結局はなんなんだろうか、考えます。
私が今回noteを始めようと思ったきっかけのひとつは、ここには本当を書こうと思ったからです。私は昔から人に"上辺だ"と言われることが多くあります。
私は、本当の考えや思いがを伝える事が凄く苦手です。寧ろぜったい言わないと、当たり障りないことを適当に言っている所も正直あります。
でも、"上辺"って言われるのも嫌って
それは明らかに我儘なので。
このご時世、このような場所で自分の思いを書くことは、直接誰かをまえにして自分の意見や考えを言うことより恥ずかしくて恐ろしい事だと考える人もいると思います。
だけど、ここで一旦、素直に正直に否定されることに怯えず、自分の考えを言ってみたいと思いました。
何かが変わると期待を込めて、書いてみることにします。
時間のある方は是非読んでみてください。
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それでは、私の生い立ちから話していきます。
こうなったきっかけはここからです。おそらく。
私は両親の元に3女として産まれます。
しかし、物心ついた頃にはお母さんもお父さんもお姉さんもいませんでした。
私は児童養護施設に預けられていました。
沢山の子供達と先生と暮らしていました。子供ながらに私はみんなが家族ではないと認識していましたが、家族でないならなんなのかずっとそう思っていました。児童養護施設とは?なんで私はここにいるのか?
詳しく状況を理解できたのは小学3年生のときだったと思います。
はじめてお母さんに会いました。
その時、第一声は
"だれ?"
でした。
"お母さんだよ"
と言われましたが、もちろんピンときません。でもとりあえず会話をしました。
"あ~、お母さん。はじめまして。
確かこんな感じだったと思います。すっごい淡白な子供だったので、、苦笑
"うつむき?ごめんねぇ、ごめんなさい。
寂しいかった?ごめんね。育てられなくてごめんなさい。
こんな事を言われました。正直、寂しいと感じた事はありませんでした。感じるほどの思い出もなかったし、なので
"あの、大丈夫ですか?
私は寂しいくないです。はじめて会ったのに急にそんな事言われてもよく分からない。
的なことを思ったそのまま口に出してしまいました。
そこからでした。この言葉がなにかのスイッチを押したみたいで、突然その場にあった椅子を私に投げつけてきました。
めちゃめちゃこわくて、やばい逃げなきゃ死んじゃう。って感じるほどでした。
直ぐに先生が止めに入ってお母さんとはお別れしました。が、私はこわくてほぼ一日泣きわめいていました。
落ち着きを取り戻した時、先生に私の母は心の病気だと聞かされました。
その時、あ、これが私がここに住んでる理由だ。そう確信しました。
と同時に私が寂しくないとか、よく分からないとか言ったことが母をそうさせたと思いました。
これが自分の考えをいえなくなった1つのきっかけになったのはあると思います。
しかし、"上辺"と言われるほど自分の考えを黙っているほどおとなになってもいなかったのであくまでも、トラウマとしてこのことも関係しているのだろうと思います。
続きはまた書きます。
ここまで読んで下さり有難うございました。