見出し画像

障がい者の就職活動【ADHD・ASD】

吾輩は障がい者である。内定はまだ無い。


前略、私は発達障がいらしい

 こんにちは、きゅあ怠惰と申します。就活生です。
就職活動をしていると厭でも自身について見つめ直す時間が増えます。自分と向き合い、考え、自分がなんたるかを定義せねばなりません。

 私はこの春、発達障害であることを医師に告げられました。診断結果はADHD(不注意・多動)とASDの併発。
これまで日中の病的な眠気が酷く、どれだけ夜眠っていても居眠りしてしまうことから睡眠障害を疑っていました。学生の時分はそれでも、「お客さま」であったので大きなトラブルに発展することはなかったのですが、(先生に嫌われがち)社会人になるとそうもいきません。
そういった経緯で、何度も先延ばしにしてきた精神科の受診をついぞ決意し、苦手な電話でなんとか予約を入れたわけでした。

 母も医師診断のADHDであったことを話すと、(診断の一環として親族の病歴などを聞かれるため)私の発達障害というのはほとんど確実視されていたようです。よく遺伝するのだとお医者様もおっしゃっておりましたが、調べたところ70%ほどの遺伝率だそうですね。
 寝落ち癖に関しては睡眠系の病気というよりはADHDに内包することが多い特性であるそうで、退屈を感じると覚醒を促す成分の分泌が著しく低下し、健常者に比べて覚醒を維持する機能が弱いのだといわれました。異常がある遺伝子としては睡眠障害とも共通する部分が多い、とも伺いました。
要するに、覚醒するため、意識や注意を向けるために必要なドーパミンの分泌が通常に比べ弱いのが、発達障害の脳…ということだと思います。文献やお医者様のブログなどを読んだ限りでは、おそらく。
(※あくまで素人見解ですのでご了承くださいませ)


 まあ、なんとなくわかっていたというか、だろうなと思いました。なんてったってドジが多い、集中力がない、よく転けるし、先延ばし癖があるし部屋は片付かない。ただ、寝落ち癖もADHDのうちだという認識がなかったこと、そして“ASDも持っていた”というのがかなりの衝撃でした。

苦戦する高学歴

 こちらの記事は診断前にわたしが書いた手記です。
幼少期のエピソードは特にASDらしさを感じられると思いますし、自身について「要領が悪い」とも記述しております。

 一方でまた、この記事にも書いた通り、わたしは一般的に高学歴だといわれる名門大学の学生です。
同世代人口の上位2%のみに門戸が開かれる大学に在籍しており、母語である日本語を含む三言語の話者です。

 そんな大学名を見て企業側は「エリート」として期待を寄せます。大企業から選考免除を受け取ることも多かったですし、企業側が求人を公開する大学を限定していることもありました。そういった意味では「高学歴」としての恩恵は確実に受けていましたし、「高学歴は就活に有利である」という言説は一定の真実性がありました。しかしながら、大企業になればなるほど、相手も優秀な高学歴です。SPIなどの試験を除くと明確な基準のない就活において、私はとても苦戦を強いられました。

 私はこれまで努力を重ねてきました。
まさかそれが障がいであるからだとは夢にも思っておりませんでしたが、要領が悪い分、他人の三倍も四倍も努力しなければならないのだと思っていました。大学に入学すると、これまでのやり方が通用しなくなりました。一人暮らしのため、家事などもありますし、生活も苦しくアルバイトにも時間が割かれます。
加えて私は母子家庭で奨学金をいただいておりましたので、一定の成績は維持しなければなりませんでした。とはいえ、時間が限られてる中これまでと同じように他人の三倍・四倍の時間を捻出することが難しくなり、GPAが目立って良いわけではありませんでした。

 メンタルクリニックの先生は浪人も留年もしなかった私を「すごい」「並大抵の努力じゃなかったでしょう」と言ってくださいました。普通の人と同じように暮らすこと、その裏に隠された血が滲むような努力に気づいてもらえたのは初めてでした。泣きそうになったのを覚えています。人生で受け取った中で、最も嬉しかった褒め言葉でした。

 どのような人間であるか?と尋ねられて、私は己を「努力家である」と定義します。片親で世帯年収は300にも届かず、発達障がいというハンデを背負いながらわたしは健常者と同じステージで戦ってきました。受験には「障がい者枠」なんてものはないですしね。
 障がい者手帳がまだ作れない(初診から半年という要件が満たせなかった)ことや、裁量を与えられないのではないかという恐れからわたしは一般枠で就職活動を行ってきました。

