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The Threefold Sun and the Risen Christ 三位一体の太陽とキリストの受肉(キリスト意識 アーリマン)



今回は、1922年にロンドンで行われたルドルフ・シュタイナーの講演を3部構成でご紹介します。


The Threefold Sun and the Risen Christ 三位一体の太陽とキリスト

Part1

現代において、人間がその精神的進化においてどのような立場にあるのかを知り、文明が完全に崩壊しないためには次のステップは何でなければならないかを知っている人々が一定数いることが第一の重要事項だ。

今日、何が起こっているのだろうか?

親愛なる皆さん、私は人智学的な用語を用いて、人間が物質主義的な考えや行動をするところならどこでも働いているアーリマンの力が、現在 人間の知性を手中に収めて地球に鎖でつながろうとしていると断言することができる。

このアーリマン勢力(アーリマン意識)は、現在、非常に強力で、人の魂に接近するあらゆる方法を探し求めており、その目的は、純粋に物質主義的な展望、知的な世界への極端な執着と信念を採用するように人を誘惑することである。

そのためには、先ほども言ったように、人間が目標に到達するためには、どのように進化しなければならないかを知っている人が一定数いることが重要なのだ。

少し過去を振り返ってみよう。
もっとさかのぼることもできるが、ゴルゴダの秘儀の三、四千年前まで遡ればよいだろう。そして、その時代以降の人間の進化の過程を、一つの視点から追うことにしよう。

私が最初に論じる時代には、東洋で文明が栄え、私の著書『オカルト・サイエンス』では古代ペルシャ文明と呼んでる。

この文明の最盛期に人類を指導したのがツァラトゥストラ、ゾロアスターである。歴史に登場するツァラトゥストラではなく、後世の人物である。

私が言うツァラトゥストラは、もっと古い時代の人類の教師である。その昔は、偉大で高尚な先生の弟子たちが、その先生の名前を長く名乗るのがごく普通の習慣であった。

歴史に登場するツァラトゥストラは、実際には、偉大なツァラトゥストラの弟子たちのうちの最後の一人なのだ。

さて、この人類の偉大な教師は、最も素晴らしく、驚くべき方法で存在の秘密に入門し、当時の人々の前に立ち、高名で崇高な入門者として教えていたのである。

ツァラトゥストラは、私たちが太陽を見るときに目を向ける天に、偉大ですべてを包み込む霊が住んでいることを知っていた。そして、その知識を持つことができたのは、イニシエーションに通過した時であった。

彼は最初、太陽を物理的なものとして見ていなかった。今日、私たちが普通の意識で物理的な太陽を見る天に、ツァラトゥストラは偉大で遍在的な宇宙霊を見たのだ。

そして、この宇宙霊は彼に霊的な影響を与え、太陽から地上に降り注ぐ光線とともに、霊的な光線、神霊の恵みと恩恵の光線も降り注ぎ、人間の魂と霊に、人間が絶えず目指さなければならない「より高次の人間」を燃え立たせることを知るようになったのだ。

その昔、イニシエーターは外的な根拠によって名前を与えられたのではなく、彼らの名前は彼らが知っていることのゆえに与えられた。そして、私たちが話すこの崇高なイニシエーターは、弟子たちから「ツァラトゥストラ」、「ゾロアスター」、「輝く星」と呼ばれた。彼は、知恵の光線を地球に送る輝ける神格から名付けられたのだ。

ツァラトゥストラのイニシエーションは、彼の後に続くすべてのイニシエーションと比較して、より高貴で、より崇高なものであった。彼は霊的な宇宙の太陽を見るとき、地上の石を硬く固め、植物を種から生えさせて成長させ、動物をさまざまに地表に広げ、人間を地上に繁栄させるすべての力の源を見つめていたのであった。

