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THE OCCULT MOVEMENT IN THE 19th CENTURY 19世紀のオカルト運動(第8領域 ルシファー アーリマン 月 地球)
今回の記事では、前回の記事の後半でご紹介した第8領域を取り扱います。
1915年に行われた「THE OCCULT MOVEMENT IN THE 19th CENTURY 」の第5講の翻訳です。
それでは、よろしくお願いします。
第一部
シネット氏※が初めて公に言及した、いわゆる「第8領域」について話すのは実に難しいことである。このテーマについて話すのがなぜ難しいか、それは我々の言葉が外側の物質世界のために作られたものであり、シネットが言及するまで第8領域は秘密事項として扱われていたことを再度強調しなければならないからだ。
(※訳者による注略…アルフレッド・パーシー・シネットは、イギリスのジャーナリスト・作家であり神智学者である。シネットは、自身の著書『Esoteric Buddhism(秘教的仏教)』の中で「第8領域は月である」と誤った見解を記したとされている)
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そのため、「第8領域」を特徴づけるためにふさわしい言葉はないに等しい。したがって、今日私が述べる論議は、一種の入門的な説明になることを受け止めなければならないだろう。
しかし、後日、より多くを語る機会があることを期待したい。前回の講演で述べたこと、またそれ以前の講演でもある程度述べたことに基づいて、19世紀と20世紀初頭のオカルト運動の発展を説明するための基礎を得るために、「第8領域」と呼ばれるものを特徴づけてみようと思う。
昨日の講義で、第8領域が物質界に属するものであってはならないことはおわかりいただけたかと思う。
シネットの発言の最大の誤りは、物理的な月が第8領域と直接結びついているということであり、この誤りの根本は、これが物質的・物理的なものを指しているという事実から成ることを理解できるように努めた。
このことから、第8領域と呼ばれるものは、物質世界の中の何ものとも直接的には関係がない。つまり、人間の「感覚」によって知覚できるもの、「感覚」に基づいて考え出されるものは、第8領域には関係がないことが十分に理解できないにしても、推測できるようになるのである。
よって、第8領域を物質世界のどこかに探しても無駄なのだ。
あなたは今、第8領域の概念を思考することによって認識できる指標を手に入れた。
第8領域は、物理的な月ではなく、「月(月紀)」の進化から残された残滓と関係があると述べてきた。
それは、私たちがこれまで行ってきた研究からわかることだ。昨日の講演で、月紀では人間の自然な知覚様式は「想像的」なものであり、第8領域に見出される実質的なものは、このような視覚によって見出されなければならないということを明らかにしようとした。
つまり、第8領域は「想像的」な透視(※🔺地に足がついていない透視🔺)によって見出されることを、はじめから想定しておかなければならないのである。
では、なぜ「第8領域」と表現されるのか?
人類の進化は、「土星」、「太陽」、「月」「地球」、「木星」、「金星」、「バルカン」の7つの領域を経由していることはご存じだろう。※
(※参考記事)
そして、これらの惑星は、実際にあなたの中にもあるのだ。そして、この7つの惑星(領域)の他に、その外側にありながらも何らかの形で地球と関係している惑星があると考えることによう。
幻視的に視える、想像物の惑星があるのだ。これは第8領域として、人類の秩序ある規則正しい進化の領域を構成する7つの惑星の上に位置している。
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このようなスケッチは、もちろん単純な図式的なものであり、それぞれの領域は互いに重なっているが別々に描かざるを得ない。
人間が物質世界の中にいて、「感覚」を通して観察し、さらに「知性」で考えている限り、私たちは第4領域、「地球(地球紀)」に立っているのだということを、あなた方は我々の研究から確実に理解しているはずだ。
もしあなたが第3領域、つまり「月」を見ることができるほど魂の能力が発達しているならば、あなたは遠くまで飛行することになるが、それは空間的な意味での飛行ではない。あなたは別の場所からではなく、物理的・空間的に言えば同じ場所から「月」を観察していることになるのだ。
したがって、これらの7つの領域は、現実には私たちの中に描かれるべきものである。それは進化の連続した段階であり、基本的にこのような上記の図は、あたかも人間が生まれてから七年目までは第一段階、七年目から十四年目までは第二段階、などと言う以外に何の価値もないのである。