 周りが大企業に就職を決めていく中、わたしは一つも内定がありません。八月を前にしても、です。


 発達障がいであるわたしが、就職活動を難しいと感じる理由は四つほどあります。

 まず一つ、私をはじめとする一部の発達障がいを持つ人は、興味が持てないことを頑張るのがとても難しいということです。私にはとある夢がありますが、それを叶えるために、お金や社会的信用が必要なのでひとまず就職をしなければなりません。すぐに叶えられる夢ではないので、わたしの興味や関心を就職活動にうまく向けることが難しかったのです。
人事の方はそうした熱意のなさを見抜いたのかもしれませんし、単にわたしがADHD特有の関心のなさと先延ばし癖で行動を始めるのが遅かったのも要因の一つだと思います。

 二つ目に、就職活動の評価軸というのが非常にわかりづらいということです。わたしはASDなので、あいまいなものや行間を読み取ることを非常に苦手としています。幼少期はそんな特性から「なぜできないの?」と無神経な言葉を同級生に投げかけてしまい、いじめの対象になったこともありました。このような「言ってはいけないこと」などは経験則的に学習し、段々と目立たなくなっていきましたが、障がいは病気と違って治るものではありません。わたしの本質としては変わらずこうした特性があります。
 明確な点数があれば何がダメだったのかがわかりますし、試験に挑むにあたっての挫折を挫折だと感じたことはなく、「できるまでやれば、できる!」と信じて結果が出るまで努力をしてきたタイプです。
しかしながら、就職にはそうした評価軸がなく、何がダメだったのかわからないことでお祈りメールを受け取るたびに自身が否定されたような気持ちになっていました。
結果として、わたしはどんどん自信を失い、ヒステリー球が痛んだり、突然涙が止まらなかったり、抑うつ的になってしまったり、適応障害らしい症状が現れるようになりました。ストレスで体調は悪いし、はじめて生理不順にもなりました。

 三つ目に、構造化して話すことが苦手であることです。私の頭の中でいくら論理的な思考ができていても、それを構造的にわかりやすく言語化するのが苦手で、時間が必要です。議論や討論の類は嫌いではありません。建設的な、理性的な理論ができたときには楽しいと感じますし、相手の論説への批判や反論を正しく受け取って、投げ返してくれたときは嬉しく思いますし、このような場面において非常にロジカルに己の考えを話すことができると思います。難しいと感じるのは「ケース面接」などです。5-6分程度で問題分析をし、それを1-2分で説明するなどというのが難しい。

 この面接でベースとなる思考や問題分析・解決というのを苦手としているわけではないのです。わたしは整形をしているのですが大きな手術は3つほどです。それでも「変わった」「すごく美人になった」「ナチュラルに大変化した」と整形を知るお友達には褒めていただけることが多いです。世辞を間に受けていたら恥ずかしいのですが、自分でも写真を見返していると整形のセンスがあると思います。整形をするにあたって、決して闇雲にやってきたわけではなく、「ここがこういうふうに配置されているのでここをいじってはいけない」「私の顔がこう見える原因はここにあるので、ここをこういう手術で解決しよう」という分析が基盤にあります。
 勉強にも同じことがいえるでしょう。わたしは勉強をするとき何が足りないかをテストや問題で割り出して、苦手を克服するためにどうすればよいかを考えます。
わたしは基本的にそうしたロジカルな手法で問題解決をしてきたので、適性が全くないわけではないと思うのですが、「構造化」という部分が非常に弱いので、そうした面接で力を発揮するのが難しいという風に感じるのです。相手がどこまで理解していて、どのように説明すればわかりやすいか、ということを察するのは、ASDの苦手とするところなのです。

 四つ目は肩書きとのギャップです。
企業はわたしの学歴を見て、優秀であることを期待します。エリートとして期待される一方、わたしはおそらく企業側のイメージとの乖離がある人間です。
企業はわたしを白鳥だと考え、「是非うちの面接に」と声を掛けますが、実際のわたしは必死に白粉を塗って白鳥を装うアヒルでしかありません。
そして、白粉を塗ったわたしよりも、白鳥を企業は評価します。わたしの努力、あるいはわたしが優れた人間であろうとするために積み重ねた時間よりも彼らは白鳥たちが資金力の利を生かして海外に出たことやサークルに精を出した時間に意義を見出します。
 もちろん留学やサークルで学べることは沢山ありますし、彼らがわたしよりも優秀であるから採用されるということに間違いはないと思います。わたしに不足があったので落とされているはずです。

