見出し画像

世界は砂浜であって、われわれはその上に立っている

こどものころ、星の砂の瓶詰を買ってもらったことがある。正体は有孔虫の死体なのだ、と学んでからは、なんだか怖くなって、引き出しの奥にしまいっぱなしにしていた。いま、あの瓶はどこにあるのだろう。きっとそれは、今も美しく存在しているにちがいない。

◇ ◇ ◇

もう10年以上前のことになるが、私は知らない人の日記を読むのが好きだった。あの頃のインターネットは、いうなれば、ただただ、エネルギーの波動であった。ほんとうに、いい時代だった。
私にはいくつか、お気に入りのブログや個人ページがあった。ときどき覗いてみては、なにか反応するでもなく、時間をかけて少しずつ読んだ。

細部はほとんど忘れてしまったが、いまでも強烈に脳裏に焼き付いているホームページがある。
たしか、あれは2丁目で働く(おそらく)マッチョなオシャレさんのホームページだった。

日記のなかで、大事件が起こった記憶はない。お仕事の話もほとんど出てこなかった気がする。たいてい、かれの日常について――

・どこどこに買い物にいったこと
・街で見かけた超ピチピチTシャツのナイスルッキングガイのこと
・その後自分でも似たようなピチピチTシャツにハマったこと
・仕事終わりに明け方ファミレスで話をしたこと
・だれだれのピチピチTシャツの着こなしはおへそがあまり出ていないからイマイチだと思うこと

――そんな他愛もないことがらが、数日おきに書かれていた。やれあのドラマが、とか、支払いがどうの、とか、そういう話はほとんど記憶にない。SNSもなかった時代だ。日常の切り取り方がすごく非日常的で、鈴木清順の映画を観ているみたいな、あるいは、ラテンアメリカ文学を読んでいるような、そんな白昼夢のなかの世界みたいだった。

私がその日記群を発見したときには、もうすでに10年ほど更新は止まっていて、ホームページはうち捨てられていた。いまから考えれば、あの日記の内容は20年ちかく昔のお話、ということになる。

いわば無名の考古学者だった当時の私はまだまだ若かったし、今の世間知らずな私よりも、さらに知らないことが多かった。
日記に出てくる2丁目界隈のリアルな非日常は、ドキドキするような空気感だったし、なにより10年前、ピチピチTシャツを中心とした世界観が存在したという事実が、なんだかクールに感じられた。

それからすこしして、私は新宿のちかくにしばらく住むことになるのだけど、いつもあの日記が頭の片隅にあった。2丁目のあたりも時々歩いてみることがあった。あたりまえのことだけど、10年前のあの日記とはぜんぜん様子が違っていて、なんだか人生ってつまらないな、と思ったのを覚えている。ヘソ出しにこだわってるピチピチTシャツのマッチョなんて、ひとりも見かけなかった。

◇ ◇ ◇


ちかごろはもうあまり、人生ってつまらないな、と考えなくなった。だけどこの思考はおそらく、死ぬまで私を弱い力で苛むのだろうと思う。冬の朝の静電気みたいに。それでも、あのかれの日記の記憶だけで、すこし、救われるような気がする朝もある。

今でもそのホームページが残っているのか、私にはわからない。URLも手元にないし、かれのハンドルネームも記憶から抜け落ちている。検索のしようがない。だけど、それでいいな、と思っている。これはたんなる、私の大事な、思い出のひとつだ。引き出しのどこかにあのがあるんだ、という根拠のない自信、それだけだ。ものはなくたっていい。美しいって、たぶん、そういうことだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?