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:0020 谷川俊太郎選 茨木のり子詩集 感想 

詩集がきたどー!

川崎洋さんの次は茨木のり子さんです。


実話 『りゅうりぇんれんの物語』

1994年9月、中国の山東省から北海道へ炭鉱労働者に強制的に連れてこられた劉連仁。1958年2月まで13年間も終戦を知らずに山に潜伏しつづけました。

二匹の狼に会った
熊にも会った 兎や雉とも視線があった
かれらは少しも危害を加えず
彼もまた獣を殺すにしのびなかった
りゅうりぇんれんの胃は僧のように清らかになった
恐いのは人間だ!

P.112 4-9行目より

山の中で癒されたりゅうりぇんれん 。全く知らない国でも、人間に会わなければそれでいいようです。「胃は僧のように清らかになった」には空腹感もあるが、ストレスのなさも感じます。


おそらく参考図書は1059年に出版された『穴にかくれて14年―中国人俘虜劉連仁の記録』でしょう。日本語を日本語に翻訳したようです。難しい記録も詩でならわかりやすくなります。

日本語は「日本語」でくくられていますが、敬語は外国語として覚えなさいとよく言われます。ならば、日本語内での翻訳者もいるはずです。日本語話者でも日本語を十分に理解できない人がいます。そんな人々のためにわたしは翻訳者になりたいです。


楽しいおひとりさま 『一人は賑やか』

一人でいるとき淋しいやつが
二人寄ったら なお淋しい
おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと 堕落だな

恋人よ
まだどこにいるかもわからない 君
一人でいるとき 一番賑やかなヤツで
あってくれ

P.211 8-16行目より

淋しいからとだれかと交流したところで淋しいままですから、一人でも賑やかになれる人でいましょう。恋人に対してそうお願いしています。

「だ だ だ だ だっと 堕落だな」は韓国の梨泰院やイエメンのサヌアであった雑踏事故のような勢いを感じます。雑踏事故のように淋しさが伝染していって もういやだ と塞ぎこむ、それが堕落ではないでしょうか。


大岡信(おおおか まこと)さんとの対談

女性だからと家庭で抑圧されてしんどいと呟いた友人が『自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ』を読んで感銘を受けていました。ですから、茨木のり子さんはフェミニストのイメージがありました。

対談では

大岡:
(略)〜茨木さんの言葉遣いの中に男っぽさというのが出ることがある。その男っぽさには、ここでちょっと性差別的な言辞を弄すれば、男にまかせておいて貰いたい。そういうことを男どもとしては感じることがあるんじゃないかな。

茨木:
ただね、女言葉的なものがあんまり私は好きじゃない。(略)でもね、内容については男と女の境界線なんか無い筈よ、男にまかせてとか女にまかせてなんていう。男性の書いたいい詩はかなり女性的要素を含んでるわ。また反対にね、女の書いたいい詩は男性的要素を含んでしまう。(略)

P.338 11行-P.339 4行より

男性だから女性だから、それで何が違うのかと疑っています。

大岡:
茨木さんの場合は、そういう意味でイデオロギー的に女権を主張するとかそういう立場とは一線を画していて、(略)イデオロギー的に尖鋭で、女はこう戦うべきだというような考え方の人たちからすると(略)曖昧だと思うでしょうね。

茨木:
(略)たとえば江戸時代でも、ぜんぶがぜんぶ女たちが虐げられ萎縮していたわけじゃないんですね。池大雅夫人のことを調べたことがって、(略)外部に向かって叫ぶばかりは、ちょっとおかしいと思う面もあるわけです。(略)ただね、全体としてまだ非人間的な扱いは一杯あるだろうし、地道に活動している人たちは支持ですね。(略)

P.344 13行-P.345 15行より

茨木さんはすべての女性が弱かったわけではないと池大雅夫人を例にして語っています。個人としてどうなのか、あんたはどんな人なのか。あちら側いつでもイデオロギーではなく個人だと捉える人でした。

現代の日本での主流のフェミニストとは違いますが、フェミニストも励まされる詩が素晴らしい詩集でした。


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