一年目から七年目まで発達した存在と、七年目から十四年目まで発達している存在とを分けて考えることはできない。
また、地球の進化の7つの連続した領域や段階を、それぞれ別のものとして考えることも正しくない。
このようなことを述べた理由は、第8領域が地球の中で観察されるべきものであることをあなたに示唆したいからだ。第8領域は、地球の中にあるのだ。
ここで言いたいことを表現するために、私はしばしば粗い例を挙げてきた。私たちの周りに物理的な空気があるように、私たちの周りにも霊的なものがある。したがって、霊的なものが私たちの周囲にあるように、私たちの環境の中にも第8領域を探さなければならないと推定されるのである。
つまり、人間が物質的な地球を知覚できるように、第8領域を知覚できる器官が開発されなければならないのだ。そうすれば、第8領域を意識的に体験することができる。
しかし、私たちが意識していなくとも、常に空気の中にいるように、私たちは無意識のうちに第8領域の中にいるのである。そして、第8領域を体験する器官が発達していれば、周囲に第8領域があることを意識することができる。
よって、第8領域を説明するならば、それは明らかに、私たちが常に生きている領域として説明されなければならないのだ。
今述べたように、この入門的な研究で私ができることは、いくつかの一般的な情報を提供することだ。残りは私たちがこの講義を進めていくにつれて明らかになるだろう。
まず第一に、あなたは、私たちの周囲にある第8領域が、「想像的※」な透視能力にアクセス可能であることを理解することができるはずだ。
(※第3領域である「月」での知覚様式は、感覚ではなく想像的なものだった)
第8領域の何かを知覚することなく「想像的」な透視能力を開発することは不可能である。
第8領域のような事柄について話すのが難しいのは、本当に明晰で識別力のある透視能力を持つ人が非常に少ないからである。
第8領域では「幻想」を扱うのであって、地球進化の本質、つまり第4領域のものは第8領域にはない。第4領域の本質的な性質は昨日示したように、この世界体に鉱物を含浸させることによって構成されている。
私たちが地球で生活できるのは、この第4領域が鉱物化されているからだ。私たちは鉱物化された環境の中で生活し、肉体的な感覚を通して知覚されるものを「知性」によって調整することができる。
しかし、第8領域には鉱物の要素はまったくないと考えなければならない。
思考における鉱物の要素を排除したとき、残るのは「月(月紀))の進化の後期の段階だけだ。しかし、進化は進む。
「想像的」な透視を通して知覚できるものは、「月」の残滓以外の何ものでもないだろう。それは「第8領域」ではない。
第8領域に関する事実を知るために、次のことを心に留めておこう。第3領域が第4領域になったのは、その進化の過程で、第3エレメンタル界が鉱物界に移行したためである。
鉱物の元素が加わったのである。そうでなければ、「月」を、想像上認識可能な実質的な総体として考えなければならないだろう。
したがって、「月」から「地球」へ、第3領域から第4領域への規則正しい移行とは、以前は想像的にしか認識できなかったものが物質的に認識できるようになる、つまり鉱物化する故に第4領域へと発展するのだ、と考えなければならない。
第8領域には、もともと「月」の要素が残っているが、ある出来事によって、この「月」の要素が変化を遂げる。第3領域から第4領域が生まれるために何が起こったかは、『オカルト・サイエンOccult Science』の中で明確に述べられており、「運動霊」の活動に「形態霊」の活動が加わり、その指導の下で変容の全過程が行われた。※
( ※「月紀」における「形態霊」の働きかけによって、それまでおぼろげな感覚体験を持っていただけの「人間」の感覚の濃縮度が強まり、後の「地球紀」への発展へと繋がったとされている)
したがって、「形態霊」が「運動霊」の活動に加わることによって、第3領域から第4領域が生じたと言うことができるのだ。
もし、「形態霊」たちが、自らの本性を欲し、さらに実現できることをすべて実現し、第3領域の使命が果たされたとき、第4領域は第3領域からごく自然に発生したはずだ。
それは当然のことである。
しかし、私たちはルシファーとアーリマンの霊が働いていることを知っている。そして彼らは「月」の「ある物質」を自分たちのために、いわば「形態霊」からそれを奪い取ろうとするのだ。
ルシファーとアーリマンがそうしているという事実は、彼らの本質的な性質を表している。
このように、第3領域がさらなる段階に進むと、ルシファーとアーリマンによって「形態霊」から「ある物質」が奪われ、その奪われた部分に、つまり「形態霊」の代わりにルシファーとアーリマンが入り込んでくる。
ルシファーとアーリマンの活動が運動霊の活動に加わり、その結果、第3領域から第8領域が生まれてしまうのだ。
この「ある物質」は、第4領域と同様に存在することになるが、第8領域は第4領域の誕生の瞬間に存在するようになった鉱物の実体が奪い取られることによって構成される。