ツァラトゥストラの最も古い存在である「燦然たる星」は、地球上で起こるすべてのことを知り、その知識は太陽の霊的存在を体験できたからこそ持っていたのだ。

人間が世界の神秘に深く入り込むことができなくなった時期が来た。人間は依然として太陽を仰いでいたが、もはやそれが放射状に輝き、光線を放つものとは見ておらず、ただ輝くもの、その光で地球を照らすものとして見ていた。

その時代、人々はラーのことを話し、その地上の代表がオシリスであり、ラーは彼らにとって地球を回り、光を与える太陽を意味した。秘儀の一部は失われ、イニシエートはもはや、古い時代のイニシエートのように放射状の宇宙神を内面的に完全に明瞭に見ることはできなくなった。

ただ、原初的なアストラルフォースがどのように太陽からやってくるかを見ることができた。ツァラトゥストラは太陽の中にいる存在を見たのである。

エジプトとカルデアのイニシエーターたちは、地球にやってくる力、つまり光の力を太陽の中に見た。彼らが見たのは「現象」、つまり「存在」よりも劣るものであった。霊的な「現象」であることは事実だか、霊的な「存在」としては見なかった。そして、エジプトのイニシエーターたちは、人間が内に秘めている太陽の力を地上に表す者について話し、彼をオシリスと呼んだ。

ギリシャの時代になると、ゴルゴダの謎の前の八、七、五世紀には、人間は太陽の神秘を見る力をすべて失っており、環境または地球における太陽の影響だけを見ることができたことがわかる。人間は、地球を取り巻くすべての空間に満ちているエーテルに太陽の働きを見ていた。そして、このエーテルは、地球の周囲に広がり、人間自身にも浸透しているが、ギリシャのイニシエーターたち(一般的な人々ではない者)は彼をゼウスと呼んでいた。

このように人類の文化的進化には三つの段階があった。まず、イニシエーションが太陽の中に神霊的存在を見た段階があり、次にイニシエーションがそこで働いている太陽の力を見た第二段階があり、最後にイニシエーションが地球のエーテルにおける太陽の存在の影響だけを見た第三段階があったのである。

さて、後の時代に、自分が生きていた時代に可能な限りイニシエーションの教えに近づき、これら太陽の三つの側面 - ツァラトゥストラによる太陽の側面、オシリスと関連する太陽の側面、ピタゴラスとアナクサゴラスが見て理解した太陽の側面 - の教えを知っている人物がいた。

この人物とは背教者ユリアヌスのことを指している。背教者のユリアヌス自身は、三つの側面すべてにおいて太陽を見ることはできなかったが、その教えを知り、神秘学校で受け継がれてきた伝統としてそれを知っていた。そして、ユリアヌスは、この太陽の三つの側面についての教えに非常に感銘を受け、彼にとってキリスト教がもたらすものは、それに比べて小さなものに思えたのである。

彼はツァラトゥストラが見つめた言いようのない栄光と輝きを知り、古代の神秘の中で人間が見ることができた、火と光の活動、宇宙の化学力、宇宙の生命力に関して学んでいた。

これらすべてについて、彼、ユリアヌスは、伝統によってのみではあるが学ぶことができた。そして、その教え全体があまりにも崇高で強大なものに思えたため、彼はキリスト教を受け入れることができなくなった。

彼の心の思考と目的は、実際、まったく別の方向に向いていたのである。彼は、自分自身がある程度まで入門していた古代の秘儀を人類に伝えたいという願望にとらわれたの。

そして、親愛なる皆さん。これが最後に、彼の人生を激しく終わらせることになった短剣の鞘を抜くことにつながったのである。

背教者ユリアヌスは、太陽には三つの側面があると宣言した。第一に、地上のエーテルの側面、第二に、地上のエーテルの背後にある天の光の側面、つまり化学物質、火の温もり、生命力の側面でもある。そして最後に、純粋な霊的存在の側面である。

