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『洞熊学校を卒業した三人』(宮沢賢治)

赤い手の長い蜘蛛と、銀いろのなめくぢと、顔を洗ったことのない狸が、いっしょに洞熊(ほらくま)学校にはひりました。洞熊先生の教へることは三つでした。
 一年生のときは、うさぎと亀のかけくらのことで、も一つは大きいものがいちばん立派だといふことでした。それから三人はみんな一番にならうと一生けん命競争しました。一年生のときは、なめくぢと狸がしじゅう遅刻して罰を食ったために蜘蛛が一番になった。なめくぢと狸とは泣いて口惜しがった。二年生のときは、洞熊先生が点数の勘定を間違ったために、なめくぢが一番になり蜘蛛と狸とは歯ぎしりしてくやしがった。三年生の試験のときは、あんまりあたりが明るいために洞熊先生が涙をこぼして眼をつぶってばかりゐたものですから、狸は本を見て書きました。そして狸が一番になりました。そこで赤い手長の蜘蛛と、銀いろのなめくぢと、それから顔を洗ったことのない狸が、一しょに洞熊学校を卒業しました。

可笑しな学校があるものだなぁ、と思ったすぐ後に、けれども現実の学校も勘定を間違えたり目をつぶったり、「大きいものが一番だ」と教えることもありうるな、と考え直しました。そんなことに一所懸命になっている間に、狸は結局顔を洗うことを教わらずに学校を卒業してしまうのですから、一体「学校」とは何だったのでしょうか。

主催している朗読教室ではしばしば、どなたかのお困りごとや人生についてお話を伺っている際に、「昭和が抜けなくて」というフレーズを用いています。私が子供の頃は時代がバブルで、「24時間戦えますか?」というCMが流行っていました(今思うとオソロシイー)。受験の時も就職の時も、戦後最大の受験者数と言われて、常に戦わされていたような気がします。けれども自分自身、何かに勝てたことはない。がんばっているつもりで、勝つための努力をしたことも本当は、ない。それでいて、月曜6限の夕暮れから始まる I 先生のお伽話の講義を(就職には一切関係ないのに)嬉々として出席して、大学4年間を終えました。就職は、可もなく不可もなく、でした。

時が経ち、朗読を始めて16年(その途中から始まった朗読教室をかれこれ8年)が経ちました。いろいろな仕事をしたけれども、これが一番長く続いていて、何かしらのことはしている気がするけれども、努力という気はあまりしていません。そしてあの時受けていた月曜6限のお伽話の講義は、朗読教室で今もずっと"役にたつ”ています。卒業して20年以上も経っているのに、学んだことが古びていない。学校って、素晴らしいと思います。

9月最終週の日程から、10月のコースも承ります。
待ちに待って待って待った秋。窓を開けて夜風を感じつつ、朗読を楽しんでいただけたらと思います。

2023年10月のOnlineスケジュール
http://utukusiki.com/202310_online/

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