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いっしゅうき 2021.03⑤

2021.03.24 WED
106日目です。クリーニングはちゃんと出してきました。

新宿武蔵野館にて、リチャード・フライシャー監督『マンディンゴ』(1975年、アメリカ)を観てきました。

後味の悪い作品は人並みに観てきたと思うのですが、ひさびさに映画館の椅子から立ち上がるのがつらいほどの脱力感に苛まれた一作でした。つら。なんでこんなことに。

だいたいのことはついったに書いたのでご覧いただければと思うのですが、少し間を置いたいま改めて考えると、人種差別と同時に、女性蔑視についても非常に厭な描かれ方をしていたなと思います。筆者はわりとハモンドに注目して鑑賞していたので、途中狂的な言動に出る妻・ブランチに拒否感を持ってしまったのですが、いま思えば跡継ぎを生むことを強いられたり、貞操に関して(筆者の価値観からすると)必要以上に詰られたり(その「貞操」に関してだって、背景が明かされないためさまざまな可能性が考えられるものの、ブランチに同情する余地は十分にある気がします)、当時の社会が女性に強いていた「役割」が醜悪に描かれています。奴隷の女性においてはさらに顕著で劣悪です。
作中に現れるさまざまな差別的表現・過激な描写とともに、思わず目を逸らしたくなるようなつらい作品でしたが、フィクションとしての脚色がどの程度なされているのかは措くとしても、決して無視をしてはならない負の側面だなと思わされます。一部VODサービスでは配信もされているようなので、あったかくして心を大切にしながら、ぜひ一度観ていただきたいなと思います。

2021.03.25 THU
107日目です。用事があって、海へ行ってきました。いやあ海はいいですね。港町の生まれなので、海にはそれなりの愛着があります。筆者のなかの海は、空・海面ともに灰色で、冷たくて荒れており、カモメがうるさく鳴いている、海くさい、海水浴なんてもってのほか、といった風情ものです。きょうはなかなかに天気が悪かったおかげで、故郷の海によく似た、冷たくて恐ろしい海が見られて感無量でした。楽しかったです。今度は浜にも降りたいな。

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2021.03.26 FRI
108日目です。映画を観にいこうと思って初めての映画館へ行ったら、完全に道に迷い、同じ道をうろうろしている最中に上映時間になってしまったので、虚空を見つめながら帰ってきました。気になっていた映画だったんですけどもう自分の無能さにかなしくなってしまったのでもうだめでした。閉店です。今日までの上映だったんだけどな。

あんまり虚無だったのでひさしぶりに小説を書いてみたのですが、これまでのインプットが多少効いたのか、それとも虚無感が原動力に化けたのか、これまで枯れ果てていたのが嘘のように捗ったので、まあ結果オーライということにしておきます。グーグルマップは面倒がらずちゃんと見ましょうね。桐崎との約束だ。

2021.03.27 SAT
109日目です。先日日記に書いた金森修『人形論』(平凡社、2018年)を読み終えました。筆者の能力では理解しきれない難しい点も多々ありましたが、ときどきはっとさせられるような記述や、「ほ~んなるほどね(わかったような気持ち)」と思わされる指摘があり、なかなかにおもしろい論考でした。金森氏自身も文中で仰っていましたが、日本における人形論の概説・入門のような側面が強かったので、金森氏がこの本のなかに散りばめたさまざまな思考の断片をさらに掘り下げていくことで、「人形」という存在や概念についてさらに議論が深化していくのかなと感じました。

   
人形は、それ自体で人形論を体現し、言葉はその表層を掠めるだけだ。だが、仮にその通りだとしても、「言葉では接近しきれない」ことをそれなりに示すためには、言葉をたくさん費やす必要があった。本書が全体として、無惨な失敗作になったとしても、それはそれで構わない。頓挫した〈思索の残骸〉のようなものを晒すことになったとしても、とにかく人形ワールドへのなんらかの寄与になるとは思うからだ。
                 ──金森修『人形論』p.222、傍点省略