したがって、鉱物が「想像的」な実体(※感覚的・実質的な知覚がない)から存在するようになると、それはルシファーとアーリマンによって奪い取られ、「幻想」にされるのである。
残った「月」の実体から「地球」が生まれるのではなく、「地球」から奪い取った実体を「月」から渡ってきたものにすることで、この幻視的な領域、第8領域が誕生するのである。
ここで、『オカルト・サイエンス』の中で、「月」にまつわる条件をどのように説明したかを思い出してほしい。「月」には鉱物はまだ存在していなかった。
もし鉱物が存在していたなら、その世界体は月ではなく地球になっていたはずだ。第4領域は鉱物の元素の誕生によって生まれた。
ルシファーとアーリマンが接近し、第4領域から鉱物の実体を奪い取り、第3領域に無理矢理注入することで「月」は再現されるが、こうして生まれた第8領域は地球に属する(地球と重なる)物質性を持つようになる。
このことをよく覚えておいてほしい。
純粋な「想像力」がそこにあるのではなく、地球から奪い取った鉱物の要素を注入されることによって高密度化されるのだ。
こうして濃縮された「幻想」が生み出される。したがって、私たちはこの高密度化した「幻想」の世界に引き込まれることになるのだ。
つまり、私たちの世界の背後には、ルシファーとアーリマンによって作られた闇の領域があるのだ。
それを模式的に表現すると、次のようになる。
「月」にはあるイメージが存在していた。これらはどこでも知覚できるものとして地球に渡るはずであった。
しかし、ルシファーとアーリマンはそれらを自分たちのために保持した。ルシファーとアーリマンは地球からある種の構成要素を奪い取り、それらを「幻想」にしたため、これらの地球の物質は地球の形成物ではなく、月の形成物となった。
したがって、私たちの第4領域には、本当は月の領域でありながら、地球の物質で満たされた領域が植え付けられており、したがって、宇宙における偽りの創造物となっているのである。
7つの領域の上には進歩的な霊に対抗して作られた第8領域が重なっているというわけだ。
その結果、「形態霊」は、ルシファーとアーリマンに奪われて第8領域に引き込まれないように、鉱物化できる物質のあらゆる断片を求めて地球で戦わなければならなくなったのである。
したがって、第4領域である私たちの地球は、実際には外的に見えるものだけで構成されているわけではないのだ。もし本当に原子から構成されていたとしても、これらの原子はすべて第8領域に属する形成物 -それは「想像的」な透視能力にのみ認識される -に孕まれているはずだ。
これらの形成物はどこにでも存在し、第8領域の怪物のような暗黒のエネルギーもまた、実際の怪物を知覚されるのと同じように認識できる。これらの地上の全ての存在は、この第8領域に関与している。
ルシファーとアーリマンは、地球の物質から掠め取れるものは何でも汲み取り、第8領域を形成しようと絶え間なく努力し、それが十分に完了した際、それは地球から分離し、ルシファーとアーリマンとともに宇宙で独自の道を歩むことになる。※
(※現代のスピリチュアル・コミュニティで言われるところの有機的な進化過程から逸れた「堕落したタイムライン」のことを指す)
言うまでもなく、「地球」は「木星」に引き継がれる。皆さんもお気づきのように、人間は地球の進化の中で確立された位置を占めている。私たちは、この戦いに巻き込まれた鉱物化プロセスによって浸透させられ、この物質の断片を絶えず奪い取ることができるのだ。
したがって、私たち自身がこの戦いに巻き込まれているのだ。ルシファーとアーリマンは、私たちから鉱物を奪い取るために、あらゆる場所で「形態霊」と戦っている。
第二部
しかし、このプロセスの強さは、私たちの生体のさまざまな領域で変化している。私たちは多様に構成されており、ある器官は他の器官より完璧である。その器官とはまさに、人間の頭、人間の脳である。
そしてこの器官は、ルシファーとアーリマンが私たちから鉱物質を奪い取ることに最も成功している器官である。
この器官の物理的物質は、他のどこよりも霊的に変化している。私たちの肉体に形成された頭蓋骨は、ルシファーとアーリマンが私たちから最も多くの物質を頭から奪い取ったという事実を示している。したがって、頭(思考)を通してこそ、私たちは自分の有機体から最も大きく解放されることができるのだ。
私たちは思考が発達したからこそ、上方に上がり、善と悪を区別することができるようになった。そしてまさにその理由から、ルシファーとアーリマンは、頭から物質を奪い取ることに最も成功してきた。
いわゆる人間の最も高貴な器官において、彼らは鉱物化した物質の最大量を奪い取ることができたのである。
この錬金術によって、私たちの存在の背後で、常に鉱物質が第8領域に送られている。
私は単に情報を伝えているだけで、研究が進めば進むほど、その裏付けが明らかになっていくだろう。
