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『最高の図書館』8


「少しは自力で本を選ぶべきじゃないか?」
開口一番、いつもと変わらぬ無表情で川上さんは言った。挨拶の過程が省略されるのはいつものことだ。
「真夜君は司書の仕事を尊重しているんですよ」
僕は莫迦みたいにうんうんと頷くが、こういう場面で川上さんが折れるのはあまり見たことがない。僕の手には今しがた受け取った読み掛けの『破戒』が握られている。
「もちろん、業務の一環としてのアドヴァイスです。利用者にとっての理想的な選書は困難を極めます。司書が推察することも可能ですが、表面的なものです。理想の書物というものは生来の岐路を辿り、当人の内面に顕(あらわ)し帰着するものだと思います」
「自分で本を探せるようになるのが一番ですからね」
姫野さんは微笑を崩さずに話しを聞いている。雲行きの怪しいのは慣れている。
「私たちはその役割を代替しますが、利用者の成長を促すならば、補助輪のようにやがては外すべきものです。強制ではないとしても」
「そのほうが単純に効率もいいんでしょうね。真夜君にも読書の履歴がありますから、優秀な読者です」
「ええ……もちろん」
姫野さんは見事に懐柔されてしまう。偏見から来るものだろうか、川上さんの無表情がとても勝ち誇ったもののように思える。歯軋りでもしてみせればいいのだろうか?
「えーと、どうすればいいんでしょう?」この場で一番困っているのは、間違いなく自分だという確信があった。
「真夜君が読みたい本を読むだけですから、難しいことではない」
意外にも返答は姫野さんからだった。筋張った頬が笑うと、病人のようでなんだか切ない。
「今も読みたい本を読んでるとは思いますけど」
「もちろん、そうでしょう。じゃあ、どういう切っ掛けで本を選んでいる?」
「切っ掛け?」
一概には断言できない。選ばずに読むことも随分多い。好きなジャンルというのも曖昧だから、知っている作家や著者で選ぶしかない。ならば、作家を知った切っ掛けは言うまでもない。
「知っている作家から本を読むことが多い。姫野さんの紹介から派生して、同じ作家の本を読みます」
予想していたという風に姫野さんは頷く。反応が癪(しゃく)に障らないのは、姫野さんの長所だろう。短所は傾向として、ともすれば侮られかねないということだ。
「本なんてものは読み始めてみないと肌に合うかは判らない。故に本選びは存外に難しい。司書なんて仕事があるのも、膨大な書籍が蓄積されているからだ。もっとも私たちは批評家ではありませんから、あまり偉そうなことも言えません。あくまで薦めるだけに留めている。個々の書籍を熟知しているわけでもない」
一般的な司書はそうかもしれないが、姫野さんに関しては完全な謙遜だろう。僕たちが呼吸をするのと同じ要領で姫野さんは本を読む。裏付けに足る場面を幾度も見ていた。
「私たちが日常的に出会う書物の薦めは限られている。新聞の書評欄や、書店で平積みにされている新刊の類い、その程度が精々でしょう。私たちは本を探す人の窓口のようなものですが、図書館で本は買えませんからね……基本は個々が読みたいものを読む。どうせなら色々な本に手を付けたいものですが、見聞を広げるためにはどうすればいいと思いますか」
姫野さんと川上さんの生態を近くで研究していても、素直に思い付くことはなかった。
「取り敢えず読むしかないんじゃないですか」
「少しだけ違う。信頼できる作家を自身で発掘しておくことだよ。好きなジャンルから読み始めて、気が付けば色々と読んでいるぐらいでいいんだ。同じ作家に執着せずに読めば、自然と裾野は広がっていく。対象が複数になると自身の読書傾向も理解できる。暫くはそういう周期があっても悪くない。濫読(らんどく)を唆(そそのか)すわけじゃないんですよ。ただ、散逸しすぎない程度で広く読む」
「若いうちに?」僕は余計なことを言う。
「いいや、時間のあるうちにだよ」
姫野さんは脅すようなことを言って、結局は笑った。
昔は書店などに立ち寄ることもなく、三郷分館にばかり来ていた。来る以上は姫野さんに本を選んでもらうから、実際に書架を巡り読むことが自分に関しては少なかった。一任しているといっても過言ではない。子供のころでもそうだから、当然の如くと頼ってはいるけれど、ここまで司書にお願いしているのは珍しいはずだった。忘れそうになるが、感謝しなくてはいけない。
「そういえば、昨日は真夜君も珍しい本を読んでいたね」
「本じゃなくて、僕が読んでたから珍しいんでしょ」
「うん、だけど面白かっただろう。日常にあって、実は知らないものも意外と多い。既存の事柄や事物を試みたことのない過程で理解していくのは決して無駄じゃない。再認識することで世界の色は変わる。怠惰な環境に新鮮な気持ちで臨むことができる。とても有意義な気分にもなる」
「姫野さんは意義を求めて本を読むんですか?」
姫野さんがどういう基準で本を選んでいるのか気になった。生意気に聞こえるかもしれないが、多少に関わらず不作法を重ねてきているのである。頭を抱えても今更だ。
「私は本であれば面白いという人間だから。精神的背景を取っ払っても小説を読む価値はあるし、筋を追えても追えなくてもいいんだ。何気ないものでも、物体を構成する要素がある。その気配を感じ取れるだけで、本を読む理由には充分過ぎる。私は複雑であればあるほど、無条件に安心できる気がするよ」
単調な見識に角度を与えることだろうか。解釈すると俗な感じになるけれど、言葉の意味は理解できる。つまらないものは本人が知らないからつまらないのだ。
「取り敢えずはこれ読んでから、次を検討してみます」『破戒』の表面をさらりと撫でる。
「ああ、そうするといい」
いつも通り、一階の奥にあるソファへと坐る。紺青のカーテンは外光を遮断してくれる。といっても、もう日は暮れているのだが。
ちらりと受付のほうを窺うと、姫野さんと川上さんは未だになにやら話している様子であった。しかし、自分には関係ない。未読の小説があるのだから、読まない理由もなかった。
今日は昨日よりも早くに来ていたからか、読む時間も多く取れる。瑞希も受験やらで忙しいのだろう。書店で本を読むのも、早く切り上げることが多かった。そんな習慣も順当に行けば近いうちになくなるものではあった。自分が三年になるころには自然消滅しているものだろう。
そうなれば、自分はどうなるのか? あえて書店に寄る理由はなくなる。じゃあまた、頻繁に三郷分館に通うことになるのだろうか。もちろんそうだろう。簡単な予測だ。容易なはずなのに、具体的に想像することは難しい。前のように一人で図書館に通う生活に戻るだけだ。判ってはいるが、以前とは明らかに違うものがやって来る予感があった。至近の不安が、霧中の只中にあるのが恐ろしかった。
彼女はどうか? 話し合ったことはない。話したところで、本音で話せるわけもない。人が人でいられるのは内面を覆う皮があるからだ。人当たりがいい化粧面を剥ぎ取れば、誰もが生きてはいられない。生々しすぎるものを人は直視できないし、自認することも不可能だった。