なにかしらの文章を書く人間にとっては胸に刻むべき金言だなと感じます。そのほかにも個人的に「はわ~」となった文章がいくつかあるので以下引用です。

 注意すべきなのは、〈人形の亜人的定位〉、つまり人形が人間の模造や仮象に過ぎず人間ほどの配慮は必要ないという考え方が遠景にある場合、〈人間の亜人化〉の辺縁部に〈人間の人形化〉という傾向が入り込む余地があること、にもかかわらず、その両者、つまり〈人間の亜人化〉と〈人間の人形化〉との間には見過ごせない違いがあることだ。後者の場合、人間を即物的に対象化し、即事態に近付けながら、相手の美や魅力を固定するという意味がしばしば含まれる。(中略)ところが前者の場合には、より酷薄で残忍な政治性があるだけだ。
                           ──同上、p.211
人形を溺愛する姿勢の中に、〈人間から人形へ〉という運動性とは逆に〈人形から人間へ〉という方向も隠されているのは見逃すべきではない。人形を可愛がることに人間関係からの端的な撤退をみて、そこになんらかの揶揄や憐憫を感じ取るのは、(これまでさんざんみてきた)人形存在がもつ複雑さを感じ取れない〈人形音痴〉であると同時に、人間関係とは連帯や融合、友愛だけではなく、反撥や撤退、孤独愛も含む複雑さを備えているのを無視する〈人間音痴〉でもある。人形は、人間性の複雑さをそのまま呑み込む〈人間性の蔵〉だ。そこに他者の足跡、他者の声、他者の薫りが含まれているのは、当たり前のことなのである。
                           ──同上、p.214

やはり、研究者や著述家、その他文章で自分の考えを形にすることをなりわいにしている方々はすごいなあと思います。文章能力というか言語能力というか、思惟なんていう形のないふわふわしたものを、適切でそれっぽい言葉に置き換えてかっちり嵌めていく技術は、読んでいて気持ちがいいですしですし鳥肌が立ちます。なんだろう、語彙力の問題なのかな? 金森さんもすごかったもんな。「弥縫策」なんていう日本語この本で初めて見たよ。読めます? 「びほうさく」っていうんですって。日本語ってすげえなあ。筆者も言語置換かっちりパズルのプロになりたいもんです。もうこの語彙力から底が見えてるな。これからいっぱい本を読めばそれっぽく繕えるようになるかな?

改めて本書は、人形について考えていくうえでの入門書としても(註や参考文献が充実しており、金森氏の並々ならぬ熱意や努力が伝わってきます)興味深いですし、また研究者としてなにかを論じたい、という意志のもと、自らの生の終わりを見つめながらひとつの論考を書き上げた金森修という人物の心へ触れるという点でも、「なにかを論じたい」という感情を持つひとは読む価値のある一冊だと思います。いやあいいものを読んだ。わたしもがんばろ。

2021.03.28 SUN
110日目です。昼に食べたメンチカツ定食が美味しかったです。

2021.03.29 MON
111日目です。スーパーへ買い出しに行って、そののち引きこもって本を読んでいたらいつの間にか一日が終わっていました。こういう淡々とやることをこなし、インプットのために使える日があるというのは半ニート生活の非常によいところだと思います。4月からはまた新しい環境になるため、この半ニート生活がどうなってしまうのかまだまだわかりませんが、可能ならばこのままのんべんだらりと暮らしていきたいものですね。高等遊民になりてえ(まえも同じことを言っていた気がする)。

2021.03.30 TUE
112日目です。用事があって少し外をうろちょろしていたら、桜がきれいに咲いていました。写真を撮りに近寄ったら突風とともに花びらに襲われ、おお~これが桜に攫われるってやつか!という気分になりました。服や髪に花が付いていないか気が気ではなかったです。おまえには花を愛でる情緒というものがないんですか?

同じ写真を、いまだに有効活用しきれていないインスタグラムなるものにも投稿してきました。ようやくインスタグラム本来の使い方ができたような気がして少し安心しています。スパゲティソース炊き込みご飯(スーパーの唐揚げを添えて)とか、やけにきれいに割れた卵の殻の写真を収蔵するツールじゃないはずなんですよインスタグラムはよ。

ほんとうにありがとうございます。いただいたものは映画を観たり本を買ったりご飯を食べたりに使わせていただきます。