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怪我から2か月~今、思うこと~

この手の内容は些か、書きにくいところなのだけど
ちょうど今日で怪我をして2か月が経ったので、この1か月を振り返ってみようと思う。これは、とても個人的な内容だ。

1か月前に感じていた、僕の不安は周りの人にも波及していた。
それは、母親とか。一緒に住む母親の存在は切っても切れない。
どことなく、気を遣われている感じがあった。とても遠回しに。
僕らは不器用なので、それをうまく理解し合えない部分がある。

だから僕は、「気を遣わなくていいよ」と言った。母は「気を遣ってないよ」と言ったけど、少し言葉が弾んでいたように感じた。
病気とは魔法で治すのではなく、身体が治るように向かっていくように整えていくことだ。それには、心と体のコンディションが良い状態であることが必要だ。

5月11日 MRIを撮ってもらった。MRIは磁石の力で身体の臓器を見る検査だ。骨だけでなく、筋肉や靱帯など血管の状態が分かる。
結果は、膝に関わる全ての靱帯が亜断裂(かろうじて繋がっている状態)していた。加えて、骨挫傷(骨折でもヒビでもないが、骨が酷く炎症している)もあった。


怪我から1か月が過ぎても足は思うように動かせず、足を着くと腫れてしまう理由がこれではっきりした。自分の足の状況がやっと理解できた瞬間だった。初めの診断では2週間、先生の話では1か月。そんな状況ではなかった。
医師ははっきりは言わなかったが、恐らく重症である。断裂していなかったことが不幸中の幸いである。

それからは、過度に足をつくことはやめ。足の調子を見ながらリハビリをすることにした。基本的には膝を使わないと曲げたり伸ばしたりすることが難しくなるので、座る時間を多く作った。大腿部(ふともも)の筋肉も鍛えるために、筋トレも開始した。精神状態はとても落ち着いていた。なんなら、焦る理由がなくなったからだ。

廃用とは恐ろしいものである。膝を長い間、使えなかったために、簡単には曲がらなくなってしまった。関節可動域訓練(動かせる範囲を広げる訓練)は並大抵の努力でも乗り越えられない。忘れてしまった、膝の曲げ方を筋肉の覚えさせるって理屈は分かっても想像ができないでいる。
下腿(膝から下の足)が持ち上がる瞬間にを意識したことがあるだろうか。逆に僕は意識しないと膝が勝手に跳ねるような感覚と激痛に襲われるのだ。

現時点で、足を他動的に押し込んでもらい、100度まで曲げることができる。自動では、徐々に曲げて90度くらいだ。
車の運転も試してみた。シートポジションに着くことはできた。母親を助手席に乗せて、信号のない農道を走った。停止の状態でブレーキをおもいっきり踏むこともできるが、時速40kが限度である。それで以上は今の僕にはコントロールできない。

それでも、自転車こぎができるようになったり、1本杖で15分くらいなら歩けるようになっている。このできることが増えていく喜びが溜まらない。
こんな状態でも心は安定している。それは、職場の人たちも理解してくれていると思うし現状でやりたいことができているからだ。
少し願望を言えば、早く歩けるようになりたいし仕事をしたい。でも、願っても叶わないのであまり考えないようにしている。目の前にあるできることをただやるだけだ。だから、苦手な母親との会話だって楽しみの1つにしたい。

それにできることに限りがあると、本当にやりたいことが見えてくる。
いろんなことを考えてきたけれども、もっとも興味があることが何か分かった。今までずっと燻っていたものが少しはっきりした。なんとなく幸せだったけど、なんとなく満足できずに藻掻いていた。
足が治ったらではなく、今以上良くならなくても、挑戦したい。

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