サインはいつも良きものなのだ。
そう、常に「目の前で起きるサインは悪いもの」という前提だったな。
さて、ひっくり返るぞ。
目の前に垂れている蜘蛛の糸は「1人だけの善人を助けるための物」ではなく、その糸というパイプを通って、すべての「生き物」に愛を注いでいたのだ。
また、
糸が垂れている方が上だと勝手に思っている。そして上と下があって、上が「良い」下が「悪」と思い込んでいる。
さて、それだけが正解か?
誰かが誰かに「与える」「与えられる」ことがその生き物にとって「生きる糧」になるのか。
目の前の出来事は「自分が知りたい欲」を満たすために出現させている。
そうだとしたら、その宿題の答えは自分にしか分からないはず。
A・answerが出るまで・気づくまで、そのQ・questionはで続けるわけだ。
善は絶対に良いもので
悪は絶対に悪なもの。
それは各自のポジションによって違うだろう。
良い物、悪い物という位置付けでもないかもしれない。
そう、操作していることもあるだろう。
そう、仕向けて刷り込むことも簡単だろう。
昨日のSHOGOさんの動画で「日本語」がかぎなのだとあった。
「虫の声」がサウンド・声として聴こえるのは日本人とポリネシア人だけだそうだ。
他の国の人には雑音だそうだ。
それも工事現場級だとか。
確かに、インドネシアに滞在した時に感じた「日本語の音の違い」や彼らの反応が面白かった。
話してくれ、もっと聞きたい日本語聞きたいって感じだったなー。
動画の中で「日本人というよりも日本語」とあった。
母音が鍵のようだ。
インドネシアは「n」から始まる言葉の多いこと。
だから、読めないし発音出来なかった(笑)
音が混ざっていて、まるで音楽のようだったねー。
日本語の「一音一音」切って出来ている言葉は彼らにとっては新鮮だったようだ。
民族性も見てとれた。
年中お米が取れてみかんが成るインドネシアでは備える必要がないんだなーと感じた。だから、とってもご陽気🌟
あったかくて、のんびりしていて、時計なんてここにはないのかも知れないって思うくらい。
日本は四季があって、備えなくてはならない。だからこそ生まれた文化が存在するのだ。
対応能力というか、備えるために計画し、思考し綿密に命を繋ごうとする。
そんなことが理解できる旅だったな。
「食べることで命を紡ぐ」
これが基本なんだよね。
その収穫の出来によって、民族性が成り立つのだろうな。
で、タイトル。
基本的に、常に備えるためにしょうしょう緊張していることがデフォルトなのが日本列島に住む人々であるならば、思考がそちらに偏るのは「仕方のないこと」なのだろうw
で、脳は「ネガティブを作って危険回避する」物といつか学んだことがある。
つまり、ネガティブな思い込みは「必要」だったんだという見解。
本を読まないわたしは、いま、さも、自分で発見したかのように書いておりますが、きっとどっかのお偉い人がどこかで書いていたりするだろう笑
が、そんなことはどうでもいい。
人が何言ったとしても、自分でその答えに行きつかないと納得しないので。アシカラズ。
何が言いたいかというと、
ネガティブ=悪い物 ではないのだ!
ということ。
これも良い悪いの世界じゃなくてとらえる必要があるのだということ。
学習した「危険回避」で生き延びてきたのだよね。
それは長い歴史のように聞いているけど、実は自分の人生をのものがそうなんだってね。
しかし、同時に「挑戦」というパワーも持ち合わせている。
アクセルとブレーキ論も、どっちも踏んで茶前に進めないとかさ、これも刷り込みだわさ。
そもそも、どっちも備わっている素晴らしい機能なのだってことなんだよね。
命を繋いで次の世代にバトンする。
これが生き物としての「魂レベルの目的」であるならば、挑戦が命と引き換えでは生存をつなげられないもの笑
だからこそ、確実に紡ぐために「危険回避能力」が発動するんだよ。
引きこもって、温存しているとも考えられる。
誰かが作った、その人達にとって「都合のいい」展開で物事がすり替えられているのだろう。
背の中にはありとあらゆるその「カラクリ」が存在している。
ま、それも良かれのものばかりでね、結局まとめて言うと
目の前に起きる現象こそ、素敵なサインでしかないってこと。
いつも
常に
幸せは
自分と共に満ち溢れてるってことだな。
みんなが、生きながら穴という「穴」から、愛の成分を吹き出しながら生きてるんだよ。
地球って、凄いものを創造したんだねー。
それを含む太陽系宇宙ってなんだ?(笑)
小さな世界に住んでだわー
なんか、めっちゃ拡大🌟
ハスのはなではないわいな。
上手に出来ました🌟
美味しくいただきました❤️
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