節目

 今日で100日連続投稿という節目になる。ここまで、質より量という勢いで、自分の中の文章を書く回路を活性化させてきたという感覚だ。書き溜めはなく、ほとんどその日に思い付いたことを書いていた。要約すれば140字に収まる内容も、引き延ばして400字以上は書いていたと思う。引き延ばすと無駄なディティールが入ることが多いけれど、たまにキラリと光る(自分で言うかと思うが)面白い展開や表現が見つかるときがある。そんなものをするする書けるようになりたくて、一つの縛りとして連続投稿をしている。逆に投稿すればなんでも満足するという面もあるが、そこは読者のスキの数で戒められる。内容に納得していればスキの数は気にならないものだ。

 そうして、毎日バカみたいによく分からない文章を投稿し続けてきたわけだ。ジョブスだってステイハングリーステイフーリッシュと言っている。しかし、これはバカであれという意味ではなく、明日死ぬとしても今日は満足だったと言えるくらい、毎日飢餓感を覚え、愚かと言われても信じる道を進み続けろと言うような意味だと思う。では明日死ぬとして、今日書き残す文章は本当にこれでいいのかと思うのだ。そう考えると私の本当に書きたいものがなんなのか、少し見えてくる気がする。毎日そう思っていたら、毎日同じようなことを書くことになるかもしれないが、例えば有名な作家は同じようなメッセージ性でいくつも物語を書いてそれが作風だと言われることがあるように、それが私の作風なのであって、一人の人間が人生で一つのメッセージを遺せればそれはもうそれで十分なのではないかと思うのだ。だから毎日同じような物語を書いて、そのストーリーや表現方法をどんどん洗練させて、矛先をとがらせて、何人もの人を貫けるようにすることができれば、それは本望だといえよう。人にバカの一つ覚えだと言われようが、今日も私は何かを書く。それが誰にでも書けるような平々凡々としたものだったとしても構わない。これでもう死んでもいいと思えるものが書けたとしたら、誰に読まれなくてもそれで満足なのだから。それに、何年間も毎日ゲーム配信をしていたのに、視聴者が一人もいなかったという男がいたが、彼は果たして平凡な人間だろうか、とてもそうは思えない、少し異常だと思う、私だってわけの分からない文章を100日も連続で投稿した、続けるという執着はそれだけで十分異常なことで、非凡なことだ。私はまだ書くことを諦めていない。明日死ぬとしても満足できるようなものを遺せるように。そういう意味では、私はまだまだ死ぬわけにはいかない。

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