことを考えたのですが、しかし予想をさらに裏切って大変面白い映画でした。ゾンビパニック、という世界観をうまく利用していて、なるほどこういう話もありなのね、と趣味創作人(そうさくんちゅ)のはしくれとして非常にタメになりました。
めちゃくちゃ面白かったのに、題材が題材なだけにこの面白さを喧伝できないのが歯痒いな、と思わされる映画でした。これめちゃくちゃ宣伝すんの難しいな。興行収入、大丈夫だったのかな。わたしたちが入った回、わたしと母以外にアベックさん一組しかいなかったんですよ。まあ田舎だから仕方ないのかもしれないですけど。近隣の振興局内唯一の映画館です。文化の砂漠は悲しいですね。実家帰りたいなあ。

2020.12.19 SAT
11日目です。いつの間にかふた桁になってた。ふた桁も書き続けられてえらい。

今朝は某呪術をなんやかんやするアニメの最新話を観ながら、某コンビニのスイートポテトパイとフライドチキンバーガーを食べました。スイートポテトパイもフライドチキンバーガーもとっても美味しかったですがアニメの展開は地獄でかなしかったです。

某呪術漫画はアニメからその存在を知り、うっかり全巻揃えてしまったくらいにははまってしまっているのですが、ずいぶん長いこと技名を叫ぶ系のバトル作品に触れていなかったので、まさか今になってこういったジャンルの虜になるとは思ってもみませんでした。
小学生くらいの頃は、それこそ『NARUTO』であったり『ONE PIECE』であったり、そういう胸アツな少年漫画系アニメを観ていた時期もあったのですが、中学生くらいからめっきり観なくなってしまっていました。理由はいろいろあるのですが、一因としては、筆者が非常に性根の曲がったいやながきんちょだったから、というのが大きいと思います。友情・努力・勝利のプロセスがいまいちしっくりこなかったようです。まあ性根の曲がり具合は今もたいして変わらないし下手したら悪化してるんですけど。

ただし、いっぱしに中二病じみた時期は通過しているので、小中学時代はよく異能力バトルのためのオリジナル異能力を妄想するなどしていました。思い出すと羞恥のあまり床を転げまわりたくなりますが、そんななかで考えた「カマドウマを使役する」という能力は未だ鮮明に憶えています。俗にいうところのベンジョコオロギですね。いやカマドウマ使役してどうする?

動物を使役する能力ってロマンがあると思いませんか。当時小学生だった筆者は、そんな情熱をこじらせた結果、めちゃくちゃ気持ち悪い動物を使役するイケメンキャラをつくりたい! という意味のわからない願望に行き着き、当時の担任の先生に「先生がこの世でいちばん気持ち悪いと思う動物ってなに?」と訊ねてみました。
結果、少し考えてから先生が教えてくれたのが「カマドウマ」でした。当時の筆者はカマドウマのなんたるかを知らず、かつ先生は「気持ち悪くてなまら跳ぶバッタ」としか教えてくれなかったので、まあとりあえず気持ち悪いバッタなんだな、と思い、嬉々として「カマドウマを使役するイケメン」を脳内につくりだしてほくほくしていました。
時は流れ中学生になり、更衣室の天井から突然降ってくるカマドウマや、グラウンド脇の側溝から溢れ出してくる大量のカマドウマを目撃した筆者は、ようやくカマドウマの真の「きもさ」を知り、戦慄しました。いやまじでカマドウマを使役するイケメンってなに? なにに使うんだカマドウマを。精神攻撃か?

でもやっぱり未だに、「気持ち悪いもの」と共にある美しい人、というモチーフにはとてつもない魅力を感じます。カマドウマを使役するイケメン、見たくなってきたな。少年漫画に出したらクレームの嵐だろうな。

2020.12.20 SUN
12日目です。10時上映の映画でも観に行こっかな、と思っていたところ12時に起きました。最近散財しすぎだからおとなしくやることやれってことなんだと思います。不貞腐れてやること少しもやらずにおえかきしました。いや~楽しかったな!!!

2020.12.21 MON
13日目です。いやあ冬至なんですってね。あと10日くらいで新年らしいですよ。この1年の記憶がねえな。虚空を見つめる以外になにして生きてたっけ。

わたしの実家では、柚子湯こそ縁遠いですが、毎年必ず南瓜は食べていました。おしるこに、餅のかわりにかぼちゃを入れるというものです。まわりで聞いたことがないので調べてみたら、どうやら地元ならではの食べ方だったようです。美味しいですよ。甘いものがお好きな方はぜひ。筆者はパスタを発火炎上させる程度の料理スキルしか持たないので、母が送ってくれたお菓子で代わりとしました。月寒あんぱんは正義。


林家こん平さんが亡くなった、というニュースを見ました。
小さい頃、祖母や祖父の横でわけもわからず「笑点」を観るのが毎週日曜の習慣だったのですが、当時いちばん好きだった噺家さんがこん平さんでした。あの元気で楽しい挨拶が、落語の楽しさなどなにもわからないがきんちょにも響いたのだと思います。こん平さんが出演されなくなってからは、なんとなく観る頻度が減ったようなおぼえがあります。