 それでも、わたしの能力が正しく評価されていないというように感じるのは歪んだプライドでしょうか。TOEICを受けるための7000円を食費に回したことで、わたしは負けてしまうのでしょうか。日本で、独学で必死に身につけた英語力と、ご両親の支援のもと海外に飛び立ち円安の中で留学をして帰ってきた恵まれた人の英語力。どちらも同じ価値です。わたしがそれにどれだけの時間や努力を重ねたかというのは企業にとって評価判断の外にあるということです。

 落とされ続けるたびに自信を失います。大企業ばかりを受けていたわけではなく、そこまで知名度のない企業の門戸も叩きましたが、ご縁をいただくことはできませんでした。わたしは出自が出自なので、あまり自分に自信がありません。褒めていただく容姿は整形という努力の産物で、褒めていただく学歴は受験期の血が滲むような努力の産物で、褒めていただく英語力は独学で身につけた努力の産物です。わたしが評価していただくものは努力によって得たものであり、産まれ得たものを誰かに褒められた経験があまりございません。
 決して、人格を否定されているわけではないというのを承知しているのですが、わたしにとって努力を否定されるということは人格や自信を否定されることと同じ意味を持ちます。就職活動を通して、わたしの努力を通じて得た自己肯定はどん底に落ちました。

 以上の四つの理由で、わたしにとって就職活動とはとても耐え難い苦痛であり、人生最大の挫折となりわたしの前に現在進行形で立ちはだかっているものです。


 これまでは、健常者の方々と同じステージで、同じ条件で戦ってきた。そして、それができていたし、その中でも結果を出せていた。わたし、自分をPRすることは苦手ではなかったはずなのです。生徒会としての選挙活動も、大学の公募入試も、奨学金のための面接も、自身をアピールする機会は何度かありましたが全て良い結果として実りました。わたしはきっと、できるはずだと心のどこかで自尊心が肥大していたのかもしれません。
 いずれにせよ、これまでと同じようにはいかないという現実だけが確かなものであり、人生ではじめて「できない」という烙印を押された気分でもありました。

わたしにとっての障がい


 小学校の頃、いじめの対象になりました。
全てはわたしの未熟さでした。

「なぜこんなに簡単なことができないの?」
「なぜこの意味がわからないの?」
「あなたの考えは間違ってるよ」

わたしは大人らしく振る舞うのに長けていました。本を読むのが好きだったこともあり、小学生らしからぬ語彙力や知識を有しており、屁理屈らしい物言いを好みました。ただその一方で、わたしもまた小学生であり、精神や情緒が十分に発達しておらず、「こういう物言いをすれば相手は嫌な気持ちになる」「こういう言い方はトラブルの種になる」というのを知らないままに言葉を発していた。

 先生には「ASDとしての特性は年齢とともに目立たなくなってゆく」と伝えられました。中学以降、わたしは特に大きな人間関係のトラブルを起こしていません。
「経験則的に学習して、社会性を徐々に獲得した」と言うと、「それでいい。ASDが社会性を獲得する方法として間違っていない」と先生は頷いておられました。


私は障がいによって苦労してきたと思います。

 ある時は授業中に起きていられないことで先生に嫌われ、クラス全員の前で叱責されたこともあります。ただでさえ、学力にそぐわないクラスで自分には簡単すぎる課題を与えられていたこと、クラスの8割近くが指定校で合格を決め、私語で勉強を邪魔されることにフラストレーションが溜まっていたこと。あまりにもイージーな問題を解き終わったのちに眠気が襲うのは、わたしにとっては自然なことで、抗えないものでした。机を蹴って起こされ、クラス全員の前で怒鳴られました。

 ある時はやる気がないのだと誤解を受けました。細かい業務がなかなか覚えられず、「高学歴なのに覚えが悪いというのはやる気がないのではないかと思っていた」とバイト先の店長に言われたことがあります。わたしは元来、とても覚えが悪いのです。勉強ができるのは覚えるために沢山の時間を注ぎ込んできたからに過ぎません。他のアルバイトと同じ時間を注ぎ込んでも、他の方と同じように仕事ができるわけではないのです。


