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自由は好きな事だけやることじゃない


「自由意志」という言葉がある。

この言葉を見た瞬間に、「好きな事をする」という風に少しでも思い浮かべた人は、西洋哲学の影響を知らぬ間に受けている証拠である。

ところで

阿部公房の「鞄」という小説をご存じだろうか?

私は、この小説を高校生の時に授業の一環で読んだことがあり、非常に印象に残っている。

興味深いことに、この「鞄」という小説は、自由の二義性を浮かび上がらせるのだ。

閑話休題


ここで引用をする。

多くの場合、「自由意志」と「やりたいという感情」とが混同されているように思われる。〔中略〕意思とは、感情を動機としつつも、客観的な状況や他人の目などといったものまでを総合的に比較検討して、ある意味、必然的決定するもの(山口裕之、2019、234)


最近の「好きなことをして生きていく」を真に受けて、「感情に任せて、自分の思うがままに考え、行動する」という風に捉えてしまっている輩が多い気がする。

子どもたちの将来になりたい職業ランキングを見てみると、「youtuber」や「プロゲーマー」が上位を占めているのを目にした。

子どもたちには悪いが、「好きなことをして生きていく」を「自分が興味のあることだけをして生きる」と勘違いしている子が多い様に思う。そして前述のなりたい職業はその安易な考えの現れではないだろうか?とさえ感じられる。

「楽して生きる」を「自分が興味のあることだけをして生きる」と考えるのは自由だが、

「自由」をそのように捉えるのはお門違いもはなはだしいと思うのは、それこそお門違いだろうか?

「好きなことをして生きていく」という言葉は、自由意志に基づき、状況に即した行動を取り、それが第三者に容認されて初めて可能になる。やたらめったらに自分の感情に流されることではない。


それこそ

臆病ではなく、蛮勇ではなく、「勇敢」という中庸の態度を必要とするものが「自由意志」なのではと思う。


少なくとも、「自由意志」とは安っぽい希求のことではない。


今日も大学生は惟っている。

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