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【vol.3】母がICUに入りました。※コロナではありません。

大好きな皆様こんにちは。

今日も覗いていただきありがとうございます。

私が中2の時

体育館に突然、母がアフリカンダンスを踊りながら登場したという話を前回書きましたが

それを読んで主人の友達が、懐かしい写真を送ってくれました。


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『昔から踊るの好きだったんだね(笑)』

とメッセージ付きで。。

(母すっごい楽しそう。)

こちら私たち夫婦のビーチウエディングパーティーでのひとコマ。

ちなみに母の両サイドは私でも主人でもなく、大好きなお友達です。

このくらいまた、母には元気になってほしいものです。(にっこり)

※病状はFBにて

ちょっと振り返り


相変わらず今も、母はICUにおります。

ですが、身体の方は少し安定して来たようなので、少しだけ一安心しているところです。

そんな訳で容赦なく続きを綴ろうと思います。(コロナで面会も叶わず、会えないしね)

テキーラじゃなくて。。。


母に半ば無理やり乗せられた船でのテキーラ早飲み大会

16歳の私が輝かしい成績を残した事は前回書きましたが(お酒は二十歳から。)

それを読んだ『美崎町(石垣島のセンター街)の初代テキーラ大王※自称』なる方から

「文中のテキーラ画像が、ニコラシカに見えて気になる!」

とご指摘をいただき、ピーーーーンと来ました。

ぶっちゃけ、前回のnoteを全て書き終えてから

(いや、早飲みしたの、テキーラじゃなかったな。。なんだったっけ。。。)

と思い出せずにいたのです。

そしたらなんと、無意識に選んでいた画像がニコラシカ。

そう、答えはニコラシカ!!!(すげー)

私、ニコラシカがブランデーのショットだって事、今回調べて初めて知りましたよ。

船の乗組員がウクライナ人だったので、バースタッフ(もちろんウクライナ人)が

「ニコラーシカ、ニコラーシカ!」とやたら嬉しそうに薦めてくるもんだから

「マトリョーシカ」的な国民的アルコールかと思っていたので

ウォッカのイトコみたいな物かと思ってました。(にっこり)

何だか分からない物を早飲みする。←若さ


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(これがテキィーラ!)

じゃあなんでテキーラ?


さすがに経験していないのにライムと塩のくだりまでは書けません。

そう、これはあの平和の船を降りてから、別の時代のお話なのです。。

(こちらは順を追って。。。ひんやり)

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オエーーーー


では話を戻しましょう


16歳で初めて乗ったピースボート。

ベトナムでパラパラの伝道師になったり、ニコラシカ早飲み大会で2位になったり

シンガポールで出航時間に間に合わずガチで乗り遅れそうになったり

スリランカで注射器を持った人に追いかけられたり。

色んな平和な事がありましたが、そんな船生活で私が一つだけ参加しているボランティアチームがありました。

チーム・ユネスコに参加


私が参加していたチーム。

それはチーム・ユネスコといって、国連の機関であるユネスコが提唱している「6つの平和宣言」というものにオリジナルで振り付けをして「ピースボート乗船者が踊る」というダンスチーム。

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参加希望者が集まって、毎日夕方1時間ほど船のデッキで練習をし、宣言ごとにイメージされた「オリジナルダンスをみんなで作り上げていく」という完全有志のダンスチームでした。

当時16歳のパラパラっ子だった私。ダンスには興味があったので

軽い気持ちで参加することにしました。

もちろんただ練習するだけではなく、寄港地ごとに発表の場があり(超ゲリラ的な場所から、10万人集まるフェスティバル会場までいろいろ)

ダンスを披露したあと、見てくれた地元の方達にユネスコの平和宣言への署名をもらうのです。

そしてその世界中で集めた署名を国連本部まで行って提出する、というのがチーム・ユネスコのゴールでした。

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(だからわたし16歳でNYの国連本部の中に入ったことあるんですよん)

私は単純にダンスが楽しかったので、最初から最後まで結構まじめに参加していて

1~6番までのオリジナルダンスの1番「すべての人の生命を大切にします」というテーマで踊る、完全フリーダンス(※コンテンポラリーダンスみたいな感じ)の選抜メンバーにも入れて頂いていたくらい

まぁまぁチーム・ユネスコに食い込んでいました。

そして16歳の私の中では「パラパラ」から「表現するダンス」

そして「渋谷センター街」から「国境を越えた世界平和」へと興味が移って行ったのです。


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楽しい時間はあっという間


そんなクルーズの間には、一大イベント『船内フィーリングカップル』の司会をいきなりやらされてダダすべりしたり

モーニング、ランチとビュッフェで連日食べ過ぎてめちゃくちゃ太ったり

いろいろ愉快爽快なことで溢れた毎日でしたが、楽しい時間はあっという間。

人生初の世界一周の旅も、東京、晴海ふ頭でフィニッシュです。

そう。私はその時既に、

3ヶ月前の渋谷大好きパラパラギャルとは...別人になっていたのです。


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友達からの冷たい目


『スミレ変わったよね~』

『なに?ふね??(笑)』

『世界平和、ボランティア。。(笑笑)』

ギャル友達からは

まーーーさんざんっぱら馬鹿にされました。

でも、そらそうだと思います。

他のみんなは、世界が全然変わってないんですから。

でも私は、広い世界を見てしまったのです。

全身で感じてしまったんですよねー。世界の空気を。

世界中の人たちの存在を!

