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望外の幸せ、望外の幸福

本との出会いは、奇妙奇天烈、妙ちきりんである。

これは

著者も、出版社も、編者も、発行年数も異なる本を読んでいた時である。

その本の終わり辺りを、見てみると

実に興味深い言葉を見つけることができた。

望外の幸せである。(川口良,角田史幸、2005、215)
著者として望外の幸福である。(斎藤孝、2013、251)

たまたま拝借した二冊の本に、同じような表現を見つけたのだ。

こういうことがあると、読書とは決して断片的ではないと感じざるを得ない。

意図しなくても、「読み手」次第によって本たちが自然と手を結びだす。

読書もまた、旅であり、しかし過客は読み手の私だけではなく、本も然りなのだ。

このような発見ができることもまた、

望外の・・・倖せ、といったところだろうか

今日も大学生は惟う。

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参考文献:日本語はだれのものか 川口良,角田史幸 (草思社)

     日本語の技法 斎藤孝 (東洋経済新報社)

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