「ショーシャンクの空に」を観て。6日目の気づき。


次女が「面白いよ」って教えてくれた。
アマゾンプライムで無料で見れたので観てみた。

時間を忘れて見ていた。
いいか悪いかとか、そんな言葉で表現するような映画じゃなかったかな。

劇中のセリフで、、、、
って、字幕で観てましたからどうなんだかわかりませんが。

所長にいいように使われている自分を「奴隷」と言っていた。
でも、心の奥底には「希望」を持っていた。
その希望は入所したその時から発生していて、ひとときも消えることなく彼の生きるモチベーションとなった。

希望とは
自分への期待なんだ。

そう感じた。

同時にわたしは
「希望なんて持つな捨ててしまえ」という側だとも思った。
仮釈放なんて、、、
監獄の外の世界は怖い、、、

檻の中が安心で
ここにいれば
ここで従っていれば
与えたれた中で
これでいいんだと思い込む

そっち側だと。


わたしはわたしに期待していいんだ。
自分の中の「灯」を消していた?
そもそも「灯」すら持っていないと思っていたかも。

何かに争って、吠えるのではなく
強かに、今自分のできる最大限のことを
自分の望むものに向かって「一歩一歩」積み上げて行けばいいのだ。


境遇を嘆いたり
誰かのせいにするのは、簡単だ。

でも、そのケツを拭くのは誰でもない、自分だ。
境遇や誰かが何とかしてくれやしない。

そうやっている「時間」も帰ってはこない。
そして、何も解決しない。

これが事実だ。



そう、自分が「やる」ことでしか何も動かない。
自分が「動く」ことでしか自分を変えることはできない。

どう生きていきたいか。
ここに自分の「希望」を描くことで
そこへ向かう道ができ、
揺るがないモチベーションを持ち続けることになるんだ。


モチベーションとは「動機」「やる気」「意欲」と訳される見たいね。
わたしの辞書では「心の中で自分を支える灯」と訳そう。


今、、わたしは小さなハードルを越えようとしている。
日々、自分のために時間をつかい、歩くことをしている。
今日でウォーキング16日。
玄米のみのトミタ式7号食は6日目。

16日後のわたしに会えることが何よりも楽しみ。
その為に「今」を楽しんでいる。

一歩一歩、そのたびに気づきがあり
体からの反応がわたしの中に響く。

誰でもない
わたし自身が実行、行動してこそし得られない気づきや反応。

まるで考えてもなかった「体との二人三脚」を感じられるとは。

もしこの取り組みに「痩せる・健康ほか」の目的も持っていたとしたら
上記の気づきや反応は得ることができなかった。


今、、これまで感じたことのない「幸せ感」を味わっている。
この感覚も「副産物」に過ぎないけどねwww

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