喜怒哀楽を失う / 人は「何となく」で死んでしまう
テスト終了。成績は…散々かもしれない…。が、まぁしょうがない(と思えるだけ成長かな)。
そして、長い長いレポートも書き終えた。
よっしゃ!春休みだ!いっぱい休んで遊ぶぞー!…とはならず、次に降ってくるのは結構めんどくさい事務手続きやら、資格の勉強やら。休む暇なし。…大学生は人生の夏休みって言った人、出てきてくれない?一回話し合おう。毎日が8月31日なんだわ、こちとら。
休む暇なし、さあ頑張ろうと意気込んだのも束の間。あれ、何だか眠いし食欲もないな…と思っていたら、翌日、食べたばかりの朝食を全部吐いてしまった。
状況から何から鑑みても「無理がたたった」としか言えない状況だった。
それから2日、屍のように布団に横になったまま、何もしない日を過ごした。それで心が休まるわけでもない。何度も悪夢を見た。布団の中で精神はぐちゃぐちゃになった。
そこで何だか、違和感を覚えた。嬉しいと感じるであろう場面で、胸が高鳴らない。普段から感じている「寂しいな」「辛いな」「悲しいな」という感覚が、体のどこにもない。怒り…はわからん、元々感じないし。楽しい…もわからん、楽しいフリをしすぎて本当は楽しいんだか楽しくないんだか区別できないのだ。
ともかく、「嬉しい」「寂しい」といった感情を、どこかに忘れてきたらしい。
いつからだっけ。あれ、いつからこんな感じだったっけ。私は、それすらもわからなくなってしまったのかな。
分からないけど、思い当たる節が一個ある。テスト前日だ。さっきまで感じていたテストへの焦りとか、勉強が進まない悔しさとか、常に隣り合わせな寂しさとか、そういう感情が全部消えて、何にもないぼーっとした状態(朦朧、という表現が正しいかも)になった。
そして、「何の感情もなしに」ニ階の窓から身を乗り出した。落ちてみたかった。
…結局、人が通り抜けられるほど窓は大きく開いてくれなかったから、私は今こうやって文章を書いている。
その時「あー、ここではおちることができないなー….」と思ったのを思えている。
後日、主治医にこのことを話した。
「何の気なしに、何となくで死のうとしちゃったんです、死ぬ死ぬ詐欺って言うけど、これのことかな」
「…君は今生きているからそう言えるけど、あの時の空木さんは、本当に死にたくなるほどしんどかったんじゃないかな」
「…そうかもしれないけどさ」
「あのね、人は本当に『何となく』『うっかり』亡くなってしまうことがあるんだよ」
「…うん」
先生はいつになく真面目な声で、だから、本当に気をつけてね、と言った。その、少し力のこもった声は、確かに、嬉しかったのかもしれない。
そう言えば、この出来事のあたりから、心が動かない。音楽を聞いても気分が上がることはなく、友人に囲まれていても楽しかった雑談が雑音にしか聞こえなくなった。
楽と言えば楽だ。何も感じなくて済むのだから。
でもこれは最早人間の体を成していないではないか。
…せめてちょっとでも自分を大切にするムーブをしてみる。最近「まつ毛美容液」なるものを入手したので、塗ってみる。ちょっと可愛くなれたかな。あの人は、可愛いって言ってくれるだろうか。
感情は、ない。できるのは感情のあるフリをすることだけ。
その状態を、許して欲しいと思っている。
…一体誰に?
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