この秘儀を伝えたために、彼は道から外れたのだ。そして実際、人類一般がこのような重く厳粛な真理を受け止める機が熟していなかったことは認めざるを得ない。

しかし、歴史の研究は、この関連で、非常に大きな意味を持つことがわかる。

ツァラトゥストラ、オシリス、アナクサゴラスのこの三重の教えのかなりの部分が、霊的な太陽の教え、元素的な太陽の教え、そして太陽に満ちた地球のエーテル環境であるゼウスの教えが、ギリシャの外部の外典文化に入り込んでいたのである。

そして、ギリシャの芸術と哲学に、この古代の知恵の流れがなければ、世界はこのような崇高なギリシャ芸術や、素晴らしいギリシャ哲学を持つことはなかったであろう。さらには、プラトンやアリストテレスも生まれなかったであろう。

しかし、過去の時代から受け継がれてきたイニシエーションの真理が、冒涜から十分に保護されなくなる時が来た。

イニシエーションの叡智を源とする多くの教えが、優れたローマ人、とりわけローマ皇帝の手に渡ったのである。その中で、おそらくアウグストゥスだけが、自分に伝授されたイニシエーションの知恵を大切にする方法をまだ知っていたといえるだろう。

その結果、絶望的に平凡な半蛮族のローマ文明は、ギリシャ文化の表面の輝きとでもいうべきものを引き継いだが、この文化の中心にあるものを真の形で後世に伝えることは全くできなかった。そのため、ゴルゴダの秘儀以来、世界に浸透しつつあったキリスト教にローマの影響が浸透し始めたとき、キリスト教がローマから来たすべてのものとともに、古代文化の真髄を受け取る可能性はなかったのである。

私が今、歴史的な出来事を説明するとき、それを非難や批判の表現と受け止めてはいけない。人類の進化には、そのようなことが起こるのは必要なことであった。

しかし、ローマがイニシエーションを大切にすることを知らなかったために、それ以前の時代の真のイニシエーションの真理が西洋に伝わらなかったという事実に目をつぶってはならない。

人類は、現代の普通の意識をもった人間であった過去の私たちが、古い時代の神聖な真理を理解することができなかったために、その真理から遠ざかってしまったことを認識しなければならない。ご存知のように、最後に残ったギリシャの哲学者たちをヨーロッパから追い出し、東洋に避難させたのはローマ出身の人物であった。

このようなことを思い起こす必要があるのだ。私たちが直面している問題を考えるには、まずこのようなことに言及する必要があるのだ。

この知識の唯一の名残は、ローマ教皇がかぶる三重冠(教皇冠)に見られる。

教皇冠

外的なシンボルは残っているが、内的な真理は失われている。しかし、現代の新しいイニシエーションによって、人間がその進化の初期段階を振り返る道が再び開かれた。

人智学の教えが伝えるこの新しいイニシエーションは、人間が地球から太陽を見上げ、太陽が人間の進化の謎について教えるべきことを聞こうとしたとき、それがどのようであったかを振り返って眺めることを可能にするのだ。


Part2

親愛なる皆さん、昔の入門者たちの弟子たちが広い宇宙を見渡し、地球を越えて太陽の働きの中に、そう、太陽そのものの中に生きているものを見たと語ったとき、つまりツァラトゥストラが宣言した太陽の崇高な霊存在について語ったとき、彼らはこの後の時代に我々がキリストと呼ぶものと全く同じ存在について語っていたのである。

故に昔のイニシエーターたちが、地球外の宇宙の中で、太陽を中心とする宇宙の中で、キリストを見たというのは真実に忠実なのだ。ゴルゴダの秘儀の真髄は、それがキリストについて教えているという事実の中にあるのではない。

昔のイニシエーターたちも、キリストのことを知り、教えていた。ただ、彼らは地球の力の中にキリストかま生きているのではなく、太陽の力の中に生きているものとして話していた。

