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麻の葉-その2 庶民と共に歩んだシンデレラ

「麻の葉」は何故、愛されるのか?
前回は「麻の葉」文様の「見た目」だけに絞って考えてみました。

(整い、惹きつけ、スカされる笑、三拍子揃ってるので
 そりゃ、もうハマってしまいますよね・・というお話でした。)

今回は歴史がテーマです。


仏と「麻の葉」


この文様は割と古くから存在していたようです。

例えば、奈良の東大寺三昧堂に安置されている
木造十一面観音立像は截金で表現された「麻の葉」文様の衣を纏っています。

この彫刻は、平安時代後期に作られたものと考えられていますから
少なくとも、900年くらい前には文様自体は成立していた、
ということになります。

また、鎌倉時代に製作されたと考えられている絹本著色阿弥陀三尊像(絵画)にも
截金で「麻の葉」文様が描かれています。

あるいは、同じ鎌倉時代に製作された繍仏にも「麻の葉」文様が
あしらわれているものがあるそうです。

(繍仏は、刺繍で表現した仏像(絵画的に表現されたもの)とでも言うもので
 飛鳥〜奈良時代までは朝廷主導で大型の作品が盛んに製作されていたそうです。
 その後、鎌倉時代に製作の主体は庶民に移ります。
 鎌倉仏教。飢饉に疫病、戦乱といった厳しい時代背景ゆえですかね・・。)

ここまでを振り返ると、この文様は比較的、宗教的色合いが強いのかな、
という印象を受けます。
祈りの文様だったという事かもしれません。
なんとなくイメージと異なり、渋いです・・。

室町時代には、建築、染織、その他工芸品でも見られるようになるそうで
宗教色が薄れるのか、普及が進むようです。


庶民と「麻の葉」


さて、「麻の葉」文様が目覚ましい躍進を遂げるのは、江戸時代においてです。
この「麻の葉」文様という呼称自体も近世に入ってからものだそうです。

麻という植物(大麻、苧麻)は、縄文時代には渡来していた帰化植物らしいので
呼称が生まれるまでに随分、時間がかかったのだな、と個人的には思うのですが、

この文様が、鎌倉、室町に入ってからようやく大衆の目につき始めた
と仮定するなら、それぐらいかかっても不思議はないのかもしれません・・。

ちなみに、絹は弥生時代に伝来していますが、まず貴族のものでしょうし、
綿も江戸時代に入ってから栽培が本格化してくる程度なので、
庶民は、随分長い間、主に麻ばかりを着用していた筈です。

(冬も、北国も、麻ばかり着ていたの?と現代の私たちの感覚からは心配、
 というのか・・信じられない感じがしますが、どうやらそうらしいです・・。

 東北の刺し子文化は、寒さを凌ぐための工夫として発達した面も
 あるそうです。)

脱線してしまいましたが・・・、
「麻の葉」文様は、身分の高い人が好んだ〜、格の高い〜とか
そういった出自のものではない、

というのも一つ大きな特徴かもしれません。
ファン層の中心は庶民です。
(※室町時代くらいになると、家紋としても登場してくるそうですが・・。)

それ故、「麻の葉」文様がメジャー化するためには、
庶民の生活水準がグッと向上する江戸時代を待たねばならなかった
という考え方も出来そうです。

ここからは、
江戸時代、「麻の葉」文様がいかに勢力拡大していたのかを示す例を
1、2つご紹介します。

産着と「麻の葉」


「すくすくと育ちますように」と産着に「麻の葉」文様を用いる風習は
よく知られていると思います。
(丈夫で成長が早く、害虫もつきにくい麻にあやかって。)

この産着に「麻の葉」の風習も、近世に始まるようです。

(「麻の葉」は抜きにしても、
 産着を着せての「お宮参り」(初宮参り)という家族行事が、
 庶民レベルでも行われるようになってくるのが江戸中期の事らしいです。
 産着=晴れ着の流れは、この頃から一般化し始めるのでしょうか。)

もちろん、身分の高い人達は、
もっと昔から産着を着せる儀式を各種、執り行なってきました。
しかし「麻の葉」文様が深く関わっている様子は特に見られません。

産着に「麻の葉」という発想自体が、身近な麻にあやかる辺り、
庶民的なのだと思います。
素直で気取ったところが一つもなく、良いですね。

歌舞伎と「麻の葉」


また江戸時代といえば、歌舞伎です。

『八百屋お七』という演目で五代目岩井半四郎という役者さんが
浅葱色の鹿の子絞りで表した「麻の葉」文様の振袖(いわゆる半四郎鹿の子)を
着たところ、舞台は大変好評だったそうです。

浮世絵でもよく目にするヤツです。
浮世絵が「麻の葉」の躍進の支えになった部分もあるのでしょうか。

半四郎鹿の子を機に(というと言い過ぎかもしれませんが・・)
町娘役に「麻の葉」鹿の子の帯などがよく使われるようになったそうです。

絞りなので結構お高いはずですが、それを憧れの対象として
捉えられるくらいまで、庶民の暮らしは豊かになっていたのかもしれません。

以降、「麻の葉」は若い女性の初々しさを象徴する柄として定着。
お芝居の事を知らない現代の私たちにまで、そのイメージが
しっかり受け継がれているのは、凄いとしか言いようがないですね。
これも伝統の一つの側面でしょうか・・。

コカコーラのキャンペーンが、サンタクロースを赤にしちゃった、的
展開です・・。
(以前は、赤のサンタさんも居たけど、赤以外も普通に居たそうです。
 赤に限る理由は、特にはない。)

まとめ 庶民的シンデレラ・ストーリー


以上が、「麻の葉」文様の変遷であり、受容のされ方です。

今では、わざわざ海外の人をつかまえて、日本を褒めてもらおうとする感じ(笑)のテレビ番組などの中でも、組子でできた番組セットや、ブリッジなど色々なところで使われているな、と思うことが多いです。

(※組子については、飛鳥時代からある技術だそうですが、
 やはり近世以降に「麻の葉」などの基礎にもなる三組手という組み方が
 生みだされ、そこから技術革新、発展があったそうです。)

「麻の葉」は、すっかり和柄の代表として君臨している印象です。

けれど、
庶民と一緒にここまで成り上がってきた文様なのだと思い返してみると、
「私たちの代表」という意味では相応しい
とても正しい用い方のようにも思えてきます。

遠い未来、この時代に流行っていた伝統文様として「麻の葉」が、
紹介されているのかもしれませんね・・。




瑞々しくきらびやか。「これからの金彩」を模索しています。 ▼instagram https://www.instagram.com/takenaka_kinsai/