 でも、わたしにとって障がいは、マイナスばかりのものではなかったと思います。

 意図しない形で人を傷つけたことで、傷つけられたことで、誰よりも感情に敏感になりました。共感する力や気持ちを察する力が弱いと自覚して、わたしはアンテナを張り、相手の行動一つ一つに神経を張り巡らせるようになりました。わたしは痛みを以て、とても優しい人間になれたと思います。弾き者にされたことで、わたしはとても優しくなれた。いじめを見過ごせない正しさ、弱きに対して誠実である倫理を獲得しました。

 合理を好む一方で、義理を重視する、とても矛盾している性質だと思います。けれど、わたしが義理に固く、情に厚いのはそのようなわたしのそばを離れてゆかない友人のありがたさを人一倍感じていること。自身が立ち上がり方を忘れたときに、手を差し伸べてくれた人がいた。手を差し伸べることを躊躇する人でありたくないのは、痛みを知る人間だからこその行動指針です。

 わたしは高校の頃、クラスのグループラインでクラスメイトがひどい言葉を投げかけられている光景に良心が痛み、傍観者になりたくないというエゴでその暴言吐いた男子生徒を柔らかく咎めたことがあります。
いじめられていた女の子は、わたしのいちばんの友人にわたしの陰口を言っていたとのことを後々知るのですが、わたしの行動が彼女にとって癪に障るものであっても、偽善であったとしても、ここで行動しなければいけないと思ったのです。やはり、綺麗事をいえど、これはエゴでしょうね。利己的な自己保身だと見抜いて、彼女はわたしに関する陰口を言ったのかもしれません。
独善であろうが、わたしはいじめられたことでいじめを見過ごす人間にはなれなかったのです。

 それに、苦手な勉強を頑張れたのは障がいであったからだと今となっては思います。集中力がないことを幼い頃から散々指摘されていましたが、完璧主義であるという特性が、わたしを机に向かわせていました。
ADHDの苦手を、ASDの特性で補い、私はなんとか受験に打ち勝つことができました。

 わたしの努力の大きさは、健常者には計り知れないものだと思います。コンサータ(ADHDのお薬)をはじめて服用したときに、わたしは愕然としました。のち、酷く喪失感を覚えました。健常者とわたしはこんなにも住む世界が違うのだ、と。起きたいときに起きられるし、やりたいときにやるべきことに取り組めた。意識の切り替えはそこまで難しいものではなかった。健常者の方ができる「当たり前」を身をもって実感したとき、わたしは障がいとして抱えてきたハンディキャップの大きさを知りました。もっと早く出会っていれば、わたしはより良い人生を選択できていたと思います。

 わたしの経歴は、一定の輝きを放ち、それなりに人を魅了します。わたしの能力は、健常者を含むほとんどの人に優越し、わたしは「優秀な人」として扱われてきました。その一方で、わたしは普通の人が「当たり前にできる簡単なこと」をするために、毎日コンサータという劇薬を投与しなければならないのです。
「なんで授業中寝ちゃうの?」と大学の同期に尋ねられたとき、他の人たちにとって眠気はコントロールできるものであると知り、衝撃を受けました。
 薬の服用はわたしにとって、より良い生活との出会いである一方で、わたしの不足の大きさを知らしめる絶望との出会いでもありました。
もちろん、投薬は良いことばかりではないです。疾患のリスクを跳ね上げますし、副作用が強く出る日は息切れや動悸が強いし、不安感や胸を締め上げられるような感覚を覚えることもあれば、何の影響もなく恩恵だけを享受することができる日もある。

 大学で出会った優秀な同期たちは、とても優しいです。足らずを抱えるわたしを支えてくれる、善良で良き学友です。しかし、善良なブルジョワである彼女たちには想像もできないのだと知りました。恵まれた立場にいる人は恵まれないひとたちの背景への解像度が低いということ。わたしが授業中起きていられないのは、わたしの意識が低いせいだと思うのは、彼女らが眠気を我慢できなかった経験がないから。経験なくして、真の理解は達成できません。わたしの同期にわたしほど生活が困窮している人がいないのは、通常、わたしのような貧乏な人間は来られない場所だったからということ。文化資本がある程度なければ、辿り着けない場所だった。