昔のイニシエーターたちがキリストという存在について語らなかったと考えるのは間違いである。キリストはゴルゴダの秘儀以前から、地球の外、地球を超えた存在として、絶えず語られていた。人々はこの真理を見失い、それを述べることをキリスト教的でないと見なす傾向がある。

しかし、初代教父たちが間違いなくこの見解を持っていたことを見れば、なぜこのような発言がキリスト教的でないとみなされるのだろうか。彼らはこう言っている。

「異教徒と表現される昔の賢者たちは、深い意味ではキリスト教徒である」。初代教父たちは、ゴルゴダの秘儀の前では異教徒をキリスト者として語ることをためらわなかった。

ゴルゴダの秘儀で起こったことは、それまで地上に存在しなかった存在、天界の秘儀に入門したときにだけ地上の外で見ることができた存在、この存在がナザレのイエスの中に受肉し、ナザレのイエスの中で地上に生き、はりつけにされて地上に横たえられ、復活し(霊体で蘇り)、彼の太陽の力が入門した弟子たちに宿ったにほかならないのである

偉大で崇高な太陽の存在が宇宙の高みから降りてきて、地上に降りた - それがゴルゴダの秘儀で実現した出来事である。そして、霊界から降りてきて死を経て、その体が地上に安置されたとき、人類は太陽の力(キリストの衝動)を知る発展段階に入ることになったのだ。

そして、キリストがそのとき弟子たちに教えたことを今日多くの人が知ることが重要である。人類のさらなる進化のために今働いている力に参加できるようにするために、多くの人がこの復活したキリストの教えを知ることが重要なのだ。

もう一度、昔のイニシエーターのことを振り返ってみよう。彼はどのように教えを受けたのか?

昔のイニシエーター皆、地球外にいる存在から指導を受けていた。そして、その指導は次のような方法で行われた。秘教の弟子たちは、体外にいるときに「視る」ことができるように訓練され、準備され、そして太陽の存在を知るようになったのだ。

私たちは、ツァラトゥストラが崇高な太陽の存在であるキリストを知るようになった経緯について話した。昔のイニシエーターたちは、他の階層的な存在も知るようになった。そして、このようにして降りてきた存在がイニシエーターたちに教えるために使う言語、霊的言語は、当時も人間に教えを授けることが可能な言語だった。

このように、古い時代には神聖な教師がいた。そして、キリストもまた、そのような神聖な教師であった。キリストが復活した後に教えを受けた人々にとって、キリストは神聖な教師であった。そして,キリストが彼らに教えることができたことは新しいものであり,以前の神聖な教師たちが教えていたこと以上のものであった。

以前の時代の神聖な教師は、誕生の秘儀について伝承したが、死の秘密については話さなかった。なぜなら、以前の神聖な教師が、昔の入門者を教えるために降りてきた神の世界では死を経験した存在がいなかったからだ。

死は地上では人間だけが経験するものだった。神々は見下ろしながら、死ぬ人間を観察するのみであったため、彼らにとって死に関する知識は単に外的な知識であった。

しかし、キリストは地上で死を知るようになった。キリストは、大昔の神の教師たちのように、あるとき、ある人間の中に組み込まれて輝きを放つようになっただけではないのである。神であるキリストが、人間の肉体を持った人間の魂として地上に生きたからこそ、死を知ることを学んだのだ。

キリストは死を経験し、それを知り、学んだ。そして、彼はそれ以上のことを学んだのだ。

地上に降りることができた神聖な教師たち、そして昔のイニシエートされた教師たちには、地球の内部の神秘を除いて、広い世界全体ですべての神秘が開かれていたことを説明しなければならない。

イニシエーターたちは、地球の内部では、ゴルゴダの秘儀以前は神々とはまったく別の種類の霊的な存在が指揮をとっていたことを知っていた。たとえばギリシャ人は、地球の内部にいる霊的な存在を知らなかったわけではなく、神話の中でタイタン(巨人)と呼んでいた。

