やめる・続ける・始める、向き合う
とうとう今年もアドベントカレンダーの時期になり、そして、今年最初のnote。春ころに、一度書き始めようとしたまま下書きになっていたものもあったが。やはり、年の始めや終わり、年度初め、記念日・誕生日というのは、何かしら期するものがあるもので、そういう機会を区切りとして考えるというのは、私のように何となく流されがちな人間にとってもいいことなのかなと思う。
今回は印象に残った2つの出来事で今年を振り返りたい。
1.ワークショップの頓挫
一つは、今年、ワークショップを主催しようとして至らなかったテーマがあったこと。
以前からキャリアを支援したいと言いつつ、実際のところ、その人のモノガタリを聴くことに興味があったので、そういうワークショップをしてみるのもいいなと思って、以前から入っていたコミュニティで企画を立ち上げてみた。まずは先輩たちに投げかけてみようと、事務局の人と一緒に、一番ノリのよい人に軽々に声をかけた。いろいろ手続き的に若干面倒な部分は感じたものの、そのまますんなりその人のモノガタリを聴く会で進めようと思っていたのだが、メッセンジャーのやりとりを始めてからちょっとずつスレ違うような空気になった。
成り立ってから10年ほどのコミュニティだが、私自身はまだここ4年ほどのおつきあいでさほど深く関わっていなかったことと、古くからいる人と人のなかで生じる“いきさつ”みたいなことに、あまり関心を払わなかったことも原因だったのかなと思う。そのワークショップを進める話自体が、すうっとフェードアウトした。最初の意気込みはどこへやら。自信もなかったんだと思う。
そのとき思った。こういうとき、つまり、時と場合にはよるものの、“仕事”として行う大義名分や義務がないとき、推し進めるには、好奇心と、それを上回る「熱量」が必要だと。自分に対しても、周りの人に対しても。このとき、私には圧倒的にこの「熱量」がないことを自覚した。このコミュニティに対する勝手な使命感はあったかもしれないが、空回りしていた。
2.演劇作品への参加
もう一つは、今年10月に京都国際舞台芸術祭にボランティアとして参加したのだが、そのとき偶然に参加させてもらった演劇作品について。
サマラ・ハーシュさんというオーストラリア出身の演出家の方が、この芸術祭で「わたしたちのからだが知っていること」という参加型演劇の「場」をつくっていた。参加者12名は事前申込みをされていた方のみだが、当日来られなくなった方がいて急遽参加させていただいた。
出演者は、関西在住の10代の人たちで、その場に姿はなく、参加者12名以外にはその場にはスタッフのみ、演劇作品ではあるものの観客はいない。出演者からは参加者にダイレクトに電話がかかってくる。なかなかの緊張感もあるなかで対話が始まり、その内容によってその「場」が進行する。参加者には全く知らされていない。
ときには、さまざまな問いが彼らから投げかけられる。出演者は10代だが、参加者の年代はさまざまで、私のように中高年の部類から、若者まで。基本的には1対1の対話、もしくは出演者1名と参加者2名というグループ通話という形での対話もあった。自分が参加した対話以外は、ほかの人たちがどんな対話をされているのかはわからない。
そのときに投げかけられた問いは、自分の存在意義であったり、友人関係であったり、顔が見えていたら初対面では話しにくいようなこともあった。電話を通して、参加者である私は考えや思いを伝えながら、「これでいいのかな」という迷いを持っていた。話をしていて楽しいなと思う反面、何かを言い切ることの怖さや自信を持って伝えることに躊躇する、そういう自分を見ていた。年代は違っても、悩みは同じかなと思う部分もある。
その作品の最後は、出演者たちから、全体に向けて、参加者への御礼や感想が述べられて、印象的だった話などが語られて締めくくりとなった。終わった後、観客どうしの振返りまであればよかったのかなと思うくらい、互いに話したくなる「場」だった。
3.何かから解放される
今年は、ボランティア活動やプロボノ活動を始めた年だが、人生で初めて、学校や職場という組織に属さない形で社会と接している。だから、ホントに不思議な感覚にようやく慣れてきた。そして、空を眺める余裕が出てきた。なんてことはないが、いつも、何かに追われて急いでいたからか、立ち止まって綺麗だなと眺めていること自体を意識することが多分少なかったと思う。いや、どういう暮らし方してきたんだ、って話。
この先また、何をやめるのか、何を続けるのか、何を始めるのか、この3年で自分のなかから生まれる感情に向き合い自問自答してきたことを、これからも続けると思う。今まで嫌で続けてきたことはないけれど、続けなければ、やらなければという強迫観念に縛られていたことはあったかもしれない。年を重ねればもう少しすんなりと決められるかと思ったけど、いずれも簡単なことじゃない。演劇作品のなかの10代の人が、「皆、同じように悩んでるんですね」と語っていたが、それでいいんだなと思う、ことにした。
相変わらず好奇心だけはあるので、そこにどれだけの「熱量」を足せるかを、来年も自分に問いかけていくのかな。
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