もし、ルシファーとアーリマンがどこでも頭の器官から多くのものを奪い取ることができれば、地球進化はすぐにルシファーとアーリマンに明け渡され、世界の進化を第8領域に導くことに成功し、地球進化全体が別の道を歩むことになるだろう。
それゆえ、ルシファーは人間が最も弱い場所、すなわち頭の中で、その最大の力を発揮しようとするのである。
ルシファーにとって最も攻略しやすい牙城は人間の頭であり、鉱物の元素の分布に関して頭と類似していて同じように引き抜くことができるものはすべて、第8領域に送り込まれる危険にさらされている。
ルシファーとアーリマンのこの意図によって、人類の全進化が第8領域に引き込まれるという別の道を歩むことになる未来が少なからず立ちはだかるのである。
それは、地球進化の当初からのルシファーとアーリマンの意図であり、その意図とはこの進化のすべてを第8領域に消失させることであった。
そのため、「形態霊」の階層に属する霊魂たちによって拮抗勢力が作られる必要があったのだ。
いわば第8領域の「空間」に、第8領域に対抗するものが挿入されたのである。
このことを正しく説明するために、地球をここに、第8領域をここに示さなければならない。(※上に上げた図をもう一度参照)
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第8領域は、ここに示したような意味で、私たちの物理的な地球に属している。私たちはいたるところで「幻想」に囲まれているが、その目的は鉱物の物質性を絶えず引き込もうとするためだ。
そして、ヤハウェが行った犠牲の理由は上述した拮抗勢力と関係している。彼の犠牲によって、他の鉱物化した物質よりもはるかに密度の高い物質が沈殿するようになったのだ。
これは、ヤハウェが月として、対抗する物質として、確立させたものだ。それは極端な密度の物質であり、この密度はシネットによって、地球上のどこにも存在するよりもはるかに密度の高い物理的鉱物の性質を持つ物質と説明された。
それゆえ、ルシファーやアーリマンは、これを彼らの「幻想」の世界に溶かすことはできない。
そして、この月は高密度の物質の【地球】として、固くて、濃くて、破壊されないように地球を周回しているのだ。
もしあなたが十分に注意深く読めば、物理学者による月の記述でさえ上述した内容と一致していることがわかるだろう。
形態霊は、ルシファーとアーリマンによって奪い取ることのできない物理的な物質を月に置いたのだ。
私たちが月を見るとき、宇宙の中に、地球のどこにも存在しない、はるかに強力な鉱物化された物質、はるかに物理的密度の高い物質を見ることができる。ヤハウェは、物理的な領域においてさえ、ルシファーとアーリマンによってすべての物質が引き離されないようにした存在として見なされなければなならない。
(▽ 月に関連したプロジェクトに熱心なエリートたち)
そして,適切な時期に,地球が月を受け入れるのに十分な強さを持ち,その間に行われた開発によって危険が回避されたときに,月が再び地球に入れるように,同じく形態霊によって同等の注意が払われるだろう。
第三部
これは、外的、物理的、鉱物的な領域に適用される。しかし、人間の領域でも、人間の頭部に向けられた意図に対抗するものが必要であった。
外界において、ルシファーとアーリマンが錬金術で溶解できないように、物質を濃縮しなければならないように、人間においても、ルシファーとアーリマンに最も攻撃されやすい器官に対抗するものを設けなければならないのである。
したがって、ヤハウェは、鉱物領域に関して行ったのと同様に、すべてがルシファーとアーリマンの攻撃に屈することがないように注意しなければならなかった。
頭脳から生じる人間のすべてがルシファーとアーリマンの餌食にならないように、またすべてが頭脳の活動や外側に向いた感覚の活動に依存しないように注意しなければならなかった。
そのためには、地上の生活の領域に、頭脳から完全に独立したものが人間の中に存在し、それに対抗するものが創られる必要があった。
そして、これは善良な「形態霊」たちの働きによって達成された。彼らは、地上の遺伝の原理に愛の原理を植え付けた。
つまり、頭脳から独立した、世代から世代へと受け継がれ、人間の肉体的本性に最も深い基盤を持つものが、今人類の中で作動しているのだ。
繁殖と遺伝に関係するもの、思考で貫くことができないという意味で人間から独立しているもの、天の大地にある月の贈り物であるもの、これらはすべて、人間の中に、繁殖と遺伝の過程を浸透させる愛の原理から生じたものである。
それゆえ、歴史を通じて続く激しい戦い、ルシファーとアーリマンがこの領域から来るものすべてに対して繰り広げる戦いがあるのだ。
ルシファーとアーリマンは人間に頭の独占的主権を強要しようとし、純粋な自然の親和力であるすべてのものに対して、頭を介して攻撃を仕掛けてくる。