話は変わりますが、母方の祖父の誕生日が冬至でした。早くに亡くなってしまったので直接お祝いした記憶はありませんが、かぼちゃのおしるこをつくるたび母が「今日はじいちゃんの誕生日だよ」と言うのですっかりおぼえてしまいました(そういえば冬至って21日固定でしたっけ? じいちゃんの誕生日、もう少し遅かった気がするんですけど。毎年変わります?)。
こん平さんのいる「笑点」を観ていた頃は6、7人の面子がいたはずの実家が、祖父の死を皮切りにひとりずつ、まあいろいろな理由があって家からいなくなっていき、最後には筆者と母だけのふたりだけになっていたのだから世の中ふしぎなもんだなと思います。そんなことを言いながらわたしも今は家を出ているので、母もわたしも、当時の家の成員みんながそれぞれひとり暮らし中、という状況です。今思えば、わたしを含め家族ひとりひとりが、明らかに「家族」をやっていくには不向きな人間だったので、それぞれ気儘にひとりで暮らして、行事の折だけ集まって交流する、という方式がいちばん平和なのだと思います。

あの家に生まれなければこうして文章を書いたり絵をかいたり、その他もろもろの土壌は育まれなかったと思いますし、家族の仲もそれなりに良いのでこれでいいのだと思ってはいますが、それでもちゃんと何人もの人間がひとつ屋根の下で暮らし、お互い譲歩したり努力したりしてちゃんと「家族」として成り立っているよその家庭を見ると、純粋にいいなあと思ったりもします。ニュースに掲載されていたこん平さんのお写真を見てふと思い出しました。

2020.12.22 TUE
14日目です。おお~2週間だ。相変わらずなんもしない日々を送っています。

村瀬修功監督『虐殺器官』(2017年)を観ました。映画化が決まって以来ずっと気になっていたのですが、機会を逸し続けていまになってしまいました。原作を読んだのはずいぶんまえのことなのですっかり忘れてしまっているかな、と思っていましたが、観始めるとどんどん記憶が甦ってきて、ああこんなくだり原作にもあったなとか、あのくだりはカットしたんだなとか、おぼろげながら原作の記憶と照らし合わせながら楽しめました。おもしろかったです。それにしたって櫻井孝宏さんはこういう役だなあ。


原作を読んだ当時は、虐殺を生む言語、という設定がうまく呑み込めなかった記憶があるのですが、文系の大学に入り、専攻外ではありますがほんの少しだけ言語学系の講義を受けた今になってようやく、言語学と虐殺、高度な技術に溢れた近未来を結びつけるという伊藤計劃さんの創造力のすさまじさを(少しだけ)理解できた気がします。あくまで「気」です。もっかい原作読んでみたらなにか変わるかな。

『虐殺器官』を読んだのは、たしか中学生、遅くとも高校生の頃だったと思います。中学生の頃、一瞬だけSF小説にはまっていた時期があったので、たぶんそのあたりだったのじゃないでしょうか。
きっかけはたしかハヤカワepi文庫のジョージ・オーウェル『1984年』でした。当時、親に内緒でこっそり本屋に行き、気になった文庫本を適当に買って読む、というのをやっていて、よくわかんないけど面白そうだから買うか、と安易に手に取りました。なんか頭良さそうに見えたから創元推理文庫とハヤカワ文庫ばっか買ってたな。そこらへんからすでに馬鹿が滲み出てますね。
理解できたのかと訊かれるとまあおそらく理解できていないのですが、圧倒的な世界観と展開に、ああこんな救いのない小説が許されるのか、と「物語」に対する意識が変わったような感覚に陥ったのをおぼえています。そこから「SF」というジャンルを知り、『戦闘妖精・雪風〈改〉』や『虐殺器官』や『皆勤の徒』なんかを読み、円城塔さん作品を近所のちっさい図書館であるだけ借りました。『後藤さんのこと』がめちゃくちゃ好きだったな。

筆者は決してよい読者とはいえないので、内容を「理解」できたとは到底いえないのですが、その不思議な文体や見たことのない世界観が単純に目新しくておもしろく、重苦しい展開というのも大好きなので、一種の怪奇小説でも読むような気持ちでいろいろ読み散らかしていました。こうして挙げてみると、わりあい日本人作家さんの作品が好きだったようです。槙島聖護コラボの「紙の本を読みなよ。」帯に釣られて買った『ニューロマンサー』も『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』も、結局ほとんど読まないまま実家に置いてきちゃったしな。わかる方はああそんなコラボもあったなと思っておいてください。所詮オタクなんです。

全然関係ない話なんですけど、都会のいいところは、ちくま・創元・ハヤカワの文庫が本屋の棚いっぱいに並べてあることだと思います。実家の近所の本屋なんてちくま文庫は一冊も置いていなかったし、創元もハヤカワも常時10冊くらいしかありませんでした。
ときどき旅行で札幌に行くと、紀伊國屋書店のどでかい棚に大量のちくま文庫が並べてあり、都会ではこんなに簡単に、思う存分ちくまが読めるのかと驚愕しました。筆者にとって都会とは、ちくまと創元とハヤカワを好きなだけ買える土地、かつ国書刊行会の本が売っている土地です。まあ学生の小遣いでは2、3冊買うので精一杯だったんですけど。なんでわたしの好きな出版社、みんなセレブなお値段するん?  だけどそんなお高いきみが好きだよ。そのままでいてくれや。


ほんとうにありがとうございます。いただいたものは映画を観たり本を買ったりご飯を食べたりに使わせていただきます。