しかし、キリストは上層の神々の中で最初に地球の内部を知ることを学んだ。これは重要な事実である。キリストは地中に埋葬されたため、それまで上層の神々が全く知らなかった領域の知識を地上にもたらしたのである。

そして、神々も進化しているというこの秘密は、キリストが復活後に弟子たちに伝えた秘儀である。この秘儀は、パウロもダマスコので経験した自然なイニシエーションを通して学んだ。パウロが心の底から驚き、震撼したのは、かつて太陽に求めていた力が、今や地球の力と一体化していることを知ったからである。

パウロが本名であるサウロであった頃、キリストの弟子たちを迫害した理由は何であったろうか?それは、彼が古いカルデアの伝承から、キリストは外宇宙に存在し、彼が地球に住んでいると宣言する者は誤りであると学んだからである。

しかし、パウロがダマスコに向かう途中で悟りを開いたとき、その瞬間、それまで真実であったことだけを信じようとしていた自分自身が誤りであったことを知ったのである。

今、彼は、これまで真実であったことが変化していることを見たのだ。かつて太陽だけに住んでいた存在が、今は地球に降り立ち、地球の力の中で生き続けているのだ。

このように、ゴルゴダの秘儀を最初に知った人々は、決して地球だけの出来事ではなく、宇宙的な出来事、すべての世界のための出来事であると理解していた。

初期キリスト教の時代には、このように理解されていた。そして、真のイニシエーターたちは、この出来事を次のように説明している。

彼らは深いイニシエーションを受けた、初期のキリスト教のイニシエーターたちであった。そして彼らは、今日私たちがゴルゴダの秘儀を通過した存在として考えているキリストが、私たちの時代の初めに、太陽からここに来たこと、またさらに遠い高みから太陽に降臨したことを知っていたのである。

ツァラトゥストラがキリストを見たのは、太陽の中であった。その時、彼の力は太陽の光線の中に入っていった。エジプトのイニシエーターたちは、太陽の光線の中で彼を見た。

そして、彼の力は地球内で生きた。ギリシャのイニシエーターはそこで彼を見たのだ。

この秘教的な教えは、キリスト後の数世紀の間に、各地に点在する秘教学校で素晴らしい暖かさと輝きをもって伝えられた。それは東洋から伝わり、秘密の経路で絶えず西へと広がっていったのだ。

そう、疑いなく、キリスト教にはそのような秘教的な教えが確かに存在したのである。初代教父たちは、今日知られているよりも多くのことを知っていた。しかし、彼らは同時に、ローマから脅かされていた。

初期のキリストの衝動と反霊的なローマ世界との衝突の大きさについて、現代の歴史家たちはほとんど理解していない。

ローマ世界が行ったこととは、キリスト教の最も深い秘儀に外面的なベールをかぶせることであった。

昔の人類は、今の私たちの普通の意識ではほとんど想像できないような、宇宙の力との生きた関係を持っていたのだ。キリストより三、四、五千年前に生きた人々は、ある物質を食べると、それが自分の体の中で働き続け、自分の中に宇宙の力を現出させることをよく知っていた。

たとえば、ツァラトゥストラが弟子たちに行った指導を見てみよう。彼は弟子たちに次のように教えていた。

「あなた方は畑の果実を食べている。この果実は太陽によって照らされたものであり、太陽には高邁な霊的存在が住んでいる。遠い宇宙から来た高い霊の力は、太陽の光線とともに畑の果実に入り込む。畑の実を食べると、その実があなたの中で太陽の霊力で満たされ、畑の実を楽しむと、あなたの中で太陽が「昇る」のだ。畑の実から作られたものを手に取りなさい。その上に瞑想しなさい。太陽はその中にあることを思い出しなさい。そのパンがあなたにとって輝きを放つまで、そのパンの上で瞑想しなさい。そしてそれを食べ、太陽の力がいかに広大な宇宙からやってきて、あなたの中に入り込み、あなたの中で生きているかを意識しなさい」。

