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概ね200日後に小説推理新人賞に応募する就活生(3、4日目)三人称と一人称

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どうも、バイト先の休憩室からこんにちは(休憩中に書ききれんかった…)上村ですぅ。今日もまたプロット作りで悩んでいる点をテーマに、雑談かましていきたいと思います(よう考えても雑談以外当てはまる言葉なかった。解決はせーへんし、誰かとディスカッションするわけでもないし。強いて言うなら整理かな。)

それでは今日の目次からです。

一人称と三人称

小説とは基本的にこの2つの視点で描き出される。何故どちらか一辺倒ではないかというと、やはりそれぞれ小説の世界観や文脈、物語展開に則した特徴を持つからだろう。では一体全体何が違うというのですか?え?どうなんですか?!

一人称の特徴

一人称では(小説において)、小説の登場人物の視点から物語が展開される。たったそれだけ。これが小説にどのような影響を与えるというのか。

心理描写においては優れているといえる。それは勿論、語り部が小説内の人物その人だからである。人物の見たものや聞いたこと、触れたこと、それに対して感じたことをストレートに表現することが出来る。

それによって読者が得るものはやはり共感ではないだろうか。(この場合、「私もそう思う〜!」の共感ではなく、共に感じる、すなわち感情移入を指す。)

ただ、やはり短所というか、扱いづらい点もあって、それは語り部以外の人物を描写する場合に現れる。先程一人称では視点人物の見聞きしたことと、それに対するリアクションが描きやすいと述べたが、裏を返せば、知覚範囲外で起きたことは描写できない。誰かが何かしたとしても、視点の切り替えを行うか、視点人物が知覚するまで、我々(読者)もまた知覚することができないということだ(それを上手く用いるミステリー等もあるにはあるが)。また知覚していたとしても、例えば誰かの表情を観察し、どういう感情にあるのかという描写は、視点人物の推測としてしかできないのだ(主人公が心を読めるとかの設定の時は知らん)。ゆえに難しい。

まとめると、視点人物の心理描写において随一だが、逆にそれ以外の表現は難しい、といえる(初心者向きではないとする意見もかなり多い)。

三人称の特徴

三人称は、小説の登場人物ではなく言うなれば筆者の視点(それでも主観性が感じられるなら神でも仏でも好きに抽象化して頂いて)である。この特徴は、ほぼ一人称と対称的なのではないかと思う。客観的な立ち位置から叙述するためどうしても無機質な印象は避けられない。そのため心理描写においては正直扱いづらい(ちなみに僕は三人称で小説を書いたのは本当の初期だけなのだが、それは緻密な心理描写を心がけた結果無意識的に選択していたのかもしれない)。
  逆に一人称に対して優位な点として、並行して場面展開した際に読者の混乱を招きにくい。一人称の場合視点を切りかえても一体誰に切り替わったのか読者が理解するまでに数行要することはざらであるが、三人称であれば名前を始めに提示するだけで読者が場面の切り替りを理解できる。

まとめると、読者の感情移入を促すには無機的だが、その代わり物語として、文章としては非常に纏まりやすく、読みやすいものになるのが三人称である。

わいの悩み

この人称の扱いも去年からの悩みである。僕は、恐怖以外の感情を知らない女性、を描きたい。そうすると恐怖に起因する感情以外は描いてはいけないのである。先程までの内容に則して整理するなら、恐怖を際立たせて描くなら一人称(しかしそれ以外の感情を描かないことは難しい)、恐怖以外の感情をなるべく記述したくないなら三人称(しかし恐怖感情自体も弱くなる)、という形を取らねばならないのだがこのふたつ、極めて矛盾に近い…。どちらかを捨てなければならないのだろうか(嫌だ)。

現在方向性として考えているのは、三人称の書きつつ、一人称に寄せる、である。

そんなことホンマに出来んのかいな?

知りません。まだプロットの段階なので。無理ならこの設定自体を諦めます。

終わりに

明日は試験的にこの方法でショートもショート、ベリーショートぐらいの作品を載せてみたいと思います。ぜひ読んでいただけると幸いです。それでは以上です。初めの川柳が心に響いた者は、スキとフォローをするように。

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