地上にある遺伝性の物質が何であれ、彼らによって奪い取られることはありえない。
月が天上にあるように、遺伝は下界の地上の人間の中にある。遺伝に根ざしたもの、思考に荷担していないもの、物理的な本性と本質的につながっているもの、それがヤハウェの原理だ。
ヤハウェの原理は、自然が自然として働いているところで、その最大の活動を展開する。それは、ルシファーとアーリマンの無機質な愛と知恵に対抗するものを作り出すために、ヤハウェがその自然な属性である愛を最大限に注いだ場所だ。
月と人間の遺伝の過程で、「形態霊」によってルシファーとアーリマンに対するバリケードがどのように作られたかを示すためには、全く異なる観点から示された事柄を非常に徹底的に調べる必要がある。
もしあなたがこれらの事柄についてより深く考えるならば、あなたは非常に重要な何かが与えられた運命の中に含まれていることに気づくだろう。
さて、少なくともある程度の理解に到達するためには、このテーマをかなり異なる立場からアプローチする必要がある。『オカルト・サイエンス』の中で、「土星」、「太陽」、「月」の段階を経た人間の進化について述べられていることを思い出せば、これらの段階では「自由のために何かする」ことはありえないことがわかるだろう。
これらの他の段階では、人間は必然性の網に囲まれている。彼が自由のために熟すためには、鉱物的性質を彼の中に取り込まなければならなかった。それゆえ、人間は地上の物質世界の中でしか、自由のための教育を受けることができない。
このこと自体、地球物質世界の持つ意味の大きさを示している。人類が獲得しなければならないもの、すなわち意志の自由は、「地球」進化の間に獲得することができる。「木星」、「金星」、「バルカン」の各段階において、人間はこの意志の自由を必要とするのである。というのは、地球が自由を生み出すのは、人間に物理的・鉱物的要素を与えるからである。
このことから、自由意志に由来するものは、地球の領域内に留めておかなければならないことが理解できるだろう。第3(月)、第2(太陽)、第1領域(土星)には、自由の原理から生じるものを適用することは不可能だ。
しかし、ルシファーとアーリマンの努力は、人間の自由意志とそれに由来するものを第8領域に引きずり込もうとするものである。
つまり、人間は、ルシファーとアーリマンによって自由意志を奪われ、第8領域に引きずり込まれる危険に常にさらされているのだ。
これは、自由意志の要素が、例えば、「想像的」な透視に変化した場合に起こる。
この場合、人はすでに第8領域に取り囲まれる。これはオカルト研究者があまり話したがらない事柄で、ひどく恐ろしい真実だからだ。
自由意志が「想像的」な透視に変容した瞬間、人間の中で展開されるものはルシファーとアーリマンの戦利品となる。
それは直ちに彼らに捕らえられ、それによって地球から連れ去られるのだ。
このことから、自由意志を束縛することによって、第8領域の怪物がどのように生み出されるかがわかるだろう。
ルシファーとアーリマンは、人間の自由意志を束縛し、人間の前にさまざまなものを出現させ、人間がそれらを使って作ったものを引き裂いて第8領域に消滅させることに永久に従事しているのである。
素朴で信心深い迷信深い人々に、あらゆる種類の異なる形態の透視能力が発現するとき、彼らの自由意志が犠牲になっていることがよくある。
そして、ルシファーが瞬時にそれを掌握し、これらの人々が不死の経験をしたと思っているのに対し、真実は、彼らのビジョンの中で、自分の魂の一部、あるいは産物がもぎ取られ、第8領域のために準備されているのを視ているのである。
このことから、透視によって霊的世界に関するあらゆる真理を一般大衆に提供することに同意した人々が、死者が自分に語りかけていると信じている「想像的」な透視能力者を発見したとき、どれほど深い懸念を抱いたか想像できるだろう。
しかし、オカルティストたちは、「想像的」な透視と生きている人間の間で起こっていることは、自由意志の流れが第8領域に通過していることであることを知っていた。
「想像的」透視能力者は、永遠なるものとのつながりが形成されるのではなく、絶えず第8領域に消えつつあるものを正確に証言しているのである。
このことから、ルシファーとアーリマンは、できるだけ多くのものを第8領域に持ち込みたいという熱望を持っていることがわかるだろう。
ゲーテはルシファーとアーリマンを一緒にしているが、それでも彼はメフィスト=アーリマンの魔手から魂がもぎ取られる様子を正しく描写しているのだ。
ルシファーとアーリマンが魂を丸ごと自分のものにすることに成功すれば、それは彼らにとって最も豊かな賞品となるであろう。
ルシファーとアーリマンにとって最大の勝利は、ある日、無数の死者が自分たちの領域に入ったと主張できるようになることであろう。
それが彼らの最大の勝利となる。しかも、それを実現する方法がある。この場合、ルシファーとアーリマンは以下のように接触してくるだろう。
