秦の始皇帝

統べるとは ~秦の始皇帝に学ぶ~

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1.ヒストリー

人質として生まれる。名は「政」(嬴政)
秦の当時の王の死後、追い回され死と隣り合わせの幼少期。(趙という隣国の人質だった)

なんとか逃げ切り、秦国へ帰還。
政の父は早くに亡くなってしまい、13歳で王位継承。

母の愛人(嫪毐)反乱を起こされ、それを滅する。

武力で次々と国を滅ぼしていく。「キングダム」
(楚・斉・燕・趙・魏・韓)

秦の始皇帝爆誕。

皇帝というのは当時の中国では神様的存在にあたる称(三皇五帝)であったが、政はこれを名乗った。

法で民衆を治める。(画期的だったらしい)

万里の長城を完成させる。(元々あった壁たちをつなげた)

お金、寸法、文字の統一。

焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)で儒教を弾圧。

中国全土を旅の途中、病気にて死去。

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2.学ぶべきポイント

 破竹の勢いで中国統一を果たした始皇帝。まさに皇帝という名にふさわしい豪傑である。いわゆる中央集権型の国家をつくり、数々の偉業を成し遂げた。この時代は紀元前であり、日本はまだ卑弥呼すら登場していない。

 ここでお伝えしたいのが始皇帝を1人のリーダーとして考えることである。

 私の印象は「始皇帝というリーダーは目的のためには手段を選ばず、少し横暴な面があるが、才能はずば抜けている。」というものだ。ここで考えられることが「周囲と摩擦が起きそう」というマイナスな面と、「大きな結果が得られそう」というプラスな面が感じられそうではないか。ここで取り上げたいのがマイナス面である。

 実際に始皇帝の死後、すぐに反乱が起きてしまっていて、その後も続く太平の世の中はつくれなかった。始皇帝が目指したのが平和な世の中ではないのなら始皇帝的に無念ではないであろう。しかし、中国統一に激しさがあり、儒教の弾圧まで絡んでくると反動は大きいようだ。

 この「反動」に着目したい。これはつまり「リスク」と言い換えられる。このリスクをマネジメントできなければ後に響く何かが起こるということを始皇帝の歴史から学ぶべきではないだろうか。しかし、横暴さが勇猛果敢とつながり、大きな成功を掴むこともじじつとしてある。皆さんはどのようなリーダーを御所望か。

3.考察するポイント

 幼少期から凄まじい経験をしてきた始皇帝。彼はいったい何を成し遂げたかったのかをかんがえることに価値観が見えてくるはずだ。
 その時代の中国を統一することに一体何の意味があったのか。他の6国間で争いが絶えなかった時代の民衆は平和を望むものが多くいることが考えられ、現代も民衆は平和を望む。さらに全部で7カ国存在した春秋戦国時代は今では想像できないほど人々の思惑がぐちゃぐちゃになっていたであろう。私が考察するに、始皇帝はこのぐちゃぐちゃを壊したかったのではないかと考える。話し合いなど折り合いをつけていくのではなく、ぶち壊して平にしたところに自分が王として国をつくりたかったのではないか。そうでなければ6国を滅ぼすことなどできないはずだ。そして法、お金、寸法、文字を統一し、これらが平和への第一歩として考えていたのではないか。
 秦の始皇帝は「統一」「平和」という価値を大切にする価値観を持った人物かもしれない。

4.まとめ

 今回はだいぶテイストを変えて現代の偉人ではなく紀元前の偉人、秦の始皇帝について書かせていただきました!これから昔の人の価値観も書いていくのでお楽しみに!
 キングダムって皆さんしってますか?アニメ化もされて大人気ですね!私も大好きなんです!原作だと政がめちゃくちゃかっこよく描かれているのでぜひ漫画やアニメでご覧になってください。今回価値観を考察するにあたり、キングダムに寄っていかないように気を付けましたが、結果的に似てしまいました。昔のこと過ぎて考察しにくいというのもあります。しかし、どう考えてもただ国を滅ぼしたいだとか、ただ人の上に立ちたい、というような安易な考えを持つ人物ではない気がするんです。だってそもそも、そんな人だったら誰もついてこなさそうですし、統一なんていう結果がついてこないはずです。そんな気しません?
 今回私が書いた内容で学ぶことや、得られる事があれば幸いです。ぜひご自分の価値観と照らし合わせてみてください。ではまた。


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