 だから、わたしは自分の根幹として「障がい」があると思っている。わたしは高学歴として社会的に称賛される立場である一方で、弱者であるバックグラウンドを持つ。この歪な立場で得た視座こそが、わたしの強みだと思います。障がいであることを語らずしてわたしという人間は語れないのに、わたしは障がいであることを隠しています。わたしの自己分析がどこか着地点を失った、フワフワとした印象を与えるのは本質をわたしが隠しているからだと自覚しています。

 わたしは障がい者です。辛くとも、苦しくとも、その事実は変え難い。だから、わたしのアイデンティティに障がいがある。わたしがここまで来られたことを健常者と同じ尺度で見られる就職活動が苦しいと感じてしまうのは、そういった所以です。わたしの努力は、健常者のそれと等価ではない。そしてそれを伝えたところで、人事の方には、きっとわからない。
 ただ「発達障がい」という“リスク”を抱えた就活生としてカテゴライズして忌避されるだけです。


社会にとっての障がい


 わたしをわたしたらしめている、この「障がい」はこの社会を生きるのにあまりにも大きなハンデです。

「障害者を間引け」「子どもを産むな」「バカなガイジに使う税金が無駄」「淘汰されるべき存在」

「発達障がいを採用してしまった」「発達障がいはすぐに辞める」「発達障がいは甘え」


 謂れのない偏見や誹謗中傷が目に入るたび、ひどく傷つきます。障がいが発覚して以来、いまだに慣れません。
学歴がない世界なら高学歴は無力だと言われたこともありますが、高学歴の一人としてその言説を否定します。勉強や学問を真に愛する、すばらしき知識人を除いて殆どの高学歴は学歴社会であるから学歴を獲得する努力をしたのだと思います。わたしもそうです。なので、もし、狩猟の時代であったなら、いかにして獲物を効率的に仕留めるかを考え、目的を遂行するのに必要な能力を獲得するために努力し、力を得ようとしたことでしょう。

 わたしは優秀です。障がいであることを秘密にしていても、企業から目を止めていただける優秀さを有しています。優生思想に基づく健常者からの謂れのない誹謗を受けるたび、わたしという障がい者に能力が劣る健常者について思考を巡らせます。彼らの言説に則れば、障がいという脳に異常を抱えた個体にすら負ける健康な個体というのもまた、淘汰されるべき存在ではないのかしら。わたしはそうは思いません。誰にでも一長一短があります。だって勉強は全てじゃない。勉強が苦手な人が淘汰されるべきなんて思わない。わたしにとってのそれが脳の異常であっただけで、こんなにも批判を受ける筋合いはどこにもないし、学という部分でわたしに劣る健常者の方にも、あるいは障がい者の方にも、わたしにできないことがたくさんあります。わたしにとって、つまらない講義でもずっと起きていることはTOEICで900点をとるよりも難しいことであるように、ね。


 わたしの母は短大を出ています。わたしの父は専門に進学しました。祖父母は高校すら出ていません。学位を持つ人というのは、わたしの近い親戚にいません。わたしの母もまた、障がいを有している中、生まれた娘のわたしは知識を得ることにそれなりの適性があり、社会的に認められた存在となりました。
繰り返しますが、学歴や勉強は全てではない。ただ、「勉強ができる」というのは比較的簡単な秀で方で、スポーツなどよりも資質が影響せず、汎用性の高い能力であると思います。その能力に秀でることができたという自身の経験をもって、わたしは優生思想を否定します。

 わたしは子どもを産まないつもりです。わたしはわたしの苦しみを連鎖させたくないという母としての愛のもと、子どもを望みません。それは決して、過激な批判や偏見に基づくものではない。

 母を恨んではいません。愛を持って育ててくれました。片親ながらに、小学校のころは塾に通わせてくれました。高校になると、母の浪費癖が抑圧できなくなってきたことや祖父が亡くなったことでそのような余裕はなくなりましたが、母や祖母が「働け」ということなく、受験に戦うわたしを応援してくれるというのは当たり前ではないこと、なによりわたしの身体機能には欠損がないこと。障がいであるからこそ、何一つ当たり前ではないと思います。貧困といえど明日食べるパンには困らないし、五体満足であったことや、奨学金という援助を受けられる、支援してくれる大人がたくさんいたことは恵まれたことであったと思います。

 ただ、身の丈に合わないほどの成果を出すたびに周囲の人と自身の現状のギャップは鮮明に浮かび上がります。私はこの場所では「恵まれない人間」です。


 恵まれないなりに、一所懸命頑張っています。障がいを言い訳にしたことはないし、これで何かを許されようとも思わない。だから、学歴という結果を出した私だから、説得力を持って伝えられることです。我々発達障がいは「甘え」ではないむずかしさを抱えています。障がいはわたしの一部分で、わたしの性質で、切っても切り離せないもので、ただの事実としてそこにあります。