:人間は、死と新生の間の人生について知りたがっている。したがって、死者からそれを学べると人間に伝えれば、彼らは満足し、死者から告知される我々の領域に感情を向けるだろう。
したがって、もし私たちが人の心を第8領域に導くことを望むなら、彼らにこう伝えているに他ならない。
:私たちは死者から来る何か得てあなた方と繋がっている。死者が我々の領域にいると主張することで、人を捕らえることができるのだ。
この悪魔のような計画(ここで私たちはまさに悪魔と関係を結んでいるのだが)は、透視を使って何かを成し遂げようとするオカルティストたちが出てきた時、ルシファーとアーリマンによって実行に移された。
ルシファーとアーリマンは、死者が話しているとされる領域へ人々を導くために、自分たちが手配した透視を霊感で動かし、すべての計画を行わせた。
そうすれば、ルシファーとアーリマンは死者の魂を手に入れることができる。オカルティストたちは、このような事態を目の当たりにして憂慮を覚え、どうしたらこの事態から逃れられるかを話し合った。
左翼に属する者たちも、事態を理解して、「何か違うことをしよう!」と言い出した。
その時、H.P.ブラヴァツキーという傑出した人物の出現によって、チャンスが訪れたのである。
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さて、計画が見破られ、地上のオカルティストが手を貸さなくなった今、ルシファーとアーリマンは、別の方法でその目的を追求せざるを得なくなった。
物質主義が登場したのは、地球の進化の自然の流れに沿ったものだった。したがって、鉱物化した進化の過程を考慮するためには、人間の注意を完全に物質的なものに集中させる必要があったのである。
これこそ、純粋で単純な唯物論である。オカルティストたちは、自分たちの特別な目的を持って、こう言った。
:それなら、私たちは唯物論に頼ろう。しかし、唯物論を純粋に地球的な形でとらえのはまずい。しかし、唯物論がオカルト化されれば、人間の思考は確実に変質する。そのためには、第8領域に対抗するために作られた領域(月)を、第8領域そのものとして提示するのが一番だ。第8領域に対抗するために作られた物質が第8領域そのものであると人々に信じさせることができれば、考えうるあらゆる地上の物質主義を凌駕することができるはずだ。
そして、シネットの主張の中で、地上の唯物論は確かに凌駕されたのである。唯物論はそこでオカルトの領域に輸入され、オカルトはそこで唯物論となった。
地球の進化のこの段階を深く洞察していたH・P・ブラヴァツキーは、この奇妙なトリックを見破った後、何が起こっているかを察知し、自分に言い聞かせるように言った。「このままではいけない、変えなければならない!」と。
しかし、この彼女の発言は、左翼に属するインドのオカルティストの影響を受けての発言だったのだ。シネットの主張を凌ぐものを自分でつくるために、彼女は自分を鼓舞するインドのオカルティストたちの提案に従ったのである。
このオカルティストたちは、左翼の信奉者であり、自分たちの特別な利益、つまりインドの利益を促進すること以外には目的がなかった。彼らは、キリストとヤハウェを排除した叡智の体系を地球上に確立することを念頭に置いていた。
したがって、彼らの提案にはキリストとヤハウェが排除されるような何かが挿入されていた。
そこで、次のような提案が採用された。
: ルシファーは真実、人類の偉大な恩人である。(アーリマンについては言及されず、ほとんど知られていなかったので、一つの名前が両方のために使われた)
ルシファーは、人間が頭脳を通して得たすべてのもの、すなわち科学、芸術、要するにすべての進歩をもたらす。彼は絶対的な真の光の精霊であり、人は彼に従わなければならない。
そして、思い出してほしい。
ヤハウェ- 彼は現実に何をしたのか?彼は人間に物質的・肉体的な遺伝の原理を確立したのだ。 彼は月の神であり、肉体的な遺伝の原理を導入した。彼は月の神であり、月に関連する要素を導入したのだ。
それゆえ、『シークレット・ドクトリン』には、人はヤハウェに固執すべきではないと書かれている。
「なぜなら、彼は物質性の主であり、すべての低俗な地上の衝動の主に過ぎないからで、人類の真の恩人はルシファーなのだ」と。
このことは、『シークレット・ドクトリン』の全体を通して煌々と輝き、しかもそこに明確に述べられている。そして、オカルト的な理由から、H・P・ブラヴァツキーは、キリストとヤハウェを憎むようになるように第8領域によって準備されていたのである。※
(※ブラヴァツキー夫人は、第4領域「地球」では既に機能していない古い東洋の教えに傾倒していったという見方がある)
オカルト領域では、このような発言は、シネットが「月は第8領域である」と述べたのと全く同じ意味を持つからだ。
上記を理解するには知識が必要だ。
本当の知識が必要なのだ。