だけれど、完璧に隠匿された内面ほどに人を魅了するものは他にない。生皮の先には生の積極性の裏返し、自壊する死への情念が垣間見えるものだからだ。生存する意思というのは極めて論理的に築いていくものであり、生を始めてからの機械的なプロセスの中で、せめて潤沢なものにしようと足掻いていく。けれど、死は理屈ではない。ある意味では死は終着点であり、人間という機構の最後にみせる働きだ。少しでも官能的なものは死に繋がっている。たとえば詩。
隠匿されたものを忘却してはならない。腐って萎(しぼ)んだ隙間には必ず別のものが入り込む。誰かに触れさせることも避けるべきだ。それは瞬く間に変質するものだからだ。救われるために捨てていくのか。捨てたものは必ず後ろに転がっている。遺恨は絶えず、人生に影を落とす。もしも、そのために死ぬことになったなら?

人は自分の死体を引き摺っていく。

なにを語っても失うものがある。告白は代償を伴う。とてもじゃないけれど、重たすぎて払えないから、フィクションの皮を借りて、自衛のための偽装をする。なにを書いても失うものがある。皮を自ら剥いで、それを人に見せる代償はどれだけ重い? 斟酌(しんしゃく)が可能ならば、表現に比喩と装飾を落とし込み、体裁を整えるべきだ。一種の暗号として、または同族への符丁として機能する。たとえば小説。

神聖なほどの静寂。それが本来の環境として定着している。余分なものがないというのは、それだけで評価できる。雑踏や中身のない世間話、雑音から解放された空間は素晴らしい。けれど、時に雑踏の音やたわいのない世間話がとても心地よく聞こえるのはなぜだろう? そんな時は、きっと厭世的で引き籠もりがちな生活に息が詰まったときだ。
両方の性質が気紛れに作用する条件とはなんだろう。あるいは体感する人が気紛れなのだろうか? たまにはコーヒーよりも紅茶が呑みたい……。

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