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12ヶ月:さよなら山の麓生活

 あっと言う間に、亀岡に移住して1年経った。この一年は、自分と向き合うことに主に時間を使っていたと思う。

 実際のところ、今までも、よく自己分析していたが、それって一体自分にとって役に立っていたのだろうか?と疑問に思うことが大半だった。ただ、新しい土地に住む度に、自分自身の中で見つけられていなかったものを見つけることができているので、その選択をした自分は、褒めよう。といっても、その行動に出る時は、このままじゃ、数年後に自分がいないような気にがする!!うわ〜〜〜っとなっている。そんな勢いが無ければ、私は、ここには来なかっただろう。

 自分にとっては、関西の少し田舎の山の麓自体が、ほぼ外国だった。だけど、言語が、日本語で通じると思っているから、外国だと思う意識が、少なく悩むことも多々あった。適応能力が低いため、引っ越して、その土地に慣れるまでかなりの時間を使ってしまうこともあったけど、その中で、なんでだろう。と思い考えていたことが、様々な発見に繋がっているんだと思う。

 自然の中で過ごすことは、わかり辛い小さな変化の滝の中に身を置いていることだったと感じる。最近知ったのだけど、私は、肌からも情報を得ているから、この生活で得る情報量は、異常値で、さらに関わる人もいるから、ここを生き抜いた自分をまた褒めたい。そりゃ無茶苦茶疲れるわけだ。と、今更納得する。

 こんな冷静にその時のことを振り替えらえるのも、私が、すでに山から離れ、街の方に引っ越したからだ。週に3日ほどその山に行くくらいが私にとっては、ちょうどいい。

 この1年の間に、音楽を作る中で、なんでこの方法を取っているだと言われ、考えまくったり、野菜の味を知ることを通して、味覚が代わり、嗅覚も変わった。元々、ガスの匂いさえも気づかないほど、絶望的な嗅覚だったので、それが改善されていることにかなり驚いた。嗅覚がなくなっている時は、実は、頭の中が大パニックになっていることにも気づいた。そんな状態だと、確かに、1つの感覚を失う。今までの多くの時間、自分は、そんな状態だったんだなとやっと気づいた。それを知っただけで、本当に引っ越してよかった。

 こう思えたのは、京都の友達や、新しく知り合った人々のちょっとした会話に支えられていたのもあるし、遥々東京から会いにきてくれた友達や、日々連絡を取っている遠くの友達のおかげだなと、毎日毎日思う。

 まだ、当分亀岡に住むし、たまに関東に帰る。ここで自分のコンパスの精度を上げていってる日々だったら、今年は、ちゃんとできるかも〜と小さな自信を持って、2年目を楽しもうと思う。

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