ローマがキリスト教に導入した、ベールに覆われた教えをもとにこの儀式を祝い続ける人々は、ただミサや聖餐式でパンを食べるという外的な表現に過ぎないと判断するだろう。このような人間が、パウロの教えを理解するためには宇宙の知恵を必要とするという提案に最も激しく反対する人々なのだ。

キリスト教が発展してきた三、四世紀には、この神秘についてまだかなりのことが知られていた。その後、世界の外的な知識が人間を支配するようになったため、今日の私たちがキリスト教初期について伝わっている記録を読んでも、ゴルゴダの出来事に対する初期のキリスト教の観念がいかに深く霊的なものであったかを認識することはほとんど不可能である。

しかし今、人間にとって、キリスト以後の最初の数世紀に抱いたキリスト教の霊的理解を、もう一度振り返って記憶に呼び起こす最も重要な時期に来ているのだ。

ゴルゴダの秘儀以来、人間はすばらしい地上の知恵を獲得するように発展してきた。これによって、私たちは自由な存在となったのだ。

昔は、イニシエーターでさえも自由ではなかった。本当に深い衝動に駆られていたときは神々の導きに身を任せていたのだ。人間は地上の知恵を獲得することによって、そしてそれだけで自由になることができるのだ。

しかし、近い将来、反神的な、反キリスト教的な勢力が人間の魂を掌握する時代がくるだろう。

この反キリスト教的勢力を、私はアーリマン的勢力(アーリマン意識)と呼んでいる。

私たちの時代には高度に発達した科学があるが、それはまだキリスト化されていない。
私たちは文明や文化について大いに語るが、その基礎となっている自然科学をキリスト化する機会を誰も見出さないでいる。

しかし、自然科学はキリスト化されなければならない。

そうしなければ、私たちは宇宙から必要なものをすべて奪われることになる。完全に失ってしまうのだ。

大昔、人間がもっと敏感だったころは、宇宙の力を享受できた。

しかし、時代が進むにつれて、彼らは宇宙的な生命からますます遠ざかっていった。エジプト・カルデア文化の後期には、イニシエーターたちはまだ神々の力、つまり植物や石に入り込む力について話すことができた。

そして、この時代に癒しと医学の科学が生まれたのだ。そして実は、今日私たちが使っている最も効果的な治療薬は、その古代の時代に由来しているのだ。

そう、癒しの領域においても、私たちは再び真の知識の源に立ち返り、私たちの周りにあるもののより深い力への洞察に基づく医学の技術を開発しなければならない。

その道を見つけるのは、現代のイニシエーション・サイエンスに委ねられている。

人智学は、今日、人間にとって達成可能なものを人間に伝授すること以外の何ものでもない。1879年以来、暗黒時代(昔の預言者たちがそう呼んだように)は過ぎ去り、終わったのだ。

私たちの周りには霊的世界があり、生きている霊的世界が私たちに姿を現し、私たちはそれを知覚し認識することができるのだ。そして、その霊界が私たちに明らかにしていることに耳を傾け、聞き分けることが私たちの役目だ。

私たちがこの人智学運動で目指しているのは、霊的世界の啓示に人間が耳を傾けるようにすることだ。それは人類だけの問題ではなく、宇宙世界に関わる重大な使命なのだ。


Part3

親愛なる皆さん、私たちがイニシエーションの知識から単一の具体的な事実を伝え始めるとき、一つまたは別の嘲笑された真実に会っていても驚いてはならない。

私が講演の冒頭で述べたことを思い出していただきたい。人類の進化に関する明確で詳細な知識を持つ人が今日必要とされている。
イニシエーション科学からそうした知識を得た人が今日世界では必要とされているのだ。

