「足るを知る」って、、、

完全復活のうずまきです!

乗り越えるのは自分でしかない。
すぐに全ては想い出になる。

そう思いながら
久しぶりの嘔吐を楽しんでいました😁

ただの変態w


体が何かしらあったとしても「かわってあげられない」のです。
その人自身が乗り越えないとどうしようもないのです。

どうか、夫が「トイレ」と起きてきませんようにと密かに願っていた。
この状況で「トイレ使わせて」と言われても大変困るw

そして、そんな時に「大丈夫?」などと言われても
「早よどけ!」としか思えないわたしってひどい女だろうか?


正直、こんな時には何の寄り添いも必要ない。
自分で自分と向き合うことしか解決方法はないのだ。


何と、わかりやすい心理療法かしら。


本来なら、7号食が始まってからの症状だと書いてあったのだ「頭痛」は。

今回の「もんどり打った」事件はこの頭痛から始まった。
のちに吐き下しがプラスされた。

余計なものを取らない

玄米食中心で他におかずを食べない。
これはシンプルに「余計な物を食べない」と言うことになる訳だ。

すると、血流が良くなって、血の通いが少ない箇所に一気に流れ始めることで痛みとなて現れるとか。
痛みとは、体が脳への信号として送っている「お手紙」みたいなもんだとか。


いやー、実際そうだよねーと思ってきたけれど、こんなに早くくるのか?
それか、わたしの血の通い方がハンパなく悪いからかも。

だってな、余計なもの食べてるもんw
おかず作ってるしw

でもねすっごく食べる量は激減したのだ。
「食べないといけない」という不思議な思い込みがw
この無意識・無自覚を自覚できたことで大きく「依存」が見えた。

コントロールするのはこういうことなんだって。

昨日は流石にウォーキングはやめて、2時間の睡眠を優先。
出かけるからね、継続して歩けなくても、歩くことはできる

そん今日の変化の中で「ふーんふーんたんたん」に至ったことで、全てのことn「感情を乗っけていた」わたしを知ることになり、それをしなくなったのだ。

だから何を見ても「ふーんふーんたんたん」なのだw

おかげで昨日のミーティングも楽しく、可能なパフォマンスはやってこれたw

昨日は、このミーティングに出ることともうひとつの目的があった。
天満の「革靴店カミーノ」で冠婚葬祭用の黒靴を買うことだ。

お姉さんのいろんなお話を聞いて
小学校とかで足のトラブルになる靴についての講演でもしてもらいたい結構本気で思ったりしたわ。

外反母趾すんげー写真とか見たら、そんなことになるまで我慢し続けなくてもいいような靴でくらそうよ!って、思ったわ。

で、その後緩んでないその黒靴をなん「ウォーキング用」にすうずま😁
今朝早速買いたての靴で行ってきた。



ぼーっと「歩くことが目的」と決めて歩いていると脳内が、通り過ぎる人やすれ違うバイクや自転車に対しても何やら「思う」わたしがいた。

おおー、勝手に幻想の感情を乗っけようとしてるよね!
ただ、在る
それだけを見て、そのまま「そうだ」でいいの何かしら感情乗っける。

ふーんふーたんたん。

そんなことを繰り返して脳内で遊んでいると
足るを知るって、本来

「自分が満足する分量を知って、それ以上は溢れさせる」

ことであって、誰かから奪わなくていいし、奪われないし、わたしはこれで十分だからどーぞどーぞと分け与えられることじゃないかなって思ったのだ。

これまでは「自分の満足を知りなさい、それ以上は我慢しなさい!」ってどちらかというと「叱られたり注意として」受け取っていたかも


わたしは満ちているのだ。
それでいて、溢れたぶん
どーぞと与えられるんだ。


ふーんふ〜ん。

今日は紫蘇の醤油漬け作ったよ。

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