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新書を読んで思うことぉ!

図書館というものは本当に便利なもので、

一か月ほど経てば新書を置いてくれる。


新書と、色々な時代の本を読んでいると、不思議とその違いが頭にしみついてくる。

その「違い」というものが、文体と文字密度だ。

文言一致運動がおこる前と後では、当然文章の形式が異なる。今の文章は、話し言葉で書かれている本が多い。新書は特にその傾向は強い。

次に文字密度が違う。

今持っている新書と、一番古い本を比べてみよう。

とりあえずそれぞれの209ページ文章を比べよう。

三島由紀夫「不道徳教育講座」

物質文明の悲惨な袋小路に追い詰められたアメリカが、今や求めているものは何であるか。曰く、日本の華道である。曰く、日本の柔道である。水墨画であり、禅宗の教えである。『羅生門』はじめ日本の映画であり、文学である。いやそればかりか、日本の目笊は彼らのパン入れになり、日本の塗箸は彼らのカンザシになっておる。(三島由紀夫、1967、209)

さくら剛「海外旅行なんて二度と行くかボケ!!」

なおかつその惨劇の一部始終が「‥‥‥それは、一人の日本人観光客が放った、心ないひと言がきっかけでした」という思いナレーションとともに日本のニュース番組で特集され、たまたま現地の人がスマホで撮っていた動画に私が写りこんでいて「(字幕)そうそう、この日本人だよ! こいつがオーナーにひどいことを言いやがったんだ!」という証言とともに私が道端で子どもを蹴飛ばしているシーンなどが放映されたら、即座に個人情報が特定されて私は社会から抹殺されることだろう。(さくら剛、2019、209)

しかもこの二つの文章、それぞれが一ページ分の、4分の一、そして4分の3ほどになっている。

資料が2つだけしかねんじゃんか! と思うかもしれないが、そうなるとこのnoteの一記事が、引用祭りになってしまうので止める。

この本の違いから鑑みると

本を読む層が減少したことと、読者の本を読む能力が低下していることが関係しているのでは? と惟う。

誰もが自分の思うことを自由に投稿できるSNSというツールの登場によって、堅苦しい文体を使う必要は無くなるし、なによりインターネットに慣れすぎて、短く、味気なく、簡素で、感情もない情報を、「読むどころか」、「消費すること」しかしなくなった現代人に

本は意味の解らぬ文字のシミが印刷された分厚い木製の布に違いない。

もし、次から次へと出てくる新書が、理解するのに時間を要するものに変化してきたら(私の頭が弱いだけかもしれないが)

ちょっぴり、本を読む人の本を読む能力が上がって来たのかなと期待することができるかもしれない・・・

今日も大学生は惟っている。

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引用文献

三島由紀夫.(1967). 不道徳教育講座. 角川書店

さくら剛. (2019). 海外旅行なんて二度と行くかボケ!!. 産業編集センター

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