【子どものリアル】いじめの正当化
先日からの記事に引き続き、ブレイディみかこ先生の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んでみての感想です。
話したい内容が多過ぎるので、感想を少しずつ分けました。この記事はその④になります。
後日まとめたものも上げると思います。
*以下、ネタバレ注意です。
本当に良い作品なので、読んでからまた見てくださっても大丈夫です!
ということで今回は、私が読んでいて
学校現場での生徒による"いじめ"
について考えた部分について、少し感想を述べます。
皆さんは、"いじめの3段階"という言葉を聞いて、ピンと来るでしょうか。
これは精神科医の中井久夫先生が、いじめの病理的性質や被害者と集団の心理について書かれた論文『いじめの政治学』の中で述べた考え方です。
私はこれを大学の教育学部の講義の中で一年半ほど前に聞いたことがあり、印象的でよく覚えていたので今回この『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んでいて思い出しました。
この"いじめの3段階"について、ご存じ無いという方は、まず以下の記事からいじめの3段階について知ってから、この後をお読みいただければと思います。
ということで前置きが出来たところで、
本作『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の内容です。
物語の舞台は主人公の男の子が通うイギリスの学校。日本で言う所の中学校です。
ただ、今回の主要人物は下記の記事にも登場した、差別思想が強いハンガリーからの移民の子ダニエルです。
ダニエルはその差別思想の強さから、物語中盤から学校で避けられるようになります。
この部分を作中では、
「"あの子は言動がまずいから注意して見ていましょう"
みたいなコンセンサスがおそらく教員たちの間で出来上がっており、こうした大人たちの態度の変化を子どもは見逃さない。
ダニエルには公式に"正しくない人認定"が下りたのだと思い込み、いくらバッシングしてもいい対象になったと判断して、これ見よがしに彼を無視したり、いじめを始めた。(一部省略)」
と書かれています。
これを読んで私は思いました。
いじめの3段階の第1段階「孤立化」の
"PR作戦"に似てませんか?
今回は生徒側から教師への働きかけではなかったものの、
いじめる側が"いじめを正当にする理由を探す"という部分でPR作戦と似たものを感じます。
作中にもありますが、子どもって大人が思っている以上に大人の考えを見抜いていたりするんですよね。
今回も、教師たちの間では恐らくダニエルを気にかけることを公にしたかったわけではありませんよね。
子どもたちが大人の態度の変化を察知したわけです。
ですが今記事を書いていて思ったのは、
教師側としては、
PR作戦への対策は"不容易な同調を避ける"ことでできますが、
今回のように間接的に察知されて
"いじめを正当化"されてしまうと、
対策が難しい
と思うんですよ。
まぁでも、後者は前者と違って"教員によるいじめ肯定の証言(と捉えられるもの)"があるわけではないので、いじめをいじめとして認知出来れば加害者側に罰を与えたり叱ったりすることは可能ですかね。
*もちろんいじめは絶対に許されないので前者でも加害者は罰せられるべきなのですが、生徒に"先生がいいって言ったから"と反論されると事態がややこしくなるので、前者の場合教師は動きにくくなりますね。(それでも動かないわけにはいきませんが。)
以上を踏まえると、
今回の件は結果としてはPR作戦と同じようになってしまいましたが、教師の干渉の仕方で言えば
両者は似て非なるものである
ということなのでしょうか。
"いじめの3段階"は本当にリアルな子どもの現状を捉えた論であると思います。
ただでさえ生徒同士でも学校生活を地獄へと変えてしまういじめ。
本来は子どもを導き、サポートしてあげる側である教師が、万が一にもいじめを正当化したと思われるような言動があってはならないと思います。
学校という子どもの世界で権力を与えられる教師。
その発言や行動一つで、子どもたちを天国へも地獄へも導くことが出来ることを忘れてはいけません。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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