見出し画像

そこにいたこと

 日曜の午後、写真を撮りながら公園を歩いていると音楽が聞こえてきた。ステージはもう少し先なのだけど、海の見える芝生へ腰掛け、流れる音楽を聴くでもなく風にまかせる。カメラの設定を色々と試しながら空や行き交う人々を眺める。コスプレをして写真を撮る小グループがいたり、芝犬を連れた散歩者がいたり、歩けるようになった息子とサッカーまがいの球遊びに興ずる親子がいた。
 最後の曲ですというアナウンスの後で流れた曲の終わる頃、風が吹いて肌寒くなった。芝生を後にして上着を羽織り、水路に浮かぶ枯れ枝を撮りながら出口へ向かっていくと、後ろから声がかかった。

 振り向けば大先輩の友人で、先日最近読んだ本についてメールでやりとりした相手だった。彼の家はここからほど近い場所にあるので、出会うかもという予想がゼロではなかったが、美しいとも思えない清掃を怠った水路を眺めていたものだから多少驚いた。

 彼が近くでコーヒーでも飲もうというので、他愛のない話をしながら近所の喫茶店へ向かった。到着すると日曜日が理由なのか既に閉店の看板がドアにかかっている。大先輩はそれでも行きつけの常連風を吹かせればワンチャンスありそうと判断したのか、止める間も無く扉を引いて店員に声をかけた。もちろんあっけなく断られ我々はまた歩き始めた。

 目先にある自販機へ「何飲む、そこへ座って話そう」と近付き、小銭を投入する彼。寒いので柚子レモンを頼み、彼も多分それにした。ベンチを見つけて腰をかけ暗くなる速度に合わせて言葉を交換した。

 最近二人とも読んだレベッカ・ソルニットの『オーウェルの薔薇』について少し意見を交わし、散文や禅や抒情詩と叙事詩についての考えを聞いた。比喩を使わないということの意味や難しさについて口を挟み、空は一段と闇を深くしていった。禅僧である道元の写本に偽物や加筆が大量に見つかった話は既に何度も聞いたのだが、もう一度それに頷きながら風よけに襟を立てた。オーウェルがいつも現場に飛び込んでいくことの見事さについて二人で納得し、頷き合っている目の前を若い恋人たちが行きつ戻りつし、近所の施設からはドーナッツを揚げた油の匂いが漏れ出ていた。

 柚子レモンは冷め、夜の帳が下り始めていた。分かれ道でさよならを言い、車列の明かりが頬を照らす中、去り際に夕食が刺身だという彼の声を聞き取りながら街への道を進んだ。帰宅する前に飲み損ねていたコーヒーを飲もうと路地裏の喫茶店へ向かった。別の友人が二十年前に撮影した旅のビデオが出てきたよ、とメールをくれたことを思い出した。

.
.

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?