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成績はどうしようもないけど

「世界一受けたい授業」で、「かもしれない」を持ちわせるSNSアプリケーションをダウンロードしているスマートフォンは、人間に快感を与えてくれるがゆえに、手放すことが難しいのだという授業があった。なるほどこれは、スマホゲームのガチャに似ている。絶対にレアキャラがあたるわけではない(当たり前か)。たまにレアキャラが出るから、人間はスマホゲームに依存する様になる。SNSの「イイね」が付いているかも”しれない”、或いはフォロワーが増えているかも”しれない”という、時時の報奨のようなものが、確かに自分にも影響を与えているのだなと。

この意味で、大学の課題の評価に、依存することはない。イイねがあるかもしれないという頻繁な期待を抱く事もない。一回ぽっきりだからね。さてそんな大学の課題に評価に関しての色々書いていこう。というのも、成績が返って来たのでね。

オンラインでダラダラしていた割には、というくらいか。でも多分いい成績が取れるだろうと息巻いてた割には、予想外のものもちらほら。ちょっと残念。或いは成績が良くないと思っていたことを裏切るものも。評価難しい。全然読めない。でもすご~く文句があるというわけではないから、まぁ仕方がないところもあるけれど、一つだけいいことがある。それは、最終レポートに対するフィードバックが無いということだ。これはちょっと納得がいかない。やけに数が多い学生を抱える日本の大学に、文句(?)を呈しても仕方がないから、ここに書こう。

評価が思ったのと違ったことに一言申したいというよりかは、先生(或いは教授)は、この意見や課題の成果に対してどのように思うかどうかだ。普段の質問とかではなく、本腰入れて作ったファイナルレポートに関して、色々話して、細かいフィードバックをもらいたいといったところか。授業を受けて、課題を提出して、成績をもらってという高校生までのプロセスの先を行きたいなぁと個人的に思っているところも関係しているかもしれない。学生の数が多いから、きっと土台無理な話しなんだろうし、不公平が生じるだのなんだので、叶わないのだろうとは思うけれど。ワタシの(大学二年間)の経験上、成績が良い事と、講義の内容を自分の言葉で説明できるほど明確に理解していることには、あまり関係はないと思う。その場しのぎ、という場合のないわけではないと思うから。

最終課題の後のフィードバックが貰えない分、ワタシは他で学んだことと突き合わせるか、その人が書いた本を読むなりするしかない(と思っている)。その講義で得た知識を絶対化しないように、或いは似たような知識を探すために。大学の講義の一連のプロセスだけでは、正直学びは深められないと持っている。講義以外の、課外の経験や、数多(と言っていいかわからないけど)の本。あと少しの論文。このnoteの記事(でも大学的な学ぶに関連するようなものは少なく思える)。そういうものと組み合わせてというか、比較してというか、少なくともワタシは最低限そうしなければ、講義で学んだことを吸収できない。大学の講義は、(ワタシ的には)万能ではない。それだけで、完結するようなものでもない。いやむしろ、外部における経験や、関係の無い分野の本で学んだことが混ざり合って、出来ていくのも大学の講義だと思う。

出た成績は、それでしょうがない。けども、成績が出たら終わりなんて、そんなお粗末なことはなるべくしたくはない。講義が終わっても、学んだことに疑問や好奇心を持ち続ける。講義はおそらくそれが終わってからが、より深い学びの始まりだと思うから。他のゼミの教授が教えてくれたことだけど「失敗はする、人間だもの。でもその後どうするかが、その人の真価だ」だとおっしゃっていて、それと全く同じじゃないけど、「講義の評価は不可抗力に近い。だから、その講義で学んだ後、さらにどう行動するかだ」と、勝手に決め込んでいるよ。

せめて大学生としてこういうことしないと、示しがつきそうにないと思って、勝手に焦っているだけかもしれないけれど。




今日も大学生は惟っている




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