そして、広範で一般的な真理を認識することに満足するのではなく、これらの真理を人類の日常世界に持ち込んで、そこに生命を吹き込むことがいかに重要であるか、これまでの説明でお分かりいただけただろう。なぜなら、イニシエーション・サイエンスの真理は、その中に生命の活力を持ち、地球上の人間の生活について力強く、正確に語ることができるからだ。ここで一例をあげよう。

ある修道士は驚くべき才能を持ち、初期キリスト教の時代から、書物ではなく、口伝で伝わってきた知識を特別に研究することに専念していた。このような知識は、特にいくつかの修道院で長い間伝統として生き続けていたのである。

例えば、年配の修道士が若い修道士と二人きりになったときに、その知識を伝授するのである。その後、彼はイタリアを離れ、十字軍に参加する。彼は小アジアで病気になり、その治療中にキリスト教の秘儀に入信している年配の修道士に出会った。

その結果、その若者は、もっと深いキリスト教の秘儀を知り、理解したいと強く願うようになった。 そして、彼は東方で死んだ。

そして、彼は我々の時代に生まれ変わった。彼の以前の転生から来た力が強く働き、次のような驚くべき方法でその力を発揮する人間として生まれ変わったのだ。今述べたように、人生の現実的な事柄をイニシエーションの知識を土台にして語り始めると、人々がそれを嘲笑に変えてしまうことは、実に予想される以上のことである。

とはいえ、現代ではそうすることが絶対に必要であり、霊的に見抜かれたことは、外的な科学の事実を語るのと同じように、直接的かつ確実に歴史的事実として語ることができるという認識を持つべき時が来るだろう。

私の言う人物とは、ニューマン枢機卿(ジョン・ヘンリー・ニューマン)にほかならない。

ジョン・ヘンリー・ニューマン

彼の青年期からの人生の歩みをたどり、彼の持っていた知識を調べ、彼自身の言葉を読んでいただきたい。ニューマン枢機卿の中に、彼の周囲のキリスト教とは異なる秘境的なキリスト教に染まった強い個性があることを、あなたは見過ごすことはできない。

彼がなぜ、自分の周りにあった教条主義的なタイプのキリスト教から離れ、復活したキリストの最初の弟子たちが持っていたような、別の種のキリストの衝動を夢見たのかが理解できるはずである。

さらに彼の生涯をたどってみると、叙任式で彼が発した「新しい啓示を受けない限り、宗教に救いはない」という重要な言葉に注目できる。

そうすれば、この真剣な探求が、地上での前世から続く、深く強い憧れから生まれたものであることが明らかになる。彼は、私が講演の第二部で話したような霊的な力の存在とキリストの衝動を感じていたのだ。

そして、現代においても、特別な発展を遂げることによって、新たなイニシエーションを獲得し、新たな啓示を受けることが可能かもしれないと、おぼろげながら感じていたのだ。

それにも関わらず、彼自身はキリスト教の理解において、最終的にはローマの「伝統」というものを受け入れてしまったのだ。彼の探求がどこへ向かったかについては、私が語るまでもないだろう。

彼は、「暗黒」の向こう側にある「光」に到達しようと努力していたが、雲の中にずっととどまっていた。彼の存在をより深く知ると、彼自身は本当に悪いわけではなく、むしろこの点で彼は生贄であり、時代の犠牲者であり、先ほど私が名付けたアーリマン勢力の犠牲者であったことがわかる。

このアーリマン的な力はニューマン枢機卿に非常に強い影響を与えた。彼らはニューマンの上に降り立ち、彼の思考の力を捕らえ、その結果、彼は自由に発展した霊性への道を見出すことができなかったのである。

今日、自分の人生を自由に展開しようとする者は、まず第一に自分の思考において自由でなければならず、自分の思考力を脳の束縛から解放しなければならない。

アーリマンは、死後の人間の人生の後半を短縮することによって、最大の成功を収めるのだ。死と新生の間に一定の時間が経過することはご存じだろう。私は『Mystery Plays 』の中で、この時間が2つの部分からなり、後半は私が「宇宙の真夜中」と呼ぶものの後に経過することを説明した。