 採用してしまったことを後悔するほどのことですか。辞めてしまうという恐れを抱きますか。わたしに限って言えば、余程のことがなければ辞めることはないです。基本やると決めたことは貫徹できますし、職場環境や待遇があまりにも悪い・あるいは独立がしたいという理由以外で仕事を辞める予定はないです。
 大学という徹底した自己管理が求められる場所で、留年もせず卒業できる、その努力を重ねられる人間であることを障がいであるという一面だけで適切に見ていただけないことに憤怒を覚えます。

 同じように障がいを抱える人にも伝えたいのですが、発達障がいを持っていても努力次第で良い大学に合格できます。資本も欠けていた私ができたことなので、再現性が高い事象だと思います。
(※学習障がいに関しては、その限りではないと思います。少なくとも私は知能発達に問題がなかった)

 ところでわたしは『ハイキュー!!』という作品が好きなのですが、バレーという身長が求められるスポーツで身長に恵まれなかった星海くんが己の身長に関して「不利」の要因であっても「不能」の要因ではないという発言をするシーンがあります。障がいはまさしく、そうだと思います。障がいであることは不利なだけです。
バレーボール選手にとっての低身長。テニスプレイヤーにとっての下半身不随、社会人にとっての発達障がい。身長が低い選手が多彩なテクニックでブロックを掻い潜るように、テニスプレイヤーが車椅子を以て移動する能力を補うように、薬を飲んだり、意識的に行動したりすることで我々障がい者は社会に順応しようとします。

 障がいは個性だという言説は極端であると思いますし、欠陥であることを否定はしません。実際、わたしは障がいによって、薬がなければ「日中居眠りなく起きる」ことは難しいので。
しかしながら、社会が思うほど、発達障がいは重大な事項ではないとも思います。
普通の人も、何か足らずがあれば努力をして補おうとするはずです。好きな人に振り向いてもらいたいと、自分磨きに勤しむことだってあるでしょう。可愛く垢抜けたこと、カッコ良くなったこと、それが好きな人に見てもらえないのと同じように、障がいによる苦手を埋めるために頑張っている努力に目を向けてもらえないと、どうしようもない虚無感や無力感に襲われます。


 手帳の発行が可能になるまでにはまだまだ時間がかかります。一般の枠組みで就職活動を続けなければなりませんので、私の挑戦は続きます。私の努力を適切に評価していただける企業があれば、私はそのご縁に感謝し、できる限りを発揮したいと思います。


 障がい者雇用と一般的な採用枠で悩み、障がい者の働き方について調べていく中で「障がいがあるから息子はいい大学に行けない」「障がいがあるからわたしはできない」という障がい者の言葉を見ることがあります。

大丈夫よ、私たちはできます。健常の方にも向き不向きがあるように、私たちも向き不向きがあるけれど、勉学に適性があれば勉学に秀でることも可能です。
けれど、その不適正を“障がいだからだ”と思い込んでしまっている。健常者でも勉強が苦手な人がたくさんいるから、勉強ができることが評価される世の中なんでしょうし、できない理由を“障がい”だからだと思わないで。

 そしてどうか、もし企業の採用担当の方がこれを読んでいらっしゃいましたら、どうか、私たちに向ける視線をもう少しフラットにしてくださいませんか。
一般枠で就活している以上、障がいであることを理由に不出来の言い訳をするつもりはないのです。

おわりに


 ASDらしく要点を得ない、長々とした散乱な文章を読んでいただきまして、ありがとうございました。
 当事者として、何らかの形で障がいの正しい理解に本稿が少しでもお役に立てれば幸いです。
マ、そんな高尚な動機ではなく「障がい者ワイ、就活適性なさすぎムリ誰か話聞いてwwwwww」的な気持ちで筆を取ったのですが。

 今日もリクルートスーツに身を包み、わたしなりに誠実に、頑張りたいと思います。素敵な会社から内定、いただけるといいな。

障がい者も、健常者も、なんか外は死ぬほど暑いし、物価は上がりまくりのくせに給料はちとも上がらないし、人生しんどいよな。
一緒にもうちょっとだけがんばろうぜ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?