ご機嫌になろうとしなくても、なっている自分w

なんだろうね〜
ほんとに不思議なのだが😁

どうやら
「頑張る」ってことの意味を間違って理解してきたのかなーって。

「抵抗」になってるんだよね。

あ?「抵抗」の意味もなんだか違う気がしてきた🤣


ま、とにかくだ。
「素直に受け入れる」ってことが何よりの「楽ちん」なのかも知れないねー


「目の前に手渡れた(現れたことこと)を“はい、今度はこれですか“って受け取ってきた人生」

これが、わたしの人生だった。
争うことなく、、、
ただ、受け取る。


当時、よくそんな風に人に話していたなー。
なんでまた、そういう自分が嫌で「計画して、成し遂げたい」と思ったのか?

めっちゃんこ謎やけどー
そういう「自分」を感じてみたかったのだろうね。


結構ね、普通に暮らしててありえないことがやってきては「やってる」という状況だったから。あ、そんな大したことではない🤣

この時に、臆病風ふかさずに貪欲にガンガン行っってたらまた違う人生だったんだろうねー


たられば言っても仕方ない。


でね。
やっぱりあれよ。
そんなこんなもぜーんぶ全部が全て宝物だったとひっくり返ったらね

自分が何よりも愛おしくなったわけ。

わたしが「わたし」だと思っていた
わたしが「決めている」と思っていた
わたしが「生きている」と思っていた

わたしが「わたし」と一致しすぎていたことに気づいたおかげで
「わたし」は「わたしの自律神経」に生かされてきたことに到達した。


そんな体に対してかなり酷いことをしてきたな。
いろんな悲鳴を無視して「頑張って」しまって(^◇^;)


そりゃ文句もいうよねー
ごめんでした(^◇^;)


この世の中で
頑張ることも
我慢することも
やらなくてはならないことも


なーんもないんだ

ここで、あれよ「宇宙におかませ」っていうから怪しくなるんだけど🤣
ま、そこが落とし所でいいんじゃないかなって思うわww


しっかりと
「自分」を観察し
「わたし」を知ることが
何よりも近道だった。


「必要なくなること」がわたしの座右の銘。
そもそもちゃんとわかっていたのだ。


「なにもしない」がわたし心情。
これもそう、ちゃっかたどり着いていたのだ。


ただ、目の前にやってきたことを
動いていないわたしは「受け取るだけ」

この両の手をお使いくださいって。

「どうぞお仕いください」がわたし祈り。
わたしは道具じゃないって思った時期もある。
道具にされたときに怒りを覚えたもの。
でも、それってわたしが祈ってたからじゃないの?

そんなこんなですっかり忘れてたわ。
小学校のときの給食が嫌で、中でも苦痛でしかなかった「筋だらけの牛肉のカレー」。
食べられなくて掃除の時間にアルマイトのお皿持ったままで、ある日トイレに流したの。
いじめっ子の男子に見つかって晒し者になったな。

食べること
生きること
全て

だれかに強制されることではない。


みんな好きに生きたらいい。
誰もが好きに食べたらいい。


「好き」で選択すること。
ここ許可を自分が自分出すことね。


何者かになろうとしなくても
すでに完璧なわたしは

もうすでに

ご機嫌さんなのだ。


必要なものだけで、よき。


さて、ちなみに
21日パーフェクトをしてから
結構普通に食べてるけれど
体重がやんわりと減っていく。

自分を丸ごと受け入れると
ちょうど良くなろうとするのかも知れないね。



ところで、iPad用のキーボードがもう古いのか?
打った文字がバグるのだ。
おかげで誤字脱字だら🤣

ま、わたしの脳みそもバグってるからいいとしよう。
買い換えるのよろしいか🤣

脳みそ売ってたりして🤣

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