アーリマンが短縮しようとするのは、この後半の時間、すなわち「宇宙的な真夜中」から「新たな誕生」の瞬間までの期間である。

そして、そうすることによって、彼は人間の脳とその思考を手に入れるのだ。

衝動的で野蛮なエネルギーで脳にしがみつき、人間を地球に呪縛しようとする。さらに、アーリマンは、人間の思考力を、霊的世界から離れた地上のある領域(第8領域※)により深く引き込もうとする。

※第8領域…この概念は、イギリスの神智学者アルフレッド・パーシー・シネットによって提唱され、後にルドルフ・シュタイナーがその定義をさらに発展させた。
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このようにして、人間は1世紀か2世紀早く転生してしまうのだ。このようなアーリマンの攻撃は、霊的なエネルギーと決意をもって克服されなければならない。

ニューマン枢機卿がまだ人生の舵を握っていた頃、彼はその霊的エネルギーの割に、自分の思考を十分に解放することができなかったのだ。この霊性は、すでに指摘したように、人間がゴルゴダの秘義を理解するのを助ける。

そして、ゴルゴダの秘儀は、その人の内側に、まさにその存在の内側に生きることになるのだ。

ここ英国で、私はあえてニューマン枢機卿を例に挙げた。彼のような悲劇的な人物を研究することは、私たちの時代の必要性を非常に強く印象づけることができる。

だからこそ、ニューマン枢機卿がアーリマン勢力によって奪われた霊的知識と霊的生活の必要性を、この国で理解することが重要なのだ。

文明が破滅から救われるためには、霊的知識と霊的生活が再び人類にアクセスできるようにならなければならない。

このように、私たちが考えてきたような繋がりを知ることは、人類の精神生活の向上のために全力を尽くすという決意を私たちの中に呼び起こすことになるのだ。

私たちにとって、これ以外に可能な道はない。

しかし、アーリマンの力が非常に強いという事実に目をつぶってはいけない。

私たちが証言しようとする真理には、このアーリマンの力に感化された獰猛で頑固な敵がいるのだ。

これらの力はより強く、ますます強くなっている。

人智学運動が世界に立ち上がり始めるとすぐに、私たち人類は恐ろしい敵の力と絶えず戦わなければならないことを知ることになるだろう。
その時あなたが愕然としないように、私は今日あなたにこれを言いたい。

私の言葉が、一方では私たちの人智学的努力の背後にある意志と意図を洞察させ、他方ではこの運動を押しとどめようとする敵からの攻撃(それはしばしばひどい中傷である)に対して警戒するように、あなた方を奮い立たせてくれるよう願っている。

これらの敵が強力であっても、私たちはそれに劣らず力強く在らなければならない - 私たち一人ひとりが自らのエネルギーと直感力の積極的な力をもって-。


人智学の世界観は、たとえそれがしばしば誤解を招き、私たちの運動の目的と目標に不信感を抱くことがあっても、はっきりと正直に世の中に提示されなければならないのだ。

この霊性を誤魔化し、曖昧にしようとするあらゆる勢力がいるにもかかわらず、この霊性が世に広まる時のために弛まぬ努力をするよう、心を揺さぶられ、鼓舞される人が多くいることを私は切に願っている。

このような衝動に駆られるということは、この霊性が人類のさらなる進化にとっていかに緊急に必要であるかという事実に目覚めているということなのだ。

親愛なる皆さん

私たちが人智学という存在の本質と、私たちの時代におけるその重要性についての共通の理解において互いに少し近づいたなら、私たちが何年も待たねばならなかったこの会合は実を結ぶことになるだろう。

この希望を胸に抱いて、たとえ空間的に離れていようと、魂で共にいることを決意しようではないか。

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