『ルシファー・グノーシス』の定期刊行物を始めたとき、最初の記事は、ルシファーを正しく理解してもらうために、そしてルシファーが頭脳活動(「幻視的」ではない活動)」をもたらす限り、彼は完全なる悪というわけではなく人類の恩人であるという事実を知ってもらうために、必然的にルシファーをテーマとしたのだ。
しかし、ルシファーの力だけが在ればいいというわけではない。拮抗勢力も存在しなければならない。愛が拮抗勢力としてそこになければならない。このことは、この定期刊行物の最初の記事で述べられている。なぜなら、この時点で介入することが不可欠だったからだ。
このように、事態は複雑であった。H.P.ブラヴァツキーを通して達成しようとしたのは、基本的には、人間が第8領域を信じるようにするためだった。
このためには何か偽りのものを第8領域として提示するのが最も簡単だった。ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』には、人の心を霊的な世界へと導くという大きな利点があるため、当然、人は霊的な世界へと導かれることになる。
しかし、その道は特殊な利益の追求のために用意されたものであり、人類一般の進化のためのものではない。どちらが健全な道であるかをはっきりさせるためには、これらのことを厳密に心に留めておかなければならない。
本物のオカルトを求めるなら、空疎な言葉をそのまま受け入れてはいけないし、物事をはっきり見ようとしなければならない。
特に我々の発展における現在の時点では、これらの事柄についてある種の示唆を与えることが必要であった。というのも、もしあなた方がこれらのことを正しく心に留めておくならば、私たちの運動が始まったときから、私たちの船がどのように舵を取られてきたか、つまり、追求しうるすべての誤った道と人類の精神的発展にとって脅威となったすべてのものを考慮に入れて舵を取られてきたことがわかるだろう。
霊界への道を示すものは盲目的に与えてはならない。ましてや、狂信的な歓喜の結果であってはならない。
だから私は、第8領域に通じるものに騙されないようにすることが急務であると、何度も何度も呼びかけなければならなかったのだ。
そして、このように何度も何度も、「想像的」な透視の領域ではもっと注意を払うべきであり、ルシファーとアーリマンを排除する透視にのみ有効性を認めるべきだ 」と耳にしたなら、魂が第8領域と結びつけられる可能性のあるものはすべて拒否しなければならないことがわかるだろう。
もし自由意志を束縛した「想像的な」透視の領域に留まろうとする傾向が何度も出てくるなら、これは「想像的な」透視で自由意志を束縛するために我々の運動の明確な努力の道に反逆者が入ってきている兆候である。
「自由意志を束縛することさえできれば、どんなに幸せだっただろうか!」
これは、ここで語られている他の運動で広まっている特徴の多くが、私たちの運動に輸入されていることを示す徴候だ。
ブラヴァツキーからでもなく、外部からでもなく、私たちのメンバー自身によって、私たちが達成しようとする目標が常に破られつつあるのだ。
そのようなことが今も起こっているのは、透視能力者の発表が、歓喜の驚きを持って迎えられているからだ。
これは、第8領域に対する倒錯した愛の表現だ。
ある人が主張したとき 、例えば「シュタイナー博士がこうすべきだと言っている」などのように言う人は、自由意志を外国の影響に委ね、その意志を自分ではなく他の誰かに決めさせたい、さらには、物理世界に自由意志を束縛させることを許す責任を他の誰かに与えたいのだ、ということを意味している。
人々が自分自身の判断力によって決断する代わりに運命論に道を譲るときはいつも、第8領域に傾倒していることを示すのだ。
そして、このように第8領域に移行したものはすべて、地球の進化から消え、地球の進化と共には正しい方法で発展しない。
私たちは、これらのことに注意を払うべき時期に来ているのだ。私たちは、外典と秘伝の間で常に振動している天秤の針に注意を払わなければならない地点にきている。
私たちの間で観察されている秘教の原則は、基本的に言って、その現実におけるオカルト的な生活は言葉によって表現することができないということである。
物事は、あるときは秘教的に、あるときは外来的に語られ、これらはいわば、表現しがたい一つの言語の二つの異なる方言のようなものだ。
そして、もし人間が傲慢さのあまり、外典を内典に置き換えようとするならば、それらは表現しがたい言語の二つの方言であり、すべてはその二つのバランスをいかに保つかによって決まることを忘れることになる。
しかし、この二つの間にまだ残っているものは、表現できない言語と見なされなければならない。直接表現できないものが常にあるのだ。
『オカルト・サイエンス』のように、ある種の外伝的な事柄が公表される場合、そのような出版物では、すべてが外の非オカルト界で普及している現代文化の把握範囲内に収まるような形で置かれるよう注意する必要がある。
