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【広島】爺ちゃんが原爆でギリ助かった話

レバノンの爆発事故映像のキノコ雲を見て思い出すのもアレかと思うんですけど本日8月6日は広島平和記念日、広島に原爆が落ちた日なんですね。
わたくし地元が広島なものですから、1945年8月6日午前8時15分というのは小さい頃から授業ですりこまれていました。
今朝も県外からではありますが、ちゃんと朝起きて定刻まで猫動画見てたんですが、猫見てたら完全に時刻過ぎてたよね。。黙祷。

うちの祖父母はまさにリアルタイム被爆体験者なんですが今は亡き爺ちゃんが生前に突然教えてくれた今から75年前の朝のことを書き残しておこうと思います。

爺ちゃんはハゲでした。

いや、いきなり死んだ爺にケンカ売ってる訳じゃないんです。そのツルッパゲなおでこから頭部にかけて地図のようなアザがあったんですよ。
そのアザこそまさに原子爆弾の熱風でうけたケロイドの跡だそうです。(ちなみにいつからハゲかは不明。)

当時、爺ちゃんはお役所勤めだったらしく、毎朝自転車で市内まで通勤していたそうです。
職場は爆心地のすぐ近くと言っていたので正確にはわからないけれど、当時の国泰寺町庁舎だとすれば爆心地から南に約1kmの場所です。

8月6日、普段通り自転車で出かけたところ、その日の朝に限って突然自転車がパンクしたらしく、遅刻確定となったところでした。
何キロ離れていたかはわかりません。自転車屋に寄ったのか途中まで歩いたのかはわかりませんがパンクの様子を見ようとしゃがんだ瞬間凄い風が吹いたそうです。

「気付いたら手の甲やら顔面やらぶわーーと全部ガラスが刺さってのお!」って強めに言ってたのを覚えています。

爆風で建物の窓ガラスが一気に割れて吹き飛んできた破片が大量に皮膚に刺さってたそうです。よく見たら手も確かに火傷の跡が残ってたなぁ。
皮膚は裂傷と熱風による火傷を負ったそうですが、しゃがんで塀か何かの影に隠れたので命は助かったそう。周りは完全に吹き飛んだなくなってた場所もあったそうです。

チャリがちょうどパンクしてなかったら確実に死んでたって言ってました。確かにその数年後トーチャンが生まれたわけですがもしそこで亡くなってたらわたしは存在してなかったことになります。
「わしゃあ運が良かったんじゃ。」
wiki調べですが職場の庁舎内部は全焼、内部にいた約30名は全員年内に亡くなったそうです。ひぇ…

そんな爺ちゃんは享年89歳の大往生。去年十三回忌がありました。
生前は元軍人ネタなのかマシンガンをぶっ放すフリしてバババババとひどい屁をこいては嫌がらせしてきた爺さんです。叔母さんに言わせると衛生兵だったらしいが 笑

そいえば、広島・長崎の原爆はレバノンの爆発の5〜7倍というのをみてまじ震える案件です。レバノンのも相当やばい映像でした。爆風による半径数kmまで吹き飛ぶという恐ろしさを改めて感じましたね。。Pray for Lebanon.

ちなみに婆ちゃんは当時子供(叔母にあたる)をお腹に孕っており、少し離れた町にいたらしいがやはり被爆手帳を持っているので被爆者となったようです。胎児も被爆二世となるみたい。
そんな婆ちゃんは先月で101歳になりました!
今年はコロナで会えないから次会える時にちゃんと覚えててくれてるか心配だけど、元気に過ごしてくれてたら何よりです。

写真は去年のGWに毎年恒例フラワーフェスティバルで帰省したときに撮影した原爆ドームと元安川。人がいっぱいだあ。

というわけで世界が平和でありますように!
ピース!

う侍はTwitter(@uzamurai)もやっています。どうぞ仲良くしてくださいませ。今日も素敵な1日でありますように。