(強引な母のお陰で)

と、いうわけで、どんな鬼ギャルに馬鹿にされようと

そこまで気になりませんでした。

(ちょっと悔しかったけどね)

更に、お声が掛かる


そんな船から下船して、ほどなく

『次のチーム・ユネスコのリーダーが居ないから、乗らないか?』

・・・

はーい乗りまーす!

あまりその辺りのことは覚えていないんですが、特に迷った覚えも、迷う必要もなく、ほぼ即答したと思います。

その時17歳。

16、17と、めちゃくちゃ多感な時期に、連続で世界一周ができることになったのでした。


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リーダーというプレッシャー


1回目の世界一周はただ乗っていれば良かったようなものでしたが、

今度は一応、「チームリーダー」。

私の他に、少し年上のキャラ立ちしている2人(オネェキャラのSくんと爆乳なのにガリガリなMちゃん)が、一緒にリーダーとして乗ることになりました。

ぶっちゃけ、色々やらなきゃいけない仕事があったと思うんですが(次の寄港地で踊る場所の手配や先乗りスタッフとの連絡など)

超スーパー末っ子キャラの17歳(私)は、その辺のややこしい事はだいたい先輩2人に押し付けて

毎日の練習だけは、教える側として頑張っていました。

にも関わらず、一丁前に悩むフリとかしてみたりして。。

『こんな17歳の小娘が、全員年上の参加者さん達にダンスを教えていて良いのだろうか。。』

とか考えながら、夜の船のデッキに出て一服したり。。(そこがただのヤンキー)

実際、元々ダンサーだったわけでもなく、若さと勢いでなんとなくリーダーになってしまったので

やはり自信が無かった部分はありましたが

今思い返しても、「あれは悩んでるフリだったよなー」とか思います。笑

ですが、確実にその経験が、私を大きく成長させてくれた事は間違いありません。

アルゼンチンのフェスティバル(観客10万人)の前でのパフォーマンスはめっ...ちゃくちゃ緊張したし
南アフリカでのステージ上でのパフォーマンスは、全ての環境が整いすぎて鳥肌が立つくらいキマっちゃって、みんなでめちゃくちゃ感動したり。

17歳なりに、責任感を持ってやりきったこの3ヶ月間は、やはり今も大きな財産となっています。

ケニアで船が故障


ところで実はこのクルーズ、ケニアで停泊中に船の左エンジンがぶっ壊れ

急遽一ヶ月、ケニアに滞在することになりました。

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この時点で忙しい方達は、エアーを乗り継いで日本に戻ってしまいましたが

私なんかみたいなパッパラパーからしたら『ラッキー♡帰国が一ヶ月延びた♡』という出来事でしかなく

別の船がウクライナからケニアに着くまでの一ヶ月間

石を彫って作られた可愛いチェス盤を、値切りに値切って5ドルで買ったり

港近くのバーで7up飲みながらビリヤードを楽しんだり

国立公園にゾウやライオンを見に行ったものの、地元ガイドさんの視力だけが良過ぎて(5.0とか)

『ほらあそこにいる、ほらあそこ!』としきりに言われるけど「全く見えない」というまるで詐欺にあったような複雑な気分になるアレも体験しました。

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極め付けは『よし、(暇だし)美容室行こう!』と、もう一人のダンスチームリーダーSくんと一緒に、港からテクテクと市街地へ。

美容院の場所もよく分からないまま、まぁ市内まで行けば適当にあるだろと歩き出す2人。←若さ

港を出るか出ないかくらいの所で、1台の地元らしき車が私達の横にスッと横付け。

助手席の窓が開くと、お肌の色が極めて黒い、目だけがギョロっと光るおばさまがこちらを見ながら

「hey,mdbdhshsjbshsjsj?」

『???』

「hsuhedhhsj???」

『??????』

「(いいから乗りなさい)」←みたいなジェスチャー

私たちは固まりました。

運転席を見ると、目線の鋭い、大変お肌の黒いおじさまがこちらをジッと見ています。

『(え、どうするどうする、絶対乗ったらヤバイよね)』

『(どっか連れてかれてお金取られるよね、ヘタしたら殺られるよね?)』

コソコソ相談する私達に

「乗るの乗らないの?!」的な片言な英語が飛んできます。

『え、どーしよどーしよ。。とりあえず、乗っとくか

(...なぜ!!?!?!) 

と今ではスナオ〜に思いますが、好奇心の塊のような私たちは、とりあえずこの車に乗ることにしたのでした。※ちなみにタクシー的な車ではありません。

さぁ、【ケニアで知らない地元の人の車にのこのこと乗り込んだすみれと、乗ったは良いがオネェのように騒ぎまくるSくん!!!】

果たしてどうなる?!?!

To be continued.

※お友達に「長くて読みきれない」と言われたので、今日はこの辺で。笑

ところで、vol.10くらいまではまだまだ序章に過ぎませんのでお楽しみに。

最後まで読んでくれてありがとう


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