何かが秘教的であるべきだと言われるとき、それは単に、秘教の領域で提示されるすべてのものに参加する人々の輪の中にとどまるべきだという意味である。
ここでうまくいかないと、秘教的なものが外教的なものに持ち込まれ、常に危険と隣り合わせになってしまう。
このようなことは、限られた輪の中にとどめておくべきものが世界に持ち出され、それについていけなくなったときに起こる。
精神科学の研究を進めてきた年月の間、私は物事を発展させるために、人が透視できる段階に入る前でも理解可能である事柄を、精神科学の参入者すべての人に明らかになるよう努めてきた。
私は、それ自身の領域で理解できないものを公表することに苦心してきた。
したがって、人間が第8領域に入るのを見届けようとする者だけが、この精神科学的運動に有効な異議を申し立てることができることになる。
私が「二人の子供イエス」※に関する最もデリケートな事実を公表したとき、全く何も理解せず、いまだに霊媒術に信頼を置いている方面から反対が起こったが、今日聖書を深く研究する者なら二人のイエスの子供に関する記述を裏付ける状況を把握することができる。
(※k-lazaro's noteさんによる「二人の子供イエス」に関する記事)
したがって、私たちは、持ち込まれたものに注意深く従うという原則に立たなければならないが、権威への信頼からそれが私たちの間で受け入れられていると言うことは決して許されない。
真理が受け入れられるのは、単に私がそれを口にしたからだというような言い方を決してしてはならないのだ。
もしそのようなことを言うなら、私たちは真理に対して罪を犯すことになる。ある事柄や別の事柄は、権威に基づくかもしれないが、それは決して原則にはなり得ない。
すべての人が守るべき規則はこうだ。
「権威によって物事を受け入れるのではなく、それをテストすることだ。」
テストすることによって、確認が得られるのだ。私たちの間で「確信」という言葉が使われるときはいつも、それは危険信号であり、危険が私たちを脅かす時代に突入したことを示すものだ。
これまで私たちの間に広まっていた態度はやめなければならない。精神科学は権威ではなく、知識に基礎をおいている。精神科学は権威に基づくものではなく、知識に基づくものだからだ。
敵はいたるところに目を光らせており、私たちは多くのことと戦わなければならない。
混乱した心が戦いに身を投じなければならないと感じるときはいつでも、私たちの精神科学運動に反対する勢力が発展することを特に可能にしてしまうのだ。
これらのことは、主題の性質そのものに起因するものと見なさなければならない。
私たちはそれらすべてを考慮することを決意しなければならない。
というのも、特定の偏見をもった運動が受け入れられ支持されるのは、一面的であることが利益になる人間の集団が常にあちこちに存在するからだ。
人類は、人間の集団で構成されているのではないか?今、オカルト研究者がある集団に身を置くと、その集団が自分を助けてくれるから、自分がスタートする足がかりになるのだ。
したがって、一面的で偏った見通しから出発する者は皆、ある程度の同意と好意を得られることを期待できる。
しかし、真理そのものから出発する者は、まず、全人類を敵に回すことになる。真理は、完全に無関心でその領域を征服しなければならない。だから、真実、まぎれもない真実ほど嫌われるものはないのだ。そのため実際に心の底で憎しみを抱いている信奉者があちこちにたくさんいるのだろう。
その憎しみは、時に壁を作る力をも切り裂く。憎しみが長い間蓄積されているからこそ、その力をも切り裂くのだ。このような憎しみは、想像しているよりもはるかに広まっており、考慮しなければならない要素である。
真実が自己主張しようとするところではどこでも、反対勢力に何とか役立つように、真実を変形し、再鋳造しようとする「試み」がなされる。
そして、現在、私たちの間に現れているさまざまな「試み」は、ここに示された真理を歪めて別の意味で適用しようとしていると見なさなければならない。
これを行う最も巧妙な方法は、「教えそのものは良いが、教師は無価値である」と宣言することだ。教えは教師から盗まれ、それを他の目的に適用しようとする「試み」がなされる。つまり、ルシファーとアーリマンは、神々の知恵を手に入れ、それを第8領域に移すことを望んでいると言える。
私が今述べたような「試み」は、自由が支配する社会を奴隷の社会に変えることに向けられている。それはアーリマンに役立つ方法であり、彼はそのような活動を自分にとって有益なものにしようとするのだ。
これは問題のより難解な側面だが、私たちは今、必要な切実さをもって、外秘的な側面、つまりもう一つの方言からも考えなければならない。
私たちの精神科学の発展において、私たちは重要な地点に立っているという